三重県の医院勤務助産師 児玉 久美子 さんのコラム
不純な動機で進んだ助産の道で、骨盤ケアの虜に
【はじめに】
私は三重県四日市市のクリニック勤務助産師 児玉久美子です。降って湧いたようなこのコラムのお話。戸惑いながらも「自分にとってプラスと働く何かがあるはず…」と思い、引き受けさせて頂きました。
【不純だらけの動機から】
私が看護師、助産師を目指した動機は不純だらけ。まず、看護師に興味をもったのは保育園児の頃。私達が子どもの頃は、毎年冬になるとインフルエンザワクチンの集団接種がありました。
年に1回のアルコールの匂いと、アルコール消毒した後のスーッとしたあのさわやかな感覚。
「看護婦さんになったら毎日この匂いを嗅げる。あの感覚を味わえる」。そんな夢を抱いていました。
そして、私にはもう1つなりたい職業がありました。それは保育園の先生です。保育園の担任の先生が大好き過ぎて「保育園の先生になれば、大好きな先生とずっと一緒にいられる」。そんな想いから保育士にも憧れがありました。
高校3年生の夏。大学の進路先を決める時も、看護師か保育士、どちらの道に進むか迷っていました。決め手となったのは、その当時「この先少子化が進む」と見聞きするようになったことです。
看護師不足が騒がれるようになった時代で、2年後3年後の就職活動を考えた時に、「看護師の方が引く手あまたで楽ができるだろう」と、そんな気持ちで看護師を選びました。
そして看護短大で3年学び、いよいよ就職活動の時期がきた時に、まだまだ遊んでいたかった私は、就職しないで遊ぶためには保健師か助産師を取るために上に進むしかない。
保健師か助産師か悩んだ時に、保健師は地域の老人の家庭訪問のイメージしかなく、子どもが好きだった私は迷うことなく助産の道を選びました。
【総合病院に就職して】
そんな不純な動機で助産師となった私は、総合病院に就職し、初めて分娩介助に着いたとき、とんでもない道を選択したとすごく後悔しました。
お産は生と死が常に背中合わせで、赤ちゃんは元気で生まれてきて当たり前と言う、パパ&ママ&ご家族の概念に「違うんだよ」「元気で産まれてくることは奇跡なんだよ」と常に思いながら分娩介助をしていました。
そして私が就職して1年でPICUの立ち上げがあり、妊娠22週に満たない破水の産婦さんの管理や、当時の重度の妊娠中毒症の管理など、異常妊娠のケアにも当たりました。
当時は「どうしてこんなことになるのか? 不妊治療で授かった子だから、こんな妊娠経過になるんだ」。そんなふうに思っていました。
【出産・退職・再就職…】
そして子どもを授かり、出産を期に総合病院を退職したのですが、結婚して三重県に引っ越して来た私にはお友達がなく、子育ての毎日で大人と話さない時間が長すぎ…(-“-;
次第に“働きたい欲”が止められなくなり、息子が1歳6ヶ月の時にAクリニックに再就職しました。
1歳6ヶ月の子どもを抱えて働く毎日は、目まぐるしくも充実した楽しい日々でした。そんな時に2人目を授かり、私も主人も自営業の家庭で育ったせいか、「子どもが帰宅する時間には家にいてあげたい」、子ども達もきっと「お母さんには家にいて欲しい」と思うだろうからと、しばらくの間現場から離れ、子育てに専念しました。
下の子が小学校へ上がるタイミングで時短勤務での再就職を考えていたときに、知り合いから「助産師を募集してるけど働かない?」と声をかけられたのです。
まだ下の子は年長さんでしたが「これも何かのご縁」と思い、予定より1年早く、Bクリニックに時短勤務で再就職しました。
時短勤務の時は主におっぱい相談を担当し、産後のママ達と関わる時間が多く、泣き止まないbabyちゃんの症例に何件も当たりました。その時は「赤ちゃんはお腹いっぱいになれば寝る」「満たされればぐっすり眠れる」その程度の知識しかありませんでした。
Bクリニックでは、トコちゃんベルトを使っていましたが、正しい知識を持っているスタッフはいないようで、「産後の腰痛・恥骨部痛を訴えるママ達の痛み軽減用のベルト」との認識で、正しい装着方法も知らずにママ達に指導してました。
Bクリニックで10年勤めましたが、閉院が決まり退職を余儀なくされました。
【開業準備中に骨盤ケアに遭遇】
「いつか開業したい」との想いを抱きながらクリニックの助産師仲間と、退職を期に勢いで開業届けを提出しました。
でも、おっぱいで開業してもおっぱいだけでは集客は難しいと考えた私は、自分のスキルアップのために、マタニティヨガや産後ヨガ、ベビーマッサージなどの資格取得に夢中になりました。
そのヨガの指導者養成講座?で、今の私のパートナーとなっている看護師の西口さんと出逢いました。
彼女に「トコちゃんベルト興味ある?」と聞かれ、Max興味があったわけではありませんが、「自身のスキルアップのために講習受けるのもイイなぁ~」。その程度の興味でメンテ“力”upセミナーに参加しました。
受講中、ヨガの指導者養成講座で教えていただいても“ピン!”と来なかった内容が、骨盤を知ることで全てがつながり、腑に落ちることだらけ。まさに目から鱗状態でした。
そんなことから私はこの世界にどっぷり浸かることとなりました。
【コロナ禍でもZoomで】
その頃、新型コロナウィルスが流行し始めて、助産所の開設どころではなく、どのセミナーも延期続きに…(-“-;
でも無職だった私は、コロナ禍でも信子先生がセミナーを開いてくださったお陰で、様々な勉強をすることができました。
失業保険の支給が終わったタイミングで、西口さんに「骨盤ケアとまるまる育児をクリニックで広げるために、私と一緒にやって欲しい」と誘われ、彼女が働いてるCクリニックに就職しました。
コロナの影響で、Cクリニックで行っていた妊娠さんや産後のママ&babyちゃん達のお教室は全て中止。でも「何かできることはないか?」と院長から提案されて、「Zoomで骨盤ケアとまるまる育児の教室をやってみます」と西口さんが手を上げ、見切り発車状態でZoomでの教室を始めました。
勤務の都合上、月に1回の開催ですが、毎回満席になる程の需要があります。
まだまだ妊婦さんへの骨盤ケアの浸透が薄く、吸引分娩や骨盤位での帝王切開の件数が多く、ママのお腹の中でキレイに丸まれなかったために、反り返ったり、体がゆがんだり、頭が変形したり…そんなbabyが多いのが現状です。
スムーズなお産、生まれて来るbabyちゃんのために、「もっと妊婦さんに骨盤ケアの重要性や、必要性をお伝えして行きたい」。そして「もっと信子先生から様々なことを学んで、いずれは開業助産師としても働ける技術を身に付けたいなぁ」と思っています。