千葉県のヨガインストラクター 山田 真帆さんのコラム
私も子どもも救われた 骨盤ケアと“まるまる育児”
【はじめに】
千葉県に住む3児の母でヨガインストラクターの山田真帆と申します。今は育休中でワイワイガヤガヤと慌ただしく、子ども達に成長させてもらいながら、2度とない貴重な日々を過ごしています。
今でこそ子どもとの時間を大事にしている私ですが、独身時代の私は「自分のペースが何より大事! 結婚して家庭を持つなんて、ましてや母親になるなんて想像もできない!」と思っていました(^◇^;) それに、仕事が大好きな私は「たとえ出産しても、すぐに子どもを預けて仕事に復帰する。家庭にこもるなんてあり得ない!」とも。
なのに、3人も出産し、赤ちゃんや子どもをケアしたくて勉強しているなんて、以前の私からは想像がつきません。また、以前の私は自分の体を大事にせず、何かあるとすぐにお薬に頼る生活をしていました。そんな私が、この5月から高輪サロンで、トコ・カイロプラクティック学院の基本整体セミナーを受講(^^;!
【疲れ知らずのおてんば娘】
扁桃腺が弱くすぐに風邪を引く子だったため、3歳から水泳を始めたところ、体を動かすのが大好になり丈夫になりました。高いところが大好きで、自宅の目の前が公園だったこともあり、暇さえあればジャングルジムに登ったり、日が暮れるまで1人で何時間でも鉄棒の技を考えたり…。遊ぶことに生き甲斐を感じる、疲れ知らずのおてんば娘でした。
水泳を続けながら小学校ではバスケットボール部、中学校ではバレーボールのキャプテンも務めました。何でもチャレンジしたい性格だったため、高校では高飛び込みにも挑戦しました。高校卒業後はしばらく運動から疎遠になり、久しぶりに体を動かすようになったのは社会人になってからで、当時流行り始めていたホットヨガの世界に飛び込みました。
【まさかヨガを仕事にするなんて】
2005年9月からヨガを学び始めたところ、何でもストイックに打ち込む性格なため、気づけば仕事以外はヨガ一色に! はじめは美容目的だったのに、深く知れば知るほど、呼吸の大切さを実感するようになり、心・体・呼吸は繋がっていて、どれか1つでも不安定になるとバランスを崩してしまうことを学びました。
学び始めて2年後、ヨガのインストラクターに転職し、クラス担当以外の時間はヨガ哲学などを学び、ヨガに没頭する日々を送るようになりました。
【結婚・妊娠・転機】
2010年9月、結婚しても仕事とヨガ三昧の日々が続きました。ヨガインストラクターはとても健康的なイメージですが、当時の私は睡眠時間もまともに取らず、体はボロボロ。「私は心身共にバランスを崩しているんだ」と自覚するようになってきました。
実を言うと、20歳頃から生理の度に鎮痛剤が手放せず、ヨガのクラスも穴を空けないよう、痛くなる前に飲み、気づけば何年も生理の度に鎮痛剤を2箱開けていました。痛みで気絶して救急車で運ばれたことも…。自分に自信がなく正直なところ子どもを持つなんて、とても考えられませんでした。
でも、生理の時以外は元気で「丈夫な体だけが取り柄」と思い込んでいたのですが、一度立ち止まり、2014年〜体のメカニズムの勉強を始めることにしました。すると「生理痛や冷えは当たり前ではない」と知りショック(-“-; 引き続き、解剖・生理学も学び始めました。
夫の熱望もあり妊活を始めたところほどなく妊娠。それまでと何も変わらない生活を送っていたのに、妊娠7ヶ月の時に右の腰が痛くて動けなくなり2週間寝たきりに…。
この時に初めてトコちゃんベルトの存在を知ったのですが、検査の結果、右の腎臓が腫れていると分かり、主治医からは「尿管結石か、赤ちゃんが右の腎臓を圧迫しているのが原因」と説明を受けました。トコちゃんベルトで和らぐ痛みではなく、抗生物質で痛みから解放されたのですが、これが私を変えるきっかけになりました。
今まで体を大事にせず、不摂生してきた自分の責任の重さに気づき、勉強したことを生かそうと食にも気をつけ、なるべくお薬に頼らない生活を送ろうと生活を一新。骨盤ケアの三原則に基づいてセルフケアを続けることにより、次第に体調は改善。健康のありがたみを実感しました。
腰の痛みのため、個人病院から総合病院に転院になり、「妊娠中は検査ができないので、産後に検査しましょう」とのことでしたが、幸いそれ以降は痛みもなく無事に過ごせました。
【出産・育児・“まるまる育児”との出会い】
第1子は37週まで逆子でしたが、帝王切開の日を決める当日、頭位になっていました。
分娩は5時間くらいでスルッと安産したものの、娘は昼も夜も泣き続け、会陰切開の傷が痛くて、ドーナツクッションが無いと座れず…、産後ハイから産後うつに急降下し、ジェットコースターのような精神状態になりました。
第2子の妊娠中、胎児の足が短いと言われて何度も検査を受けたのですが、結局何事もなく健康で無事に生まれました。なので、妊娠中は何かあるのが当たり前と思っていました。
第3子の妊娠中は初めて何事もなく、無事に出産したのですが、1カ月半頃から泣き止まなくなってしまいました。上2人は新生児期を過ぎた頃からは、わりと育てやすかったため途方に暮れ、藁をもすがる思いで調べたところ、出会ったのが“まるまる育児”でした。
生後3ヶ月から“まるまる育児”を取り入れはじめ、 オンラインで、スリング・“おひなまき”のやり方も学びました。何をしても反り返って寝なかった子が、その日から何時間でも寝るようになったのです(@o@)「赤ちゃんは泣くのが仕事、泣くのが当たり前」と、産院の助産師さんや母親・祖母からもそう教えられていたのに…、私の目から鱗がポロポロ。
“まるまる育児”について「もっと学びたい、知りたい」と強く思うようになったそんな時、姿勢ケアサポーターの存在を知り、池田匠美・仲真衣先生の元で学びました。
赤ちゃんが泣く意味をそんなに深く考えたこともなく、ましてや赤ちゃんの体が凝るなんて考えもしませんでした。
講座の内容の深さに「もっと学びたい、もっと知りたい!」と突き動かされた私は、メンテ“力”upセミナー・トコ・カイロプラクティック学院入門講座と進み、今年5月から基本整体を学び始めました。
【息子の入院】
6日間の基礎整体のうち2日間受け終わったときのことでした。息子が胃腸炎の診断で入院、点滴を受けて10日過ぎても症状は改善せず…。そのため、CTを撮ったところ左後頭部に硬膜外血腫が見つかり、都内の大学病院に緊急転院となりました。再度のCTで硬膜外血腫の直径は5cm、頭蓋骨にヒビがあることもわかりました。
このように頭蓋内に出血が見つかった場合、病院は児童相談所に通告しなければならないと決まっているそうですが、無知な私は全然そんなことを知りませんでした。そのことを知ったのはSNSで、『さらわれた赤ちゃん』という本も出版されていることを知りました。児童相談所に通告されると虐待や不適切養育を疑われて強制親子分離となることもあると知り、急に不安に襲われました。
でも、嘔吐の原因は、嘔吐が始まる8日も前に、公園のアスレチックから落ちたことだと大学病院の先生方に理解してもらえ、強制親子分離されることもなく、大学病院に転院となってから10日後には退院できました。
【“まるまる育児”の凄さ】
アスレチックからの転落は、「親が注意して見ていないのが悪い。注意義務違反!」と言われればそれまでなのですが、公園では私が娘2人を、夫が息子を見ていました。この時の状況を夫に尋ねると、たまたま公園で話しかけて来た子がいて、その子に気を取られているうちに2人ともアスレチックに登ってしまい、そのうちに話しかけて来た子が落ちてきたので抱き止めたところに息子が落ちてきたのが見え、地面に落ちる寸前に脇を持って抱き上げたとのこと。十分な注意を払えない状況があったようです。
それと、息子はまだ1歳5か月だったのに、アスレチックに登るほどの運動能力があったことも仇となりました。
今回の息子のケガはとても大きな怪我だったにもかかわらず、手術を受けることもなく後遺症もなく元気になり、お世話になった病院の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。と同時に一方で、赤ちゃん期から“まるまる”で育てたことにより、人間本来の防御力を発揮できたからこそ「この程度ですんだのかも」と思ったりもします。
ちなみに、私の家族は息子以外全員ストレートネック。もしも、この4人が息子と同じような状況に陥った場合、この程度で終わっていたとは思えないのです。いずれにしても今回、“まるまる育児”のすごさを思い知ると共に、ヒトの体の働きの凄さを再確認しました。
実際、セミナーや施術日に、信子先生の体を間近で拝見したり、触らせてもらえたりする機会があるのですが、「本来のヒトの動きってこうなんだっ!」と、驚きます。
でも、現実は信子先生のような人はごくわずかで、私のように体ができていなくて上手く使えない人の方が多いようです。ただ、自分の体が整っていたら、このセミナーや講座に出会えることもなかったかも知れませんね(^O^) そう考えると、今回の件や、気づかせてくれた体に感謝です。
そして、「子どもを授かる前から勉強していれば、もっと楽に子育てができたかも?」
と思うと、微力ながらも「“まるまる育児”を広めていける1人になりたい」と、強く思うようになりました。
【今後の目標】
産後うつを経験し骨盤ケアの大切さを痛感した私がしたいこと、できることは…?
・自身の経験を活かして骨盤ケアを取り入れたヨガクラスを開く。
・自宅サロンを開き、私のように育児や子育てに悩んでいるママ達をサポートする。
・ママ達やお子さん達の体をメンテナンスする。
・ママ達がホッと一息つける癒しの場所を提供する。
これらの目標実現のためには、まずは自分の体と心が健康であること。そうでなくては、自分にも周りにも優しくできません。いくつになっても体は変えられると信じて、自分の体と心を好きになるお手伝いをしたいです。自分の体が扱いやすく疲れない体になると、きっと心も軽くなるはずです。
【最後に】
今でも「最初の妊娠からもっと自分の体を整えていたら…、もっと早く信子先生の元で学んでいれば…」と後悔したりもしますが、「気付いた時、知った時が吉日!」とポジティブに捉え「後悔するよりも今できること、これからできることをしよう」と考え方をシフトしました。
100%やり直すことは難しいかもしれませんが、発達も今からでもやり直せることを知ったし、毎日のセルフケアや“おとなまき”なども活用し、今からでも自分史上最高な体を作っていきたいと思っています。
また、自分のことを発信するのが苦手で、避けてきたブログやホームページも開設していきたいと思っています(;´∀`)
これからも、骨盤ケアと“まるまる育児”で笑顔溢れる素敵な毎日が送れるよう、微力ながらサポートできる人になりたい。そして、かかわらせていただいた全ての人の心に寄り添えるケアを提供できるよう、信子先生をはじめ多くの先生方から学びながら邁進していきます!