関西の県立総合病院勤務助産師 Mさんのコラム
自然なお産の介助を夢見ながら、ひたすら充電の日々
【7年近くの“オペ看”を経て】
関西の県立総合病院に勤務している助産師Mです。中学生の頃に何となく「看護師…、いいなー。助産師…、いいなー」と思っていた私でした。
看護学校に通うようになり、「この苦しい実習をもう1年するなんて考えられない!」、「まずは看護師になって、全身管理を学ぶことも必要だな」と思い、そのまま就職しました。
配属されたのは手術室。転職してもまた手術室(オペ室)配属になり、結果7年近く“オペ看”として働きました。転職した病院がとても忙しく、バーンアウトした私は、ワーキングホリデーを使って1年ほどホームステイしながらリフレッシュすることに決めました。
アメリカ・カナダに滞在中、近くに友人が住んでいたので、会って今後の道についての悩みを聞いてもらいました。「日本に帰ってから、次はどんな仕事をしようか? 救急救命部でドクターヘリに乗る? またオペ室に戻る? それとも病棟?」…と。
【助産師へと誘導されて】
すると、帰って来た返事は「助産師になったらいいやん!」と! 彼女は、今は3人の子を持つ母ですが、当時は子ども2人をアメリカで自宅出産した経験の持ち主でした。その理由は「英語のわからないアメリカの病院で、夫と離れてお産するなんて考えられなかったから」と、熱く語りました。
その経験から「助産師は素晴らしい職業! ぜひ、なるべきだ」と、『分娩台よ、さようなら』や、助産師や産科医を特集した日本のドキュメントを見せて、私の説得に励みました。
その後も、アメリカ在住の日本人助産師に合わせる手配をしてくれたり、友人の友人で自宅出産した人と話せる機会を手配してくれたり…。元々「助産師になるのもいいかなー?」と思っていた私は、まんまと助産師になるよう誘導されたのです。
【受験惨敗、看護師として産科病棟に】
助産師学校を受験するために、試験の3ヶ月前に帰国し、受験勉強をして試験に臨みましたが…、惨敗。助産師の世界は甘くはないことに気づかされ、「助産師の世界をなめていた」と反省させられました。
今まで手術室しか経験がなく、病棟で働いた経験がなかったので、「助産師を目指すんだから、産科で働きながら予備校に通いたい」と思い、採用面接で正直にそのように話しました。
すると、「1年しか働かない看護師はいらない」となかなか採用してもらえず、看護学校の恩師に相談したところ、私立のK総合病院を紹介してくださり、やっと就職できたのです。
【魔女と骨盤ケアに遭遇】
そこで、助産師Tさんと出会った私は“骨盤ケア”というものを初めて知ったのです。助産の知識もなく、産科病棟業務もわからず、ましてや「骨盤ケア・トコちゃんベルトって?!」と、チンプンカンプンの私の目に、Tさんが現れるとお産が進む光景や、Tさんが学生指導をし始めると、キラキラ輝く学生の目が飛び込んできました。
Tさんと一緒のある夜勤のときでした。何人も陣痛が来ている産婦さんがいて、猛烈に忙しくて、私は何から手を付ければいいかウロウロするばかり…。
その時、Tさんは「次はあの人が何時間後にお産になるし、ここ片付けてくれる? 次はこの人。最後の人は何時かなぁ。何時くらいが都合いい?」と、私に尋ねるのです!
「8時なら私も手が空くと思います!」と答えたものの、「本当にTさんはそんなぴったりに産ませられるのかな?」と疑っていました。ところが、8時ちょうどにナースコールが鳴って、「お産ですー!」の声!
びっくりし過ぎた私は「何でそんなことができるんですか???」と詰め寄ると、「骨盤ケアができるようになると、なんでお産が進まないのか、どこをどう触ればお産が進み、何時くらいにお産になるかがわかる」。「お産が重ならないように計画を立てて働けば、立てた計画の順番通りに全員の分娩介助ができる」と語るTさんは、まさしく魔女(@o@)‼️
目から鱗が何枚も落ち、「私にもその能力が欲しい!! 骨盤ケアを習いに行きたい!」と懇願したところ、Tさんから「骨盤ケアができるようになりたいなら、骨盤周囲の解剖学を学び、助産師になってからにしなさい。それから、1人ではなく必ず一緒に学ぶ仲間の3人程で、共に切磋琢磨すること!」と、ビシッと言われてしまい、助産師になるまでは骨盤ケアセミナーに行くことは許されませんでした。
【助産学校合格・就職・セミナー通い】
予定通り1年後には助産学校に合格し、どうしても骨盤ケアの勉強がしたかった私は、学生のうちから「誰か一緒に骨盤ケアの勉強をしないだろうか?」と、クラスメイトに声をかけてみました。しかし、骨盤ケアのすごさを目の当たりにしていない人に上手く伝えられず、なかなか仲間は集まりませんでした。
無事に助産師になり、就職できたものの、新卒組には骨盤ケアを知っている人も少なく、「行きたい!」とは言ってもらえませんでした。
ある日通勤でバスに乗ると、同期入職で既卒助産師のSさんが乗っていました。これは運命かもと思い、勇気を振り絞って骨盤ケアのことを話すと、「前の病院で骨盤ケアやってる人がいて、私も興味ある」との返事! やっと仲間が見つかったのです!
もう1人同期入職の既卒助産師を誘い、3人でメンテ“力”upセミナーを受け、その勢いでトコ・カイロプラクティック学院のベーシックセミナー、カイロプラクティックセミナーと通い続けました。
これらのセミナーの中には、病院で働きながら「この人はなんでお産が進まないのかなぁ」「腰痛、おっぱいの緊満…、わからないことだらけだなぁ」と思っていたことの答えがありました。
学び初めの頃は、新米助産師の私が臨床経験のある2人に着いて行けるのかと不安でいっぱいでしたが、わからないことは教えてもらいながら楽しく勉強しました。
【職場でできること】
セミナーで習得した技をこそっと使うだけで、腰痛や恥骨痛などが楽になったり、促進剤を使用しても全く陣痛発来しない産婦さんの仙骨のゆがみを、直した途端にいい陣痛が来て数時間で生まれたり…。2カ所の県立病院産科病棟での夢のような楽しい勤務は、わずか7年で幕を下ろしました。昨年の4月、救急病棟に配属されてしまったのです。
それからは、なかなか患者さんに骨盤ケアを提供できない日々が続いています。「せめてスタッフや家族の不調を癒そう」と、できる限り触診し、頑張って施術をしています。
また、将来のことを考えて助産院の見学に行き、お手伝いをしながら学んでいます。自然分娩を目指して食事・体重管理などを頑張っている妊産婦さんでも、効果的な陣痛が来ず、助産院から搬送されて行くことも…。
搬送前にその産婦さんの首を触ってみるとストレートネック、仙骨は“亀さん”!「あぁー、直してあげたい」と思っても、お手伝いの身では手を出せず…、(-“-;
医療介入ができない助産院だからこそ、妊娠中から骨盤ケアをしてスムーズなお産に導くことが必要だと改めて感じながら、今は将来に向けてひたすら充電の日々を送っています。
【将来の夢】
なかなか自分の技術が追いつかず、不調を改善したり、妊娠・出産をスムーズにしたりすることは難しく、今もまだまだTさんのような魔女にはなれていません。でも、少しずつですが整体技術を提供できるようになりました。
私の助産師の原点は自宅でのお産、自然なお産のイメージです。そのため、今は総合病院で学び、いつかは助産院を開き、自然なお産の介助をすることが私の夢です。
なかなかコロナ禍でセミナーに参加できませんが、赤ちゃんから高齢者まで、すべての女性(人々?!)にケアを提供できるよう、これからもスキルアップを目指し続けます。