沖縄北部の産婦人科医院働く、助産師 東恩納さんのコラム
子沢山の楽しい子育てが、いつまでも続きますように
【はじめに】
みなさん初めまして。やんばる(山原=沖縄県北部)にある産婦人科に勤務している助産師の東恩納敦子(ひがしおんなあつこ)と申します。
ヤンバルクイナで有名になった やんばる は、奄美大島・徳之島・西表島とともに世界自然遺産の推薦候補地として選定されている地域です。
そんな美しい自然に囲まれてはいますが、お産をめぐる環境は決して甘くはありません。
でも、沖縄特有の“ゆいまーる”(沖縄の方言で“助け合い”という意味)の心で子沢山の楽しい子育てができているやんばる。そこで暮らす私の様子を少しばかりお話しいたします。
【子ども時代】
子ども時代は福岡市内に住んでいて、山の中を探検したり木登りをしたり、外遊びばかりしていたおてんば娘でした。1つ上の兄の影響もあり、小学校1~6年生まで空手を習っていました。
入門当初、女子はいませんでしたが、友達を勧誘し女子の多い支部になり、合宿や初稽古、徹夜歩みなど、楽しかったことを覚えています。
低学年時代には腹筋200回もでき、今では想像できないシックスパックの持ち主でした(笑)
【助産師となり結婚で やんばる に移住、1児の母に】
子どもの頃に憧れた看護師を目指して、私立短期大学の看護科に入学しました。カトリック系の短大ということもあり、いのちの大切さや尊さ、慈しみや奉仕の精神を基に看護学を学びました。
実習先の病院は当時、新生児センターが有名で126床もあり、うち30床はNICU。小さな赤ちゃんがたくさん入院していました。
「せっかくこの学校に入学したからには、もっと新生児に詳しくなりたい」と思い、同短大の専攻科・助産学専攻に進学しました。入学後の実習では、小さな赤ちゃんを生むお母さん方に寄り添いたくなり、実習病院の周産期センターに就職。5年半(産科・MFICU・産婦人科外来)勤務し寿退職。
結婚のため沖縄北部へ移住してまもなく、「近々開業する産婦人科がある」と夫に勧められ、結婚後すぐに個人病院へ就職しました。
すぐに、第1子を妊娠し、多少体のつらさはありましたがスタッフ不足もあり「妊娠はこんなもんだ」と自分に言い聞かせて、産休に入るまで勤務していました。分娩はわりとスムーズでしたが、会陰切開後の傷の痛みで、つらい育児の日々を送ることに…(;-_-)
自宅では、頂きものの高級布団(固いマット)に子どもを寝かしていたのですが、あまり眠らず抱っこばかり…。気づいた時には、子どもの頭は斜めにペタンコになっていました。
そんな状態なのに助産師が足りないため、産後6ヶ月で職場復帰。育児や働く女性の大変さを痛感しました。
【骨盤ケア・“まるまる育児”との出会い】
今から15年前に後輩助産師が「トコちゃんベルトの先生を沖縄に招いて講習会をしたい」との誘いに乗って、受講したのが(旧)母子整体研究会のセミナーでした。このセミナーでは学生時代も勤務してからも、聞いたことがなかった知識や情報がいっぱいで、目から鱗がポロポロ。
衝撃受け過ぎ状態で1日目の受講を終えた私の頭の中は、プチパニックになったのを覚えています。
すぐに職場に持ち帰り、まるまる抱っこやトコちゃんベルトなどの話をスタッフに広め、当時数年以上の勤務歴のある助産師全員が、順次セミナーを受講することができました。
スタッフ不足もあり、骨盤ケアやまるまる抱っこなどの教室までは開講することはできませんでしたが、個別指導や出産直後にさらしでの骨盤輪支持は当時から続けています。
【骨盤ケア・“まるまる育児”で産み育てた第2子】
骨盤ケア・“まるまる育児“に出会った後、第2子を妊娠・出産。妊娠中はトコちゃんベルトや付属品を着用し快適さを実感。産後はトコちゃんベルトを着けないと動けない自分の体の弱さを体感しながら、手放せない状態が4~5年続きました。
第2子は入院中からバスタオルを使ってまるまる寝床をコットに作り、“おひなまき”でスヤスヤ眠ってくれました。おかげで頭の形もまん丸に育ちました。
この育児経験から「入院中からお母さん達に知って欲しい」「少しでも楽しく育児を始めて欲しい」と思いながら働いています。でも、県北部には助産師が少なく、分娩などの業務で手一杯。ケアを提供できる時間は少ししか確保できず、スタッフ不足を痛感しながらの毎日を送っています。
【師長就任と同時に始まったコロナ禍】
沖縄県の北部に2カ所しかない開業産婦人科の(旧)院長が、「もう高齢だから閉院しよう」となった時に、(現)当院の理事長である京都の医師が「沖縄北部の妊産婦のために…」と医院を引き受けてくださったのがちょうど2年前。神戸や京都から女性の医師2名を引き連れて来て下さり、医院名も変えての再出発となり、私が師長の任に着くこととなりました。
と同時に、新型コロナウイルスが流行りだし、感染対策などで面会・立ち会いもできなくなり、母親学級も中止とせざるを得なくなりました。リモートでの開催まで時間がかかるなど、新型コロナによる制約はかなり大きく、対応に追われて大変でした。
【気になる母子の体と、妊産婦事情】
15年前初めて骨盤ケアを教えていただいた当時と比べ、最近の妊産婦さんは骨盤の緩み・ゆがみ、子宮の形のいびつさがエスカレート。回旋異常や出血の多さ…、そして、そのお母さんから生まれた赤ちゃんのゆがみのきつさ…。よく泣く赤ちゃんと辛そうに育児するお母さん。そんな気になる点が多く見受けられる母子の体が気になります。
通院されている妊産婦さんは、遠い方は車で1時間半、伊江島や伊平屋・伊是名島など離島からは船で通院されています。
やんばる(僻地)である上に、なかなか収束しないコロナ禍で、集まって情報交換することもできません。
だから、といって諦めるのではなく、産婦人科医院や育児サークルなど、いろんな職種の方々と協力しあって、新しい情報を発信しながら、やんばる のママと赤ちゃんの未来を、末永くサポートしていけたらいいなぁ~と思います。
【厳しい分娩事情なのに、高出生率】
やんばるにもう1つあった母子異室の産婦人科が、院長高齢のため今年の5月より分娩の取り扱いを終了し、分娩ができる産科は当院とNICUのある県立病院の2カ所のみとなってしまいました。
当院の分娩件数は、約30件/月で、母体搬送・新生児搬送は1-4件/月、妊娠30W未満の母体搬送は、車で1時間かかる県中部まで送らないといけません。
それでも、日本一出生率が高いのが沖縄県なのです。それを可能にしているのが“ゆいまーる”の心だと思います。
美しい海と空と森がすぐ手に届くところにある やんばるで「子沢山の楽しい子育てが、いつまでも続きますように」と願いながら働いています。
助産師・看護師のみなさん、一緒に働きませんか? 内地では経験できない珠玉の出会いが貴女を待っているはず(^O^) お待ちしています!