神奈川県の開業助産師 池戸真裕美 先生のコラム
私の骨盤ケアサロンは“好きなことで心を満たす場”

 
【助産婦になるまで】
神奈川県厚木市で小さなサロンを開いている助産師の池戸真裕美です。
病弱な体で生まれ、容姿にも自信が持てず劣等感ばかりで、高校生になった時は「結婚するなんて考えられない」と思っていました。それで「一生働ける仕事ってなんだろう?」と考え、「看護婦なら資格を取ったらどこでも働けるし、独身でも肩身の狭い思いはしないだろう」と考え、看護学校に入学しました。
看護学生時代に助産婦という資格があることを知り、「子どもを産む人がいなくなることはないから、その仕事もいいだろう」と考えました。それに「産科だけを1年間学ぶほど奥が深い“助産”という仕事とは、どんなものなのだろう?」と、興味を持ち助産婦になりました。

【施設勤務助産婦となって】
就職した病院は母乳育児に力を入れていたため、「乳房マッサージの資格を取得して、技術を磨きたい」と思うようになりました。先輩助産婦と共に「資格取得を目指そう!」と目標を定めて、研修に行く順番を待っていました。
ところが「来年は私の番だ!」というタイミングで結婚することになり、乳房マッサージの研修は断念しました。技を身につけ自立した職業人になるという夢は、はかなくも散りました。

1988年、公立の総合病院の産婦人科病棟に就職。2002年に法律が変わり助産婦は助産師と呼ばれるようになりました。医師主導型のお産でしたが、それなりにやりがいを感じて働いていました。フリースタイル分娩やマタニティヨーガの研修を受けたり、思春期アドバイザーなどの資格を取得したりして、自己研鑽に励みました。そして漠然と「このまま定年を迎えるんだろうな」と考えながら、病院勤めの日々を過ごしていました。
ところが、2007年6月、突然「産婦人科医不足のため産婦人科病棟閉鎖、助産師活用のために助産外来を立ち上げる」と決まったのです。そこで、「私は助産師として自立したケアを提供できるのだろうか?」と自問したところ、そんな自信はありませんでした。今まで取得した資格は自己研鑽だけにとどまり、資格として活かされたことはありませんでした。「助産外来で提供できるケアって? 助産師に求められる妊産婦さん達のニーズって?」と考えたところ、当時、急速に広がり始めていた骨盤ケアが目に止まり、「これだっ!」と思って参加しました。

最初は「妊婦さんや産後のお母さん達の、腰痛・肩こりを楽にしてあげられたらいいな」という軽い気持ちで、旧 母子整体研究会の入門セミナーに参加しました。引き続き、基礎整体セミナーに進んだのですが、それらのケアだけでは改善が難しい症状に悩む方が多く、「どうすれば楽な体になってもらえるのだろうか?」と学んでいくうちに、とうとうトコ・カイロプラクティック学院のベーシックセミナー⇒カイロプラクティックセミナー⇒交感整体セミナーまで進み続けてしまったのです。

【セミナーで学びながら自分の体と向き合う】
子育てが一段落した頃、体力に自信がなく、走るのも苦手で500mも走れないような状態でした。ダイエットと健康増進を兼ね、ジムに通ってダンスエクササイズ・ヨガなどのクラスに参加しながら、走れるようになりたい一心でコツコツと走り続けました。
継続は力なりとはよく言ったもの、とうとうフルマラソンまで走れるようになり、ダンスエクササイズ・ヨガも「上手くなった」と思えるようになり、「体力には自信がある!」と自信を持つまでになりました。
ですから骨盤ケアセミナーを受けようと思った時は、「セミナーの実技くらいはできる。大丈夫だ」と楽観していました。

ところが、やってみると、皆ができる動きができない(>_<) 渡部信子先生は「しんどそうな体やな~、体の不調に気付いていないんやな~、残念やな~」と(@o@)「えーっ。そうだったのか! 自分の体の不調にすら気付けない体なんだ!」と気づいた途端、すっかり自信喪失。何度も辞めようと思いました。
「こんな体ではケアできる人にはなれない」と諦めかけたことは1度や2度ではありません。しかし、私だけがしんどい体ではありませんでした。セミナーに参加している多くの方が、不調を抱えながら参加していることを知りました。

実技が上手くできないことを体のせいにするのでなく、まず自分の体を知って、自分のケアをして、技術を磨いていこうと考えました。
「そうだ! 学びながら自分をケアしていいんだ!」と分かった途端、セミナーに参加するのがとても楽になりました。

【夢を実現】
「平凡に勤務助産師として定年まで働く人生も悪くない」と思っていた私にとっては、産婦人科病棟閉鎖は「まさかの坂」「寝耳に水」「晴天の霹靂」でした。その時に、「本当にやりたいことは何なのか、どんな生き方をしたいのか?」と真剣に考えました。
乳房マッサージの技を習得できなかったことが、心残りになっていることに気付き、自立した職業人になりたかったことを思い出し、骨盤ケアの道を進む決意をしました。

コロナ禍に突入した2020年、非常事態宣言が全国各地に出された3月末に退職、4月に骨盤ケアサロン「空と海」を開業しました。「やりたいことを自分にしてあげよう!」と決断し開業した2020年は、私にとっては自己実現の道を歩み始めた記念すべき年です。
乳房マッサージでは叶わなかった「技を身に着け、自立した職業人になる」という夢が、整体師として骨盤ケアサロンを開業という形で叶いました。しかし時はコロナ禍、「本当に開業してやっていけるのだろうか?」と不安しかありませんでした。
そのうえ、人前で話すことが苦手で、営業活動も苦手、アナログなのでインターネットの活用もできず、口コミと紹介だけが頼りのスタートでした。でも、それまで働いていた病院からの紹介、子どもの友人、病院のスタッフなどの縁に恵まれ、現在に至っています。

骨盤ケアをして気付いたことが2つあります。1つは「体が整うと心が整う」こということです。このことを私のモットーとして、インスタグラムを始めたときに、サロンの紹介文として載せました。
そしてもう1つは「継続は力なり」です。続けていくこと見えてくることがあります。できる技もあります。最初からフルマラソンを走れる人はいません。でも全く走れない人でも諦めなければ走れるようになる可能性があります。続けることの大切さはマラソンをしたことで学ぶことができました。

【これから、好きなことをして生きる】
このコラムの草稿を書き終えたちょうどそのとき、娘が3.5kgオーバーの元気な男の子を出産しました。妊娠41週1日、誘発分娩でした。
ハイハイもさせず、体の捻じれやゆがみが強い娘だったのに、経膣分娩できたのは骨盤ケアのおかげだと思っています。骨盤ケアに出会って学ぶことができたことを、改めて感謝しています。
そして、孫には子どもにはできなかった“まるまる育児”と骨盤ケアをしようと、マイピーローネオと“おひなまき”で“まるまる育児”を実践中です。両手を正中で合わせ、足裏もきちんと合わせられる姿に感激しています。まずはハイハイができる体作りを目指します。これからは孫の成長を楽しみながら、仕事も楽しんでいきたいと思っています。

こうして振り返ると案外できていることもあることに気づくことができました。40代になるまで泳げなかった私ですが、10年ほど前にクロールを独学でマスター!
それで満足していましたが、背泳もしたくなり練習しているうちに、最近、背泳もできるようになりました。何かを習得するのに遅すぎるということはないですね!

“好きなことをする”は自分が納得していく生き方なんだと身をもって知りました。
私にとって開業した骨盤ケアサロンは“好きなことを自分にしてあげる場”であり、“好きなことで心を満たす場”です。小さなできることを積み重ねて日々過ごすことで”自分が好き”をつくっていきたいと思います。

最近は働くママが多く、仕事と育児に追われている姿を目にすると、若かりし頃を思い出します。仕事と家事に追われて自分のことは後回し。体がしんどいと怒りっぽくなり、イライラして子どもや夫に当たっていました。そんな自分を思い出し、自分のことを大切にしてほしいと願っています。体ケアを受けながら心も癒される、そんなサロンを目指しています。
「あなたはとても大切な存在」「ただ1人、かけがえのない存在」そんなメッセージを送りながら、これからも1人1人と向き合い、今の私にできる精一杯のケアの提供を、心がけていきたいと思います。