都内の総合病院で働く、助産師Eさんのコラム
幼少期から様々な体調不良を抱えていたからこそ

 
【はじめに】
首都圏在住、都内の総合病院で働いている助産師Eです。新卒で就職して以来19年間、産科病棟・NICU勤務を経て、現在は産科外来で助産師外来などを担当しています。この間に出産を3回経験し、子ども3人を育てています。

【幼い頃】
幼い頃、よく転んで肘や膝に生傷が絶えず、首もよく寝違えて、首が回らなくなるたびに父が私の頭を持って、バキッとなおしてくれていた記憶もあります。
また、パジャマのゴムと静電気が苦手で、市販のパジャマは着られず、家族の中で私一人、布地屋さんで寝間着を仕立ててもらっていました。市販のパジャマでなんとか寝られるようになったのは中学にあがる頃でした。
小学生にして帯状疱疹に罹ったとき、近所の人達から「年配の人がかかるものなのにねぇ」と言われたのですが、何のことかわからず、気にも留めていませんでした。
中学2年生のある朝突然、片耳が全く聞こえなくなっていて、病院を受診したところ突発性難聴と言われ、ショック…(-“-; その時も「年配の人がかかるものなのに」と言われたのですが、それがどんな意味かもわからないまま入院した時に、その意味がわかりました。同室に同年代はいなかったのです。

結局、期待したようには聴力は戻りませんでしたが、人生の先輩である同室の方達の、「失ったものを嘆くより、今あるものを大事にしている」という言葉や、担当の看護師さんからの何気ない一言が支えになりました。
今となっては「その入院生活が、看護職を志した原点になった」と、思っています。

【学生時代】
看護の道に進もうと気持ちが固まると、そこから、赤ちゃん可愛いなぁ、赤ちゃんを育むお母さんの支えになりたいなぁと、自然と助産師を志すようになりました。
高校を卒業し、初めての一人暮らしをするようになると、季節の変わり目には必ず風邪で寝込むようになりました。頭痛や生理痛もひどく、鎮痛剤を持ち歩くのが日常となり、「嫌だけど、私の体はこういうもの、鎮痛剤を飲めば痛みは取れるから大丈夫!」と思っていました。
今なら「自分の骨格に問題があったから」とわかりますが、当時はそんなこととは夢にも思わず、衣食住もおろそかにし…、まさしく、若気の至りでした。

【骨盤ケアとのあゆみ】
看護師・助産師の資格を取り、今働いている病院に就職。働き続けて4年目の頃、骨盤ケアに出会いました。
とにかく保健指導が苦手だった私は、「妊娠中のマイナートラブルは仕方がない」としか言えない現実を、どうにかできる術を知りたくてたまりませんでした。
また、上司が骨盤ケアにすでに触れていたことと、何より、「あのトコちゃんベルトの渡部信子先生のセミナーを受けられる!」、この2つの力が、セミナー受講に向けて背中を押しました。

(旧)母子整体研究会セミナーを受講して、学んだことを病院に持ち帰って褥婦さん達に試してみると、「さっきより楽」との言葉が次々と返って来るようになりました。べびぃケアも学び、赤ちゃんを泣き止ませる方法を知った私は、充実した日々を送っていました。

【妊娠中の私の不調】
セミナーでは「女性は妊娠出産のタイミングで、体を整えられる。男性にはそんな機会はない」という言葉をよく聞きました。それを信じて自身の妊娠期間を過ごしましたが、とにかく、首がつらくて、体がだるくて…(;-_-)
つらいけど、「骨盤ケアを知らない人よりは、楽に妊娠生活を送れているはず」。そう思うと、もっと多くの妊婦さんに骨盤ケアを伝えたい、という気持ちになり、セミナーに通っては、学びをスタッフと共有。妊産婦さんにケアを提供しながら「いつかは骨盤ケアで開業したいなぁ」なんて夢見るようになった時のこと、NICUに異動となってしまったのです。
それでも、メンテ“力”upセミナーを受講し、引き続き、トコちゃんベルトアドバイザーを取得したのですが、お産の現場から離れたことで、その後は、セミナーから足が遠のいてしまいました。
NICUでは学んだ貯えをもとに病気を抱えた赤ちゃんやそのお母さん達に関わる中で、学びを深め、経験を積めたと思っています。

【転機】
大きな転機となったのは最後の育児休暇でした。この休暇中も「何かを学んでから復帰したい」と、子連れで新生児ケアセミナー・赤ちゃん発達応援セミナー・順子姉さんの技秘伝セミナー…と、トコ企画セミナーを次々と受講。
その間に、名古屋で開かれたらくらく育児クラスに参加し、渡部信子先生の施術を受けました。それまでカイロプラクティック施術を受けたことがなかった私は、施術を受けるまでは肩こりも背中や首の痛みも感じていなかったのに、それらが「改善した!」と実感。と同時に、何年もセミナーに通って理論は知っていたはずなのに、「タイツをはくと具合が悪くなるのは、脚の捻じれのせいだったんだ!」と、やっと気づいたのです。

それから、高輪サロンで子ども達と一緒に施術を受けるようになると、子ども達も、「首をほぐして!」「足をほぐして!」などの要求を、どんどん出すようになり、「実は『楽になりたい』と感じていたんだ」と分かりました。元々、より多くのテイクケアを学びたかったところに、子ども達の要求にも対応したいという気持ちも高まり、職場の理解もあり、育児休暇復帰後から少しずつ学びを続けました。

トコ・カイロプラクティック学院やトコ企画のセミナーは、今まで以上に健やかな生活のコツがたくさん詰まっていて、まさに目からウロコがはがれっぱなし。年齢も活動の場も違う受講者同士が、「あの人の抱っことこの人抱っこは、何が違う?」「どうしたらよさそう?」などと、観察眼を研鑽し合い、困っていることや上手くいったことなどの共有もし、まさに骨盤ケアとまるまる育児漬け。
そして、「じっと講義を聞いてなくてもいいよ、たとえ今、上手くできなくても、自分の体を整えれば少しずつわかるようになるから、続けてごらん」というメッセージが、要所要所に込められていました。

それらは、あなたも大事、私も大事、感じていることを否定しなくていいよ、というメッセージでもあり、忙殺された日々の癒やしでもありました。
また、骨盤ケア漬けの中でも、プレゼン、マネージメント、マーケティングなど、勤務助産師をしているとなかなか学ばない分野にも触れることができ、狭い視野を少しでも広げる機会となっています。

【おわりに】
今回、コラム執筆の依頼を渡部信子先生からいただいた時、とても戸惑いました。しかし、つたない文章ですが、書きすすめるうちに、骨盤ケアにはまってしまった理由などを再確認できました。
「下手の横好き」から、「好きこそものの上手なれ」へと言いますが、私には好きなことがたくさんありすぎて、迷っています。多くの人との出会いがある病院勤務も好きだから、続けるのも楽しそうだし、開業して地域に根を張って働くのも楽しそう。教室やセミナーでたくさんの人を相手に話をするのも好き…。

でも、子ども達も小さく、お金もかかるので病院勤務はまだやめません。幼少期から様々な体調不良を抱えていた私だからこそ、痛感した様々な大切なことを温めながら、人との出会いに感謝し、自分の体もメンテナンスしながら働き続けます。
そして、“赤ちゃん大好き”のまま、その家族の支えになれるよう地道に精進していこうと思います。