福岡県の歯科衛生士 小原美恵さんのコラム
内反足で双子を産んだ私が想い描く 妊娠期からの口育指導

 
【はじめに】
皆さん、初めまして。福岡県北九州市在住の歯科衛生士 小原美恵(おばらよしえ)と申します。歯科医師である父が開業している、福岡県中間市の三阪歯科医院に所属しています。現在、来月から年中になる子と、1歳8か月の双子の3姉妹の子育て真っ最中!育休で臨床から離れていますが、この4月から復帰予定です。

皆さんは、「歯科衛生士」という職種をご存知でしょうか? 歯科診療所では、むし歯や歯周病予防に従事することを専門としている職種です。まだまだ一般的な認知は低いのですが、近年、医科歯科連携でがん治療や手術前後(周術期)の口腔ケアなどで、多職種の皆さんとかかわる機会が増えています。

【目指した歯科医師になれず…】
「大きくなったら歯医者さんになるの!」と、幼い頃から周囲の人にしゃべりまくっていた私は、当然、周囲からも期待されていました。父からは自分の母校のみ受験することを強く求められ、2年間浪人して挑んだものの遠く及ばず…(-“-; 
気持ちの糸が切れてしまった私は実家を飛び出し、遠方の工学部情報工学科という、それまで考えたこともない世界に逃げ込んでしまいました。今考えると、これは人生最初で最大の親への反発でした。
プログラムを書くなんてチンプンカンプンのまま、友人たちに助けられながら、何とか4年生まで進学したものの就活に行き詰るわ、卒業研究を始めないといけないわ…。
そんなとき、研究テーマと決めた「美容院・歯科医院における1日の理想的なスケジュールのシミュレーション」を遂行するために、歯科医院の1日を見学に行って、待ち時間を短くするためのノウハウを探しに行かねばならなくなったのです。

目を背けたい世界を研究の題材にし、正直なところ「何やってるんだろう?」と、かなり気持ちは後ろ向きのまま帰省し、着なれない長白衣を着て診療室に立たせてもらい、見学が始まりました。

【歯科衛生士になりたい!】
するとそこに、医院のユニフォームを着た中学校の同級生が目に入り、思いもよらず再会した私の第一声は、「何しているの?」でした。
「ここで歯科衛生士として働かせてもらっているのよ」と…。子どもの頃から遊び場のように歯科診療室に通っていた私は、既に二十歳を超えていたにもかかわらず、恥ずかしながらまだ歯科衛生士という存在を知らなかったのです。
彼女は「歯科衛生士は患者さんに直接、疾患予防の処置や指導ができるから、とても充実している」と話してくれました。

それから、歯科衛生士のことが気になりながらも、卒業研究に取り組み、大学院の受験もし合格したにもかかわらず、歯科衛生士専門学校の願書提出期限が迫って来たある日、2度目の親への反発に挑んだのです。
「歯科衛生士専門学校を受験したい」と父に話すと、「歯科医師を目指していたんだろ?! 歯科衛生士は、歯科医師ができる処置の2割もできないんだぞ!」と一喝。
そんな父の反対を押し切って、歯科衛生士専門学校を受験し入学。クラスメイトとは6年遅いスタートでしたが、2007年に卒業し、三阪歯科医院で歯科衛生士として働き始めました。

【歯科衛生士として働く中で】
当時の三阪歯科医院は、平日は高齢者が7割以上で、私は成人の定期健診に従事していました。子どもの定期健診は受け付けておらず、子ども用の歯ブラシは、月に数本売れるくらいでした。

そうして働いているうちに、徐々にモヤモヤとした虚しさを感じ始めるようになって来ました。なぜなら、長期の定期健診で現状を維持できている方がいる一方、むし歯・歯周病を繰り返してしまう人も多く、「なぜこんなことに…? その場その場の対処だけでいいのだろうか? 歯科衛生士としてもっとすべきことがあるのでは?」 と、思うようになってきたからです。

【学生の臨床指導に従事】
2005年4月から2010年4月までに、すべての歯科衛生士専門学校は2年制から3年制に移行。私の母校である、九州歯科大学附属歯科衛生学院は、口腔保健学科という、九州歯科大学歯学部の1学科となりました。
と同時に、学士取得を目指す学生の臨床指導に当たる者は、「学士以上を有し、臨床経験が5年以上ある者」という条件がありました。そんな条件を満たす歯科衛生士は少なかったため、私にもお声がかかったのです。
三阪歯科医院で多くの患者さんを担当していたのですが、「このような機会は、後先、ないかも?」と、いろいろな思いを断ち切り退職。2012年4月より5年間、学生指導に従事しました。

【口育(こういく)との出会い】
三阪歯科医院勤務時代に、プライス博士著の「食生活と身体の退化」を通して、食生活と口・体は密接な関連があることを知り、子どもの頃からの口育の大切さを知りました。
「小さな予防の積み重ねが、その子の一生を生きやすいものにする」と思い描くようになったのと同時期に大学で働くようになり、激務のため口育活動は全くできなくなりました。

それでも、激務の合間を縫ってセミナーや書籍で口育を学べば学ぶほど、「子どもへのアプローチを大切にしなくては…」との想いは深まるばかりでした。
そして、2017年三阪歯科医院に戻ってからは、歯並びや姿勢の悪い子を目にする機会が年々増え、「むし歯予防以前にすべきことがあるのでは?」と思うようになって来たのです。
そんな時に出会ったのが、現在の口育(こういく)活動の原点となる「0歳からの健口長寿研究会(0研)」でした。
この会の会長は、佐賀県武雄市で開業されている増田純一先生。2019年、0研発足と同時に私も入会しました。

【内反足】
物心ついたときにはすでに、私の右足首には大きな傷があり、右踵を床に着けてしゃがめないので、つらくて不安定で和式トイレは大の苦手でした。
小学校の遠足の翌日などは、右くるぶしが腫れ、痛みで涙を流していたものです。
この創の真相を知ったのは34歳。「内反足で生まれ、1歳までにアキレス腱を切る手術を受け、足首を接地できるようし、脚全体を覆うギプスをしていた」と知ったとき、それまでの色々な不都合が、走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。
足首の創やしゃがみ姿勢の写真はこちらで御覧いただけます。
https://blog.ap.teacup.com/majyosanba/3270.html

私は両親から一度も右足のことについて聞かされたことはありませんでした。私から尋ねたことはありましたが、違う話を聞かされていたのです。でも、それで良かったのかもしれません。真相を知らない私は、競泳・ボート競技・トライアスロン・フルマラソンと、やってみたいと思ったことに次々とチャレンジしました。
右足の真相を知ってからは「人生の最後まで自分の足で歩きたい」と思うようになり、最近は日々の暮らしの中でも右足の痛みを感じることがあるため、足に負荷のかかるスポーツは避けています。

【何も知らないまま産んだ第1子】
2016年、35歳で結婚した後、夫が私の年齢を気にし(^O^)、焦るように妊活を開始。幸いにも同年に妊娠できたのですが、修士号取得の途中で、学生指導もしながらの多忙な日々。妊娠中の経過は「順調」と言われていたこともあり、自分の体について深く考えたことはありませんでした。
当時、骨盤ケア・“まるまる育児”いう言葉すら知らず、歩くときは両手で下腹を支えながらヨタヨタ。子どもへのアプローチの大切さに関する意識は高かったはずなのに、胎児には意識が向いていませんでした。

出産は破水から始まり、陣痛は強くならず、促進剤の点滴を投与することになりました。「力んで!」と言われても力めず、「赤ちゃんの頭が出ているから、もう力まないで!」と言われたときには、力まずにはいられず、力んでしまったのです。
すると、赤ちゃんが飛び出てしまい、医師を慌てさせてしまっただけでなく、子どもにも危険を伴わせてしまったことは大変つらい経験でした。
こうして体重2,696gの第1子女児が生まれて来たのですが、思い描いていた出産とはかけ離れたものとなりました。
その後の育児はというと、子どもは縦抱きしか落ち着かず、母乳は出ず、子どもの口は開かず、上手く飲ませられず、とうとう両手は腱鞘炎になり、膀胱炎になり…、大変つらい日々でした。

【骨盤ケア・まるまる育児との出会い】
第1子の経験から「より自然に出産したい」との気持ちが強くなりました。そこで、第2子を妊娠したことをきっかけに、水巻町の「ひだまりの家」を見学させてもらいました。すると、「骨盤ケア」「トコちゃんベルト」と書かれたポスターが目に入ってきたのです!
でも、第2子となるその子は10週あたりで成長が止まり、出産には至りませんでしたが、私に「トコちゃんベルト」を意識させてくれたのです。

次の妊娠までに、0研のセミナー内で“まるまる育児”が紹介され、理解を深めることができました。そこで聞いたお話は
・骨盤を整え、胎児期から子宮の中でまるまるの姿勢で過ごすことで、しっかりと指をお口に持って行くことができ、おっぱいを飲む練習ができ、それが将来の顎の形成につながる。
・出産後も、背中をまるまるにして定頸を迎えるまで育てることで、過度な緊張のない体になる。その状態だとお口の周囲筋は程よく緊張するので、顎の良好な発育にも繋がると考えられる。
これにより、いっそう“まるまる育児”に興味を持つこととなりました。

【双子妊娠中に信子先生と出会って】
2019年12月、妊娠確定診断を受けるために受診した際に、一卵性(MD)双胎妊娠とわかり、「なぜ私に双子? 青天の霹靂」と思った妊娠生活のスタートでした。
そこから、妊娠期のただ一つの目標は「管理入院なしで、37週まで必ずお腹で育てる」でした。
その目標を叶えるために真っ先に探したのは、トコちゃんベルト着用指導を受けられる助産院で、私がお世話になったのは宗像市の「ルチル助産院」院長の成松志野先生でした。
先生の指導のもと、四種混合体操、トコちゃんベルト着用前にアンダーベルトを着用し、骨盤ケアの三原則に基づいたセルフケアを続けることが私の日課となりました。
その次に指摘されたのが腹直筋離開! 初めて聞く言葉にビックリしながらも、そこでようやく、第1子の出産時、力むに力めなかったのは、腹直筋が離開していたからだと気づき、おなかまきを巻く“おなかケア”も日課となったのです。

出産前に成松先生主催の宗像施術会で、信子先生の施術を1回受けることができました。とにかく頸椎のズレが大きく、骨が動く音が体に響いたのを覚えています。
驚いたのは、お腹の大きさを忘れるほど仕事ができたことと、何の不自由もない快適な妊娠生活を送れたことです。
目標通り、管理入院なしで37週5日 予定帝王切開にて双子の女児を出産。2人とも2,600gで同じ体重! 長女と100gも変わらないほど大きくお腹の中で育ってくれました。
何よりも感動を受けたのは、2人が大きく口を開けるので授乳させやすかったこと。退院後は、マイピーロネオ、おひなまきを欠かさず着用し、1か月毎の発育のチェックを成松先生に受け、産後4か月で信子先生の施術を受けました。

【歯っぴールームを活用して】
乳児期から頸椎のゆがみや発達を確認していただけることはとてもありがたく、双子の育児は心身ともにつらいはずなのに「第1子を育てていたときよりも、心身ともに楽。それに、双子の方が第1子よりも発達も良い」と感じながら、楽しい子育てライフを送っていました。
すると、「“まるまる育児”を多くのママ達に伝えたい。育児を楽しんでもらいたい。丈夫な体と歯を持つ、発達のいい子に育ててもらいたい」と考えるようになりました。
そこで、三阪医院には「歯っぴールーム」という、患者さんや地域の皆さんの健康増進を目的としたホールがあるので、それを活用しようと考えました。
昨年の4月と8月、信子先生に来ていただき、午前は講演、午後は施術の会を2回開きました。その後、10月に午前午後とも施術の会を開き、次は来週、3月31日の予定です。毎回、私も家族も施術を受け、おかげで家族そろって楽に過ごせる体になってきました。
双子は現在 1歳8か月を過ぎ、動きが俊敏で、指先も全身も器用に自由自在に動かす様子は大変頼もしく、長女も体が柔軟になり、3人の成長を眩しく眺めています。

【これからの夢】
「私自身がもっと勉強しなくては!」と思ってトコ企画の新生児ケアセミナーを昨年の11月に、赤ちゃん発達応援セミナーを今年の1月に京都で受けました。
それらを受講後、「幼いころから感じていた要領の悪さ、体の疲れが抜けきれず、集中力が続かないなどは、もしかしたら内反足だったことと関係があるかもしれない」と思うようになりました。
そう思うとますます勉強せずにはいられなくなり、2月のメンテ“力”upセミナーを申し込みました。ところが、残念ながら流会となってしまったのです(。-_-。)
がっかりしながらも、その空白となった日程で、「お口のお話会&相談会」とした子育てサークルを「歯っぴールーム」で開催しました。急な発信にもかかわらず、2組の親子(大人3名、子2名)の参加があり、初回としては大成功\(^o^)/
今後、月1~2回サークルを開いて、妊婦健診にいらした方には、妊娠期から取り組んでいただきたいこと、出産後の赤ちゃんの抱っこの仕方、寝床の作り方、授乳の仕方、お口の育て方、お口と発達のことなどを伝えていきたいと考えています。
2月に京都で受けられなかったメンテ“力”upセミナーも、ここで開けるよう、歯科衛生士・助産師などケアギバーの方々に、声かけたいと思っています。

近い将来、三阪歯科医院を歯科医師の夫と共に引き継ぐ予定です。理想の歯科医療を追求するには、妊娠期からの保健指導はとても大切だと考えています。今後、多くの人達とコラボしながら、歯っぴールームを“子育て基地”として活用してもらいながら、北九州、筑豊の人々の健康増進に貢献したいと思っています。