重度心身障害施設で働く助産師 浦川敦子さんのコラム
整体セミナーで得た力を、地域での発達支援に注ぎつつ

 
【はじめに】
皆さんはじめまして。長崎県大村市に住んでいる助産師の浦川敦子です。27年間総合病院で勤務した後、転職。今は重度心身障害の方々を対象とした児童発達支援・放課後等デイサービス・生活介護の3つの事業を一体で行う多機能型通所施設で看護師として勤務しています。

【総合病院に就職】
助産師学校を卒業後、長崎県内の総合病院に就職しました。対象となる妊産婦さんは医院や小規模病院からの紹介や、離島など含め県内全域で、ハイリスク妊娠出産の比率が高い施設です。
常に緊急時を想定しながら妊娠中から出産後、新生児期のケアを行ってきました。就職後、年月が経つにしたがって、体の不調を訴える妊産婦さんが多くなってきたことや、回旋異常・分娩停止・分娩時出血が多いことなど、学生時代に学んだことから「だんだん変わってきている」と、疑問に思うことも増えていきました。

【妊娠・股関節通・出産・職場復帰】
第1子の妊娠後期から右股関節痛が出現し、産後は子どもを抱っこして歩くのもつらく、
育児をしながら整形外科へ通院するのもきつくて、受診することなく、対処法はわからず、不安を抱きながら過ごしていました。
我慢して過ごしていると痛みは少しずつ軽減し、産後2ヶ月ぐらいまで跛行が続いたものの、徐々に日常生活に支障はなくなりました。第2子の妊娠中も股関節痛は再発し、産後もしばらくは痛みを我慢して過ごしていました。

第2子の育児休業明けに職場復帰したところ内科病棟に配属となり、しばらくは助産師から離れることとなりました。成人看護の勉強をしつつ、「産婦人科にいつか戻れれば…」と考えながら働いていたところ、1年もたたないうちに、産婦人科への異動が決まりました。また助産師として復帰することができ、妊産婦さんや赤ちゃんのケアに喜びをかみしめながら日々関わっていました。

【骨盤ケアとの出会い】
育児休暇でしばらく休んでいたこともあり、自己研鑽のためにある母乳育児セミナーへ参加しました。そのプログラムのひとつに「骨盤ケア」があり、旧母子整体研究会をはじめて知りました。
セミナーではベルトで骨盤を支える体験がありました。産後3年経っていたのに、想像以上に自分の骨盤がゆるんでいることに驚き、ゆるみを体験した感覚と同時に、今まで疑問に感じていたことがつながったような気がしました。

痛みがなく、笑顔で元気になってもらえるようなケアがしたい、安産のためのケアがしたい、自分が関わる人たちに安心・安全なケアが提供できる助産師になるために骨盤ケアを習得したいと思いました。
自分の体で感じることはダイレクトに心を動かす原動力となり、すごいなと感動しました。そのときの感覚はいまでも鮮明に覚えています。

それから、すぐに福岡での旧母子整体研究会主催の研修を受け始め、その後もトコ企画のセミナーやトコカイロプラクティック学院のセミナーへと参加しました。
セミナーでは毎回復習にも通い、参加する度に生活習慣の変化にも合わせたケアへと内容も追加されていました。
理論を学ぶだけでなく実習を通して自分の体の状態や使い方など知ることができ、自分の体も良好な状態でないと安全・安心なケアは提供できないことがわかりました。

【頸椎が悪い! 脳動脈瘤!】
セミナーを受け始め、研修の時に渡部信子先生に診ていただくと「これまでに私が診た日本の助産師の中で、最悪クラスの頸椎やで」と言われ、先生に調整して頂きました。
セミナーで学んだセルフケア法を続けて、自分の体の調子を整えながら暮らすうちに、だんだんと痛みも不調もない体に変わってきたと実感しながら、家庭でも職場でも充実の日々が過ぎていきました。

ところが、骨盤ケアを学び始めてから8年後、激しい頭痛で脳神経内科を受診したところ多発脳動脈瘤がみつかったのです。手術対象の大きさにまで成長していて、3回に分けて手術を受けました。
「ケアをしていなかったら、もしかしたら、この動脈瘤は破裂していたのかも?」と思うと、生きていることが奇跡に思え、骨盤ケアに出会えたことをこれほど有難いと思ったことはありませんでした。

【セミナーでの学びを母子ケアに活かして】
セミナー後はいつも頭がいっぱいになりながら帰宅し、覚えたことを少しでも実践にいかせるよう家族にも協力してもらいながら自主練し取り組んでいきました。
病棟で統一して骨盤ケアを行えるように業務を変えていくことはなかなか難しいと感じながらも、まずは症状のある方にトコベルトを貸し出しながら使用してもらいました。

一度だけでは適切な使用はできていないこともあるので、何度か装着状況を確認しながら妊娠中から産後まで、骨盤ケアの三原則について伝えつつ、セルフケアできるようにフォローしていきました。
また、症状を自覚していなくても骨盤ケアが必要な人がいることを伝えトコベルトを導入、売店で購入もできるようになりました。妊婦相談や母乳外来、両親学級などでもご家族も含めてゴムチューブやトコベルトなど骨盤ケアや“まるまる育児”、セルフケアの大切さなど伝えていく機会を持つことができました。

医師からも症状がある方がいれば「トコベルトを」と声がかかるなど少しずつでしたが骨盤ケアに対する意識をもってもらえるようになった時は嬉しかったです。
病棟では入院されている背景が様々なので個別でのケア対応が主でしたが、病室単位でできる時には、一緒に骨盤ケアをしていると妊婦さん同士がお互いの姿勢を確認し、感覚や感想を話し合いながら、骨盤ケアの意識がより高くなるのを感じることができました。

【転職】
施設内での育児支援は産後1、2ヶ月くらいまでの期間がほとんどで、その後は地域へと引き継ぎます。就職して26年が過ぎ、「継続して母子を支えていくために地域での活動ができたら…」と考えるようになった頃、入院中に担当していた母子に街中でばったりお会いしました。
赤ちゃんは1歳になったばかりでしたが、極低出生体重児でNICUに長い期間入院していた子だったので、とても小さくてこれからも継続した発達支援が必要な様子でした。
そんな時、重症心身障害施設がスタッフを募集していて、通所施設の併設準備が進んでいることを知りました。

医療的ケアが必要な重症心身障害児は年々増加傾向にあります。しかし、地域には重症心身障害児の通所施設はまだ少ないのが現状です。
「産婦人科病棟で骨盤ケアや“まるまる育児”など、もっとスタッフと一緒に伝えていかなければ…」との想いはありましたが、「成長発達や地域での育児支援など学び、理解を深めたい」との想いの方が、だんだんと大きくなっていきました。

重度の心身障害のある方々の主な介護者は母が多く、退院後の不安を抱えながら育児をされています。そんな不安を軽減できるよう傍に寄り添い、一緒に考える身近な存在となり“育ち”を支えるための力になれればと、27年間働いた総合病院を退職し転職しました。

【これまでの学びを今の仕事に活かしながら】
そこでは、児童発達支援管理責任者・サービス管理責任者として、通所施設の立ち上げからかかわることになりました。予定通り平成31年4月に開設、医療的ケアの必要な重度の心身障害のある方々を通所にて受け入れ、在宅支援や発達支援を行っています。利用者は幼児から成人までと幅広く、支援には保育士・理学療法士・看護師など多職種で携わります。
日々の支援では、医療的ケアもあり、少しの環境の変化でも体調が崩れやすいため“いつもの様子”を知り、表情や体調の変化に注意しながら、一人一人の心身の状況に合わせて発達遊びや体作りの支援をしています。

側彎や拘縮の程度、呼吸や表情、体の動きなど細かく観察し、緊張を緩和する手の当て方や強さなど、手から伝わる“快の感覚”を大事にしながらケアに当たっているときは、新しい発見の連続です。関わり方次第で体の緊張が強くなり、反り返ったり四肢が伸展したり、安楽に過ごすためのポジショニングやケアはなかなか難しく、試行錯誤の日々を送っています。

【私の願い】
今は周産期医療から離れていますが、家族との関わりの中できょうだい児の誕生の場面があります。妊娠週数が進むにつれ、大きくなるおなかを抱えて児を抱っこしたり、車いすや酸素・吸引器などの重い荷物を1人で搬送したり、予定日に合わせて児を預けるためのスケジュール調整をしたり…、障害児を持つ妊婦さん達は毎日大忙しです。
早産しないよう、安産できるよう、母子とも元気に退院できるよう、骨盤ケアは必要不可欠です。そのような妊婦さん達の安産ケアもしながら、お互いにほっとする場所も作れたら良いなと思っています。

将来、成長発達、育児支援をしながら、地域で家族のサポ-トができる助産師としても働けるようになれたらと思っています。そのためには、ケア提供者として心地よいケア、発達を促すケア、体作りと健康増進につながるケアができるよう、自分自身の体のセルフケアにも心がけていかねばなりません。
一時は生きていることすら奇跡に思えた私ですが、新生児ケア・発達応援・基本整体・カイロプラクティック・交感整体などのセミナーで得た学びは、私の生きる力となっています。それを日々の暮らしにも仕事にも注ぎながら、観察力・診断力・技術力の向上を目指し、日々研鑽し続けながら長生きしたい。それが私の切なる願いです。