上野先生のコラム「だから私は講師を引き受けました」
青森県在住の助産師の上野順子です。
「いなか」と言われる他の地域もそうかもしれませんが、「青森県」では、車がなければ暮らしていけません。一家に一台どころか、1人に1台です。歩いて5分の所にも、3分の所でも、車で行くような生活では、足腰が強くなるワケはなく、しかも、今、妊婦になってる年代の方々は、子どもの頃から家に車があった。
登校は、バスや徒歩でも帰りは「変質者対策」で「なるべく保護者が迎えに・・・」なんてこともあり、ますます歩く機会が減ります。
遠足と言えば、学校から現地まで歩くのが当たり前でした。それが、今は「バス遠足」が当たり前。登山と言っても、山頂近くまでバスで。体作りをする大事な小学校時代に「車生活」。せめて「朝マラソン」「縄跳び競争」をやってれば、と思い、母親学級で手をあげてもらうと、それすらやってない人もいて・・・(さぼってた?)
このような理由で、「骨盤ダメダメ先進県」な「青森県」。残念ながら「骨盤ケア最後進県」です。
メインのセミナー開催地から遠いですから、誰も習いに行かない。行けない。
私も「臨月(36週)でギックリ腰になった妊婦さん」に関わらなければ、「そういうのをなんとかできる助産師になろう」なんて思わなかったし、行動してなかった。あの頃、「ぎっくり腰」は私の持病になってました。だから、痛みと大変さと整形での対応は知ってます。「整形外科に行っても、レントゲン撮らないし、撮っても、骨には異常ありません。って言われて、湿布と痛み止め、だけだよね~。う~ん。どうしよう」「あの痛みで、お産を乗り切れるかな~(> <)」幸い、その妊婦さんは「1週間の安静入院」だけで良くなり、出産時は心配したような痛みも出ずに終わりました。
次に同じ様な妊婦さんが来たら、そして「痛み」をかかえたままお産になったら。何もできない助産師のままではイヤだ。そう思って、「骨盤ケアセミナー」を初めて受けたのが2007年秋。
初めのうちは習った事をやってみると「いい」感じ。「腰痛」だけに活用していたのを「分娩」にも応用したら、さらに「いい」感じ。そのうち、習ったままではうまくいかなくなり、自分なりにアレンジ。(この頃、青森の骨盤のダメダメが急速に進行した?)
「骨盤超ダメダメ先進県」ですから「症例の宝庫」。次々、手強いのが来ます。日々格闘しているうちに、いろんな小技ができました。私にとっては、「当たり前~♪」な技術でしたが、スタッフには「あやしいおまじない」でお産を進めてるって思われてました。「夜から進んでないから、おまじないしてきてよ」とか「帝王切開の時間にぶつかるから、今、おまじないしないで」とか言われてましたから。
「今までこのテクニックなしで、どうやってお産取ってたっけ?」ってくらい重宝する技術。しかも簡単。
でも、職場は、お産の取り扱いをやめました。
この技術、どなたか使ってくださ~い