病院勤務助産師 和田洋子さんのコラム
元OL助産師のつぶやき、「GSに戻りたい…」
熊本県で勤務助産師として働いている、和田洋子と申します。
私が渡部先生と初めて出会ったのは、今から12年前の秋でした。当時、私は地元、熊本市内のデパートを辞めたばかりで、整体の道に足を踏み入れたいものの、どうしたらよいか迷う日々でもありました。
思えば小学生の頃には、先生から「どうしてこんなに体が硬いの?」と聞かれ、中学生になると走るだけで足がつり、高校の体力テストでは握力は19kg、斜め懸垂に至っては10回もできませんでした。肩から肩甲骨の凝りはひどく、授業中に後ろの席の生徒にペンで押してもらうこともしばしば。
そんな私がデパート勤務をすることになり、細身のタイトスカートにストッキングやガードル、ハイヒールを履いて毎日過ごせば、休みの日は決まってマッサージか整体のお世話になる始末。そうこうしている内に、いつしか、整体や旅行を兼ねて、タイ式マッサージの勉強をしたりと、魅力にはまっていく自分がいました。
ちょうどその頃、姉が出産。「妊婦さんや産後のお母さんはなんて大変なんだろう。こういう時こそ、女性は癒されケアされるべきだ!」と思い、検索したところ京都の「健美サロン渡部」にヒット\(◎o◎)/! すぐさま「弟子になりたい!」と思い、京都へ乗り込みました!世間知らずで無鉄砲とは恐ろしいことです。初めてお会いする渡部先生に「何年くらい修行したら、整体師になれますか!?」と、素っ頓狂な質問…。正直なところ「何年か弟子として働けば整体師になれる!」と高を括っていたのでしょう…(恥)。
ところが、サロンにいるスタッフの一人は偶然にも高校の後輩で、しかも助産師…。一方私は、妊婦さんを触りたくても何一つ知識はありません。せっかく先生がアパートを探して下さったにも関わらず、すっかり気後れしてしまった私は、尻尾を巻いて熊本に帰りました。その時、私が先生にお伝えした断りの言葉が…「私は産後の女性を診られる整体師ではなく、整体の出来る助産師になります!」だったそうです。私は忘れてしまっていましたが、渡部先生は覚えておられました(^^;
人生で初めて触れ合った助産師、それが渡部先生でした。助産師になるためには看護学校に行かなければならないことも初めて知り、京都での珍道中の翌月には看護学校への願書を提出し、その5か月後に看護学生になりました♪
助産専攻科卒業と同時に結婚。不妊体質だった私はすぐに不妊治療を開始しました。しかし、仕事も治療もうまく行かず、悩む日々を過ごすことに…。やっと妊娠にこぎつけても流産。11年前に購入したトコベルを、流産後はもう必要ないと思い、外した途端の体の不調…。
セミナーを受講されている皆さんなら、「なぜ、ここで不妊治療!? 体を整えるのが先でしょ!」と突っ込んで下さることでしょう。しかし、頭まで凝り固まっていた私が、ようやく目が覚めたのは昨年秋、11年ぶりに受講した渡部先生の「メンテ“力”UPセミナー」でした。
11年間も先生からご無沙汰していた私です。バツが悪いながらも職場の同僚に誘われセミナーへ…。そこで初めて!? 自分の体の悪さを解剖学的に知り、「この頭のゆがみ絶壁、傾いた仙骨、様々な体の不調…これを放置したままでは挙児も妊娠生活も、人生も楽しむことはできない!!」と、強くそう思いました。遅いですよね~。
自分の体を整えてくれる整体を妊産褥婦にも活かしたいと、すぐに「トコちゃんベルトアドバイザー」を取得し、「ベーシックセミナー」へと進みました。簡単なセルフケアでも効果が高く、大胸筋緩めをした後の腕の軽さを知ったときは、「世の中の人はいつもこんなに腕が軽いのか!」とびっくりしました。
また、同じポーズや動きをしても、受講生一人ひとりの身体が違えば得手不得手があるのは当然ですが、私には不得手な動きばかりです。こんな体に生まれ育ったことを恨んでも仕方ありません。それでも、次に生まれてくるときには、しなやかな体の持ち主であることを願わずにはいられません。
小学生では遅いのです。幼児…、新生児…、
いや、できることならGSまで戻りたい。
今後、私のような思いをする女性が一人でも救われますように。
そのために、ゆがみのない子宮からゆがみのない元気な赤ちゃんが、たくさん産声をあげ、健やかに育ってくれることを祈っています。
そしてやっぱり、私も、元気な赤ちゃんを産んで育てたい! そのための妊活セルフケアに今日も励みたいと思います!