東京のクリニック勤務助産師 市川 水城 さんのコラム
若いのに妊娠出産できる体ではない!? 自分の体と向き合って

 
【助産師を目指したきっかけ】
私の母は産婦人科のクリニックの看護師をしており、幼い頃よく母の職場に遊びに行っていたことを覚えています。物心ついたころから看護師の母の背中を見て育ち、将来の夢は「看護師になりたい!」と卒園文集にも書いたくらいです。
そんな中、私が6歳の時に妹が生まれました。父と病院へ向かった私が目の当たりにしたのは、元気な妹とぐったりとした母の姿でした。1200mlもの出血をした母の周りで、テキパキと動く助産師さん。私に優しく声をかけてくれた助産師さん。このとき、「私がなりたいのは助産師なんだ!」と確信しました。そして、6歳の時からその夢は変わることなく、22歳で助産師になり、最初に就職したのは都立病院の産科病棟でした。その後他の産婦人科病院勤務を経て、現在の産婦人科クリニックに移り、現在、助産師7年目に突入しました。

【スポーツでケガばかりだった中学・高校時代】
幼いころから体を動かすことが大好きで、小学校ではバスケットボールとアルペンスキーをし、中学・高校ではバレーボール部に所属していました。特にケガや体の不調もなく過ごしていましたが、中学2年の地区大会前日に腰の激痛で歩けなくなってしまいました。その時レギュラーだった私は、鎮痛剤を内服し、アドレナリンを出しまくって、なんとか大会を乗り切りましたが、後にその腰の激痛は疲労骨折とわかりました。
高校時代は中学時代の腰痛を引きずっての生活で、大学生になっても、助産師として働くようになっても、腰が痛まない日はなく、「腰痛は一生付き合って暮らすものなのだ」と思うようになりました。

さらに、高校2年生の時、今度は右手首に激痛。利き手の右手がうまく使えなくなりました。検査の結果「尺骨突き上げ症候群」という、尺骨が長くなってしまうことで、靭帯や神経を圧迫してしまうものでした。
治すには手術するしかなかったため、大会や大学受験を控えた高校時代は我慢して過ごし、大学生になってから手術を受けました。手術で右手首の激痛はなくなったものの、痛みや違和感が完全になくなったわけではなく、思い通りに使えない不便さと付き合いながら暮らすこととなりました。

【助産師新人時代】
助産師になった私は、仕事を覚えてついていくことに必死で、自分の体のことを気にかける余裕はありませんでした。天気が悪い日、特に、梅雨の時期や冬の寒い日は、腰と手首が痛んだり、違和感が増悪したり…。
「先輩みたいな位置に会陰保護の手を置けない…経験不足だなあ」「手首がグラグラするなあ。今日は雨だからなあ」「ずっと産婦さんについていると、腰が砕けそう」
でも、当時は「腰が痛いのは中学生のときからだからなあ。仕方がないんだ」という感覚で、「諦め」て「我慢」しているとも思っていませんでした。「これが普通。誰しも痛みや違和感と付き合いながら暮らしているんだ」と思い込んでいたのです。

【トコちゃんベルトとアドバイザー Kさんとの出会い】
以前勤めていた産婦人科病院には、トコちゃんベルトアドバイザーの保育士 Kさんがいました。病院では妊婦さん向けに教室の講師を担当されていて、スタッフの助産師や看護師もほとんどがトコちゃんベルトを着用して仕事をしていました。あるとき、スタッフの1人に「歩き方変だよね? 今生理だなとか、腰痛いんだなとか、すぐわかるよ!」「市川さんって、そんな変な姿勢でお産取るのが楽なんだね(^O^)」と言われ、初めは何を言われているのかわかりませんでした。
「Kさんに体を診てもらったらいいよ~!」と言われ、体操やトコちゃんベルトの着用方法を教えてもらい、このとき初めてトコちゃんベルトというものを知ったのです。中学時代からコルセットをギューギューに締めて、腰痛に耐えてきた私には、「こんなに緩くていいの?」「こんなに下に着けるの?」と、理解できないベルトでした。

しかし、トコちゃんベルトを着用して体操を続けているうちに、「あれ?そんなに腰痛くないかも? スタスタ歩ける(@o@)!」と、体の変化を感じるようになりました。
スタッフの方達からも「最近、腰の調子いいんじゃない?」「歩き方がおばあちゃんじゃなくなってるよ(^O^)」と言われるようになりました。トコちゃんベルトアドバイザーの保育士 Kさんとの出会いがきっかけで、骨盤ケアと自分の体に興味と関心を持つようになったのです。

【“無痛分娩=楽に出産できる”ではなかった】
24歳で結婚し、より自身の体・妊娠出産を考えるようにもなり、知人からの勧めもあって、無痛分娩が主流の産婦人科クリニックに再就職することに決めました。“痛まずに出産できる=自然分娩より楽に出産できる=安産\(^O^)/ ”と考えたからです。働いてみると、出血500ml越えや回旋異常・遷延分娩の多さに驚愕。なぜこんなことになってしまうのか…? 自分もこうなってしまうのか…? と、頭を抱える日々が続きました。

ところが、このクリニックには助産師 Sさんがいて、彼女が分娩担当になると、スムーズにお産が進み、産後の出血も少ないのです。不思議に思った私は、骨盤ケアに興味があることや、自身の体のことも含めてSさんに尋ねました。すると、彼女はトコ・カイロプラクティック学院で、カイロプラクティックセミナーまで修了したことや、「産婦さん達に安産してもらおうと思ったら、骨盤ケアを勉強しないとダメ!」と熱く語り始めたのです。そして、「まずは、トコ企画のメンテ“力”upセミナーの受講をするように」と勧められたのです。

【セミナーに参加して】
2年前に初めて受講すると、目から鱗の情報ばかりで、楽しくて楽しくてたまらなくなったのに、「はい! 助産師さん、どうですか?」と当てられても答えられない無知な自分が、恥ずかしくなってしまいました。
渡部先生はセミナー中に私の右手を見て「あんた会陰保護できんやろ?」とズバリ! 立ち姿を見て「腰じゃなくて首やな」とズバリ! プロにはなんでもお見通し…(^O^)
セミナー後に渡部先生に施術をしてもらうと、たった1回の施術で体が激変‼ 目はパッチリ開くし、視界は良好。腰痛は全くなく、体が軽い。「こんなに体の調子がいいのは、何年ぶりだろうか…?」と嬉しさに浸っていたところに、「あんたはこのままでは妊娠できんで。体整えんとあかんわ」と、渡部先生に言われて、ショック(>_<。) と同時に、自身の体がボロボロであることを、ここで初めて知ったのです。
腰が痛いのも、生理が来ると足を地面にうまく着地させられず、ヨロヨロとしか歩けないのも、踏ん張れないのも、毎月吐くほどのひどい生理痛で鎮痛剤やピルをやめられないのも、手首が上手く使えないのも…、それまでは「仕方ないこと」と思い込んでいた私。その一方では、「まだ若いから大丈夫! ずっとスポーツをしてきたから体のベースはできている!」と思い込んでいた私。どれだけ“体の声”を無視していたんだろうと、やっと気づいたのです。

それからどんどん体のことを知りたくなって、トコ・カイロプラクティック学院の基本整体セミナーを受講し、トコちゃんベルトアドバイザーの資格を取得しました。少しずつですが自分の体の声が聴けるようになり、セルフケアで体を調整できるようになってきたので、以前のような体の痛みや不調はなくなりなした。

【これからは】
たった助産師歴7年目の私でも、新人の時と比較すると、難産や不調を訴える妊産婦さんが増えたように感じます。人生で数回あるかないかの経験である出産。トコ企画のセミナーや基本整体の講座を通して、私たち助産師がすべきことや、助産師としての役割はたくさんあるのだと改めて学びました。

〔今後の目標〕
・「この子を産んでよかった。幸せ」と思ってもらえるように、多くの妊産婦さんを快適な妊娠生活や、スムーズなお産に導き、産後も楽しく育児ができるようなサポートができる助産師になる。
・私自身も早いうちに妊娠・出産し、楽しく育児をする。

これらは今後の目標であると共に、私が東京で助産師として働くことを心から応援してくれた、山形の両親への恩返しになるといいなと思っています。助産師7年目のまだまだ未熟な私ですが、このコラムを通して切磋琢磨できる同年代の仲間が増えることを願っています。