神奈川県の保育士 横塚千恵美さんのコラム
“まるまる育児”に出会って描けるようになった夢

 
【モヤモヤしたまま結婚】
神奈川県伊勢原市在住の保育士 横塚千恵美と申します。夫と3歳の娘と3人で暮らしています。
私は小さい頃から色々なことを人並みにはできず、話して伝えるのも苦手です。このコラムも「頭の中にバラバラにある言葉や想いをどう書くとわかりやすいのか…?」と考えながら書きました。素晴らしいコラムを書けたとは思えませんが、最後までお付き合い頂けると幸いです(^^)
自己肯定感が低く、自分の意欲・自信について見つめても、何にも答えが出ない人生を歩み続けた私は、「本気でしたいことってなんだろう…? それが見つかれば私のモヤモヤを晴らせるかも!!」と考えました…。でも、何にも見つけられないまま時は過ぎ、結婚しました。

【“まるまる育児”と出会って】
「もう、夢とかやりたいことなんて…」と諦めていた妊娠中期、トコちゃんベルトの着け方を教わる教室とやらに参加しました。そこで“まるまる育児”の話を初めて聞き、雷に打たれたような衝撃が体中に走りました。
「私が探してきた意欲・自信についての答えが“まるまる育児”のに中ある! 知りたい!! 我が子をそれで育てたい!! 我が子だけでない!!“まるまる育児”は日本のこれからを変えられる!!」。そんな気持ちと共に、スケールが大きすぎる夢まで一瞬で描いてしまう私でした。

家に帰ってからもお花が周りにとんでいるような心地で、私の感じた全てを夫に伝えたくなりました。でも、話ベタな私が一生懸命伝えても、「どこかの回し者になったのか?」との不信感に満ちた視線を注がれるだけでは?
そんな情景が浮かんできたので作戦変更。「“まるまる育児”っていうのがあってね、いいと思ったんだけど…、一緒に行って判断して!」とお願いして、アドバイザーが開催する「お産教室」に一緒に参加してもらいました。
アドバイザー助産師の話は筋が通っていて、説得力もあり、夫も「“まるまる育児”をやろう!」と\(@@)/ 夫婦で心を合わせることができました。

その後、無事出産し退院。“まるまる育児”は、もっと大変であったであろう私の育児を楽しくしてくれ、育児を通して自分を認めやすくもなりました。
我が子も私の小さい頃とは全然違って、いろんなことができるので周りからよく驚かれます。
そんなことを体感しているうちに「“まるまる育児”を伝えられるようになりたい」とアドバイザーに憧れるようになりました。

そんな時、ママ友が出産し、ほやほやの新生児を「“おひなまき”して欲しい」と頼まれてお家に行きました。
でも、私が想像してたようには上手くできなかったのです。我が子よりも抱きにくく、“おひなまき”も上手くできない。
「怖い。教わってはいたけど我流満載の“まるまる育児”で1人を育てただけ。こんな私が関わったら無責任だ。私のことだからきっと何か起こしてしまう」と痛感。

でも、不思議なことに、「こんな時に力になれる仕事に就きたい! 無理かもしれないけど目指したい…」いう気持ちも同時にムクムクと湧き上がって来たのでした。やっと目指すことを自分に許可したのです。
この体験を機に自分の想いを色々な人に相談し、アドバイザーを目指す腹積もりを徐々に固めていきました。
まずは、今年の3月にメンテ“力”upセミナーを受講。そのまま学びを進めたかったけれど、コロナの影響で足踏み…、なんてしていられない私は、セミナー内で渡部信子先生が話していた講師ついて調べました。そこで、「この講師からも学びたい!」と、4月から“姿勢ケアサポーター”の講座を受け始めました。
そこでは、インスタグラムに投稿するという課題があり、「夢はありますか?」というタイトルの投稿をしました。このコラムに書ききれなかったことなども書いていますので、お暇な方はぜひ読んでみてください。→アカウント名chi1michi

その後、2021年10月からトコ・カイロプラクティック学院の基本整体セミナーを受講し始め、トコちゃんベルトアドバイザー・まるまる育児アドバイザーの資格取得を目指し始めました。
しかし、妊娠・出産・産後の世界は私にはわからないことが多く、トコちゃんベルトアドバイザー試験は不合格。まだまだ力及ばず…。
でも、自分からこんなに頑張れたのは生まれて初めて!! 落ちた今も前向きです。

取得できるかわからない難しい世界だけど、夫からは「次も受かるかわからないなんてダメだよ! ボーナスが入るし、やるからには絶対受からないとダメでしょ!」と叱咤激励され、自信のない私に頑張る覚悟をくれました。来年の試験でリベンジです!!

【保育士時代の私】
お恥ずかしい話ですが保育士になったのは「なんとなく」なんです。でも、なってみたら、日々の子どもの様子を保護者にお伝えしながら心を通わす時間が大好きになり、休みの日にもクラスの子に会いたくなるくらい愛着が湧き…。
共働きで子育てをしている保護者の方々の生活を想像すると尊敬の念しかなく、動機は曖昧でしたが、「保育士になれて良かった」と、当時も今も心から思っています。

仕事に就くまでは「どんくさい、話がわかりにくい、その他もろもろもキャラクター」と、周りから許してもらっていた私は、「どうにかしよう」とは思いませんでした。社会人になる下準備をしなかったのです。
保育士として働き始めると“できない壁”はさらに高くなり、皆が当たり前にサラッとこなすことを横目に見ながら、「人並みにできるようにならなければ…」と焦るようになりました。

「お給料を頂いているんだから、それなりに勤め上げる責任がある。どうにかしないといけない…」。そんな苦しい時、誰かが力を貸してくれました。その人達に感謝や憧れの念を抱きながら、自分を“ダメダメ保育士”と評価し続けてきました。申し訳なさ、情けなさ、自分が嫌い、そんな気持ちばかりを抱き続けた20代でした。

そんな私に根本的に足りないのは何か?? それは幼少期からの“小さなできる”の積み重ねです。だから保育士時代、「子どもがその子らしく意欲や自信を持って、のびのび過ごしてほしい」と願いながらも、「保育園という組織の中で任務を無事に遂行しなければ…」と、疲弊してしまう時期もありました。

【私が描く未来】
劣等感満載の私を書きましたが、周りからは「マイペース、好奇心旺盛、人との交流が好き、猪突猛進、夢見がち、実は自分の考えを持っていて我が強い、自分のことは大雑把で気にしない、変わってる」と言われます。

そんな私の描く未来は、全て「私が体感してきた人の温かさ」と「子どもの頃からどんなことを積み重ねて来たかったか」を基盤にしています。私は助産師さんのように、すぐに「骨盤ケア教室」「まるまる育児教室」を開くなんてできません。
でも、伊勢原に住んで5年、近所の人達の温かさを知っているし、ここには「子どもとママのために」と熱い想いを抱いて活動している人達もたくさんいます。学ぶしかない今の私を、ずっと応援してくれるママ友もいます。
困ったときには相談できる“まるまる育児のスペシャリスト”の方々との繋がりや学ぶ環境があり、今一緒に学んでる受講生とも一緒に悩みを共有できます。
そんな恵まれた環境の中、私が私を追い詰めることなく「保育士なんだから、こんなことができるのでは?!」と、アイディアが湧いてきます。

【私の未来案】
保育士として自宅開放。予約制で少人数。赤ちゃんとママが好きに過ごせる場を提供。
1)近所の高齢者による『伝承遊び』
2)才能満載の近所の女性とコラボし、ママがそこで体験・勉強している間に私がお子さんを預かる。
3)ファミサポの支援員として預かることに慣れたら、地域の必要な方のベビーシッターをする。
この中で“まずこれなら!”と思えることをやったら、次の方向性・需要がわかり、さらに、誰かと力を合わせて…と、新しい案が出てくるかも? 想像は無限大です。

そして、その次に描く未来は「人生に行き詰った私が、我が子が大人になるまでに知ってほしいこと」という視点で想像しました。
4) 池上彰さんのような方を探して『わかりやすい政治のお話』(子どもが学ぶ体でママも政治を理解できる)(オンライン)
5) 『将来どんな仕事につきたいか教室』将来やりたいことを自分で選択できるように色んなお仕事を紹介する(オンライン)
6) お話しできる人を探して『TVやゲームの影響を知ったうえで楽しもう』
などです。

【最後に】
今書いたことは、スケールが大きすぎる私の夢の一部です。現実問題今は無理なので大きな声では言えないけれど…ずっと先の未来でもいいから、親戚・家族・ママ・赤ちゃんの体をメンテナンスできる人になりたい。
“まるまる育児”は私に「やりたい!」という意欲をくれました。夢も素直に描けるように自分が変わってきました。子どもの頃や、学生の時に何かに打ち込む体験をしてきた人が多いと思いますが、私は今ようやくその体験をしているのです。

試験に落ちてもなんでも前を向いて進もうとする自分にびっくり。自分に感動するなんておかしいけどそんな感じです。今更ながら“青春まっただ中”で心が忙しいです(^^)“まるまる育児”が当たり前になったら、子どもたちの目の輝きが変わり、その子ども達がこれからの日本を支えていくと思います。

でも、究極、皆が“まるまる育児”をしなくてもいいと思っています。“まるまる育児”をしたってできないこともあるし、それに、できないことがあったってその経験が今の私に繋がったのだから‥‥。私と同じように悩んでいる方、いませんか? 一緒にこんな未来を描きながら、自分にできる支援を探してみませんか?