【トコちゃんベルトを両手に走る巫女さん】
コロナ禍の行動規制が始まる前に、熊野本宮大社にお参りする機会がありました。
その時、巫女さんが両手にトコちゃんベルトを抱えて境内を走っている姿を見かけ、私の丸い目はいっそうまん丸に (◎o◎)!
「犬の日のご祈祷なのだな」と頷きながら、このようにトコちゃんベルトが浸透していることに、深い感慨を覚えました。
【開業、産後の体調不良】
遡ること、ウン十年(^O^)、私は1997年9月、和歌山県田辺市で「ちひろ助産院」を、「坂本助産所」と共同で「バースハウス朝日ヶ丘」として開業しました。
2006年、バースハウス朝日ヶ丘より分かれ、現在の施設を建て完全に独立した「ちひろ助産院」を開き、現在に至っています。
http://iiosan-chihiro.com/info/
ちなみに、坂本助産所は、かの有名な全国最高齢開業助産師 坂本フジエ先生が院長。95歳まで現役を続け、多くの若い助産師を導いて下さいましたが、今年の2月に97歳で大往生を遂げられました。
完全独立するまでの間、自身の出産を2度経験したのですが、2000年、第2子を回旋異常で出産してからというもの、体調不良・不定愁訴に悩まされていました。
でも、すでに開業していたため、首の牽引、筋弛緩剤内服、整体などの対症療法を受けながら、育児と助産業を両立することに必死でした。
【骨盤ケアとの出会い】
そのような時、当時の母子整体研究会の講師を、県助産師会の研修会に招いて“骨盤ケア”なるものを学ぶ機会がありました。その時にトコちゃんベルトの装着を体験したのです。
なんと! 私は腰に羽が生えたような感覚を覚え、「今までの不調がこれで改善されるのではないか?!」と、衝撃を受けました。
このような経験があり、骨盤ケアの重要性については身をもって知った私ですが、私のクライアントさん達に、都会で施術を受けるよう勧めることはできません。
なぜなら、和歌山県南部は平野が少なく、田辺市の街中から少し離れれば、それぞれの集落は陸の孤島。中には限界集落に近いようなところさえ…(-“-;
「妊産褥婦達のために、私が学ぼう!」と決心するしかなかったのです。
それからというもの、健美サロン渡部大阪北天満サロンで開かれていたセミナーや講習会などを受け、必死で勉強を始めたのが2002年。頑張りました。
おかげで天満Aホテルの会員となり、ポイントもかなり貯まりました(*^_^*)
渡部信子先生には田辺市や和歌山市まで何度か来ていただき、セミナーを開いてもらった時には、たくさんの仲間が受講でき、2005年ころから業務に骨盤ケアを取り入れ始めることができました。
【しんどい体から徐々に】
信子先生をはじめ講師の先生方は、当時からパッションが溢れていて、私達に様々なことを教えてくださいました。
しかし、元々の私の体がしんどすぎて、実習ではなかなか上手にできず、先生方にダメだしされながら、涙する(;-_-) そんな日々が続きました(^^;
ある時、北天満サロンで渡部博樹先生の交感整体セミナーが始まる前に、体験会的な単発セミナーがあると知り、参加しました。
その時も電車で会場まで行ったのですが、電車に酔ってしまいフラフラでセミナーに参加していました。
その時、博樹先生に「悪い体の見本」として、受講生の前で施術をしてもらったのです。
そして1日の研修が終わり、また電車で自宅まで帰りました。
家に着くまでの間に電車酔いで2~3回は嘔吐するのが常だったのに、あら不思議、今日は酔ってない!
そして、研修に行った次の日はたいてい寝込むのに、あら不思議! 元気いっぱい。
こうして骨盤ケアから始まり、基本整体・交感整体で整えられた私の体は、徐々に「しんどさ」から脱却していったのです。
【10年単位で】
ところが、北天満サロンが閉鎖されてしまい、それ以後はセミナーから足が遠のいてしまいました。何しろ、田辺市からは京都も東京も、遠い…(-“-;
その後、2012年7月、田辺市の紀南病院の嵐主任助産師(当時)の尽力のお陰でメンテ“力”upセミナーが開かれたのです。
この時もたくさんの助産師が受講でき、久々に元気をもらったのですが、和歌山県で開かれたのは、後にも先にもこの時だけ…。
和歌山県での骨盤ケアは、点から線、線から面へと、少しずつ広がっていくのが感じられていたのに…、年々妊産婦の心も体は弱くなり、妊娠もお産も育児も大変になってきています。
う~ん、何とかならないものでしょうか?
振り返れば、私が骨盤ケアに出会ってから20年が過ぎ、骨盤ケアという言葉は全国で市民権を得て、学会発表や、エビデンスの提供など、本当に躍進された渡部先生をはじめ、講師の皆様方のご苦労も半端なかったことでしょう。
そして、犬の日のご祈祷は、トコちゃんベルトになり、メルカリなどでは中古品も販売されているという(@o@)
でも、トコちゃんベルトや赤ちゃんの“おひなまき”など、田舎では受け入れられるのに10年はかかったように感じます。
【骨盤ケアなくして】
「本当によくぞここまで浸透したな…」と感慨深い思いに浸りつつ、現実を見つめると…。
田辺市の出生数は年間500を割ってしまいましたが、当助産院での平均出産数は年間約30。助産師不足、私ども助産師の高齢化もあり(^^; 、分娩予約は制限せざるを得ません。
骨盤ケアをしていれば、分娩のメカニズムも理解でき、お産が怖くない! そうして、安産が続くと産婦も助産師も楽チンです。
「もっと若い助産師さん達が骨盤ケアを駆使してくれれば、楽できるのにな~」などと、夢見ているのですが…。
骨盤ケアなしで、ワガママボディのままのお産の介助は、怖すぎますね。
なので、今後は
*「骨盤ケアなくして妊産婦保健指導なし」
*「助産師たるもの、骨盤ケアを知らずして分娩を語るなかれ!」
*「助産師には何もしない罪がある」
これらの“大平語録”と、助産学生に骨盤を診ることの重要性を伝えていきたいと思っています。
「腰が痛いよ~、恥骨が痛いよ~(~_~;)」などの訴えを放置すれば、難産は目に見えています。そこに、保健指導としてアプローチできる助産師を育てたいのです。
私は助産学生に伝えていきたい。
「何もしないことは罪であると、自覚してほしい」、「観察して、アセスメントまでは誰でもできる。アセスメントに基づいて、助産ケアができる助産師になろう!」と。
学生時代にまいた種が、助産師になった後、自分で学びながら上へ上へと伸びていってほしいと願いつつ。
私には一歩一歩地味に種まきをすることしかできませんが、トコ企画・トコ助産院・トコ・カイロプラクティック学院など、様々な学ぶ場で、渡部先生やその仲間達から学んでください。
そして、「助産師たるもの骨盤ケアを知らずして、分娩を語るなかれ!」を胸に、助産師として誇り高く生き抜きましょう!
最後に皆さん、坂本フジヱ先生から渡されたバトンを、多くの手でしかと受け取り、次の世代へとつないでいこうではありませんか(^o^)/゜