開業助産師 目黒美千子先生のコラム
過去に戻って、自分の体を整えてあげたい。

 
【はじめに】
私は助産師歴30年、3人の子どもを持つ助産師で、今は茨城・埼玉・東京を駆け回りながら、整体師として開業しています。
長年、妊娠・出産・育児などに携わり続け、その中で様々なマイナートラブルの方とお会いしました。そういう私も、マイナートラブルの塊のような体でした。

【私のマタニティライフ】
最初の妊娠は勤務助産師の頃でした。勤務している方にはありがちなことですが、妊娠継続が難しく、3回も流産してしまいました。
同世代の人達に次々と追い越され、「私は何で妊娠継続できないんだろう」と、悩み、「何か理由があるのかも?」と考えていたところ、ふと気になったのが腰痛。
何せ、看護師になりたての頃は、夜になると動けないくらいの腰痛が1カ月くらい続き、様々な科を渡り歩いたものの、原因がわからず…。そのうちに日中も歩けなくなり、回診車にもたれかかるようにして、なんとか押し歩き、仕事をこなしている始末でしたから…(-“-; 
ところが、再受診した内科で「内臓下垂」と言われ、毎晩逆立ちをして、ようやく治ったという顛末です。

その後、ようやく妊娠できたものの、つわりに始まり、心臓あたりが痛く苦しくなったり、中期でも消化されないおにぎりを吐いたりと、マイナートラブルのオンパレード。
でも、何とか妊娠を継続でき、産婦人科医の診察を受けて、胃薬・痛み止め・湿布などもらっていましたが、スッキリした記憶がありません。

安楽なお産を望んでいたにもかかわらず、子宮口が9 cm開大したところで引っかかって降りて来ず、難儀していたのを覚えています。
仕事で双胎妊婦さん達の長期絶対安静の入院生活を看ていたので、「こんな体の私が双児なんて、産めるはずがない」と確信していました。
ところが、次の妊娠が一卵性双生児! そうとわかった瞬間、双胎妊婦さん達が臥床している姿が目に浮かび、「あのようにはなりたくない!」と思いました。

でも、不思議と1人目の妊娠時のようなマイナートラブルは、やって来なかったのです。「なぜなんだろう?」と考えたとき、「整体を受けているからだ!」と直感しました。
というのは、1人目の産後にスノーボードで骨折し、そのときに出会った整体の先生のところに定期的に通っていて、そのおかげか体調は良く、「だからマイナートラブルはやって来ないんだ」と納得。
双子妊娠中も妊婦健診よりマメに、毎週のように整体の先生に診てもらい、快適なマタニティライフを楽しめました。

妊娠34週になると、双胎間輸血症候群管理のため入院しましたが、毎日、新人医師の超音波検査に1時間も付き合わされ、胎児心拍監視装置の装着のみで、点滴をすることもなく、プラプラと入院生活を過ごしていました。
もちろん、外出して整体には通っていました。

分娩は医師の都合により陣痛誘発をすることになりましたが、陣痛発来とともに波に乗り、あっという間に息みたくなり、分娩室まで間に合わないくらい、2人ともスルリと生まれて来ました。

【クリニックの師長となって】
今から17年前、私は師長として、はやかわクリニック開業に向けて、様々なセミナーを体験し「院内で役立つことはないか」と模索していたところ、(旧)母子整体研究会のセミナーに出会いました。
今までの、教科書受け売りの知識とは違って、現実を直視し、考え、問題を解決するための方法がギッシリ。受けた衝撃の大きさは計り知れず…。
それを皆に伝え、茨城ではまだ広まっていないトコちゃんベルトと骨盤ケアを根付かせようと、奮闘が始まりました。

まずは、スタッフに伝えたく、(旧)母子整体研究会のセミナーをひたちなか市で開くために、渡部信子先生に遠征してもらいました。
皆でセミナーを受け、その夜、(旧)トコちゃんベルトを持って、切迫早産で長期間入院中の妊婦さんの所に、皆そろって着けに行きました。
すると、彼女の口から「体が楽です、動けます」と(@@)!「おー、すごいねー」と感動しあったのを、昨日のことのように覚えています。
ちなみに、(旧)トコちゃんベルトは今ではお目にかかれない骨盤ベルト・腹帯一体式のベルトで、ぜひとも復刻してほしい品の1つです。

それからは、院内で骨盤ケア指導と一緒にトコちゃんベルトを販売し、それを皆の指導料として反映させることで、骨盤ケア指導が根付いてきました。
しかし、年々安楽なお産の件数が減少し、帝王切開が増加していくばかり。
それを何とかしたく、マザークラスの中に骨盤ケアを入れることで、帝王切開の件数が減ってきました。
このことは、第50回日本母性衛生学会総会・学術集会 青葉共催のランチョンセミナーで発表させていただきました。
https://med.tocochan.jp/abstracts/bosei-50-05/

【整体の道を邁進】
多様化するライフスタイルの中、少しずつ私たち女性の体も変化しています。
長年の経験から、女性達のお悩みをサポートする道を探しているうちに、自然とトコ・カイロプラクティック学院の道へと進んで行きました。

2005年にオステオパシーセミナーを、2008年にベーシックセミナーを修了してからは、入院中の方から外来の方まで、皆さんに快適なマタニティライフを送っていただきたく、助っ人代わりのメンテボールを片手に、逆子の方はもちろん、なかなか進まない産婦さんや、切迫早産の妊婦さん…と、部屋から部屋に走り回っていました。

朝、着替える間もなく「今日陣痛が来ないと帝王切開になるんです、お願いします」の申し送りから始まり、骨盤を整えてから1時間後で陣痛発来し、帝王切開を回避できたことを覚えています。
夜勤ではこれまた、(旧)母子整体研究会で習った方法を中心に、“おひなまき”を片手に、母乳を飲めない子のケアをしながら、“まきまき授乳指導”を片っ端から行っていました。
すると、「初めて吸ってくれたー」というお母さんの声が嬉しく、昼も夜も院内を駆けずり回っていました。
一方、師長業務は電話片手で…。今考えると申し訳なかったなぁと思います。

同年カイロプラクティックセミナーを修了し、妊産婦の体が年々崩れていくのに比例して、新生児も大変になってきました。それまでなら“おひなまき”でスヤスヤ眠ったのに、抱っこしていないと泣く子が増え、何とかしたく2011年、交感整体セミナーを受講し、修了と同時にクリニックを辞め、M&M(Meguro & Mammy)整体サロンを開業。 http://m-and-m.mimoza.jp/ 本格的に妊産婦のケアとベビー整体を始めました。

【私の妊娠分娩を振り返って】
3回流産した時も、1人目の妊娠時も、まだ骨盤ケアもトコちゃんベルトも全く知りませんでした。あのとき、トコちゃんベルトが普及していたら、「流産もしなかったんでは…」と悔やまれるばかり(;-_-)
1人目の妊娠時のマイナートラブルのオンパレードも、今なら「内臓下垂から起きた症状で、子宮の形もおかしくなっていた」と推測されます。
1人目の分娩には軟産道強靭なんて病名が付けられていましたが、実際は骨盤のゆがみによって、きちんと回旋せず、陣痛も効果的に働かなかっただけだと思います。

今、整体を生業としている自分が、過去に戻って、私に整体をしてあげられたら、もっと楽しいマタニティライフを送れ、満足なお産ができたのに…と、重ね重ね残念です。
でも、定期的に整体を受けるようになって、双子の妊娠中に重力に対して逆らって動くことを学び、整体の凄さを感じていました。
「妊娠中に整体なんて…」と怖がったり、躊躇したりする方も多いようですが、私は双胎妊娠中に整体に対しての“免疫”が、しっかりと全身に定着してしまったようです(^^;

【開業してから】
開業当初は「食べていけるかな?」と不安がありましたが、クリニックで診ていた方々から紹介していただき、少しずつクライアントが増えていきました。
整体サロンも、ひたちなか市だけでなく、高輪でも月2回、さいたま助産院内でも始めました。

忘れることができないこと。それは、開業して間もなく東日本大震災に遭遇したときのことです。幸い、私のところは大した被害が出ませんでしたが、それでも信子先生をはじめ皆さんの支援はありがたかったです。

ちょうどその頃、信子先生から「高輪サロンの部屋を使って、骨盤ケア教室を開かへんか~」と、言われるままに「トコちゃん骨盤ケア教室」を開くことにしました。
その頃は、他ではまだこの教室はほとんど開かれていなかったので、毎回10人以上の参加者がありました。
現在はコロナの影響もあり少人数で、骨盤ケア教室・“まるまる”育児教室を開いています。

初めはメンテボールが助っ人でしたが、交感整体・カイロプラクティックと、毎月のセミナーで得た技術を使えるようになるにつれ、クライアントから「ゴットハンド!」など言われると自信がつき、現在は、池袋椎名町サロンでも開いています

つらい体は、ママだけでなく赤ちゃんにも連鎖します。赤ちゃんがスヤスヤ寝てくれたら、ママも楽になれます。
母子セットで交感整体を行うことで、母乳育児もできなかった方ができるようになっていくのは、大変うれしく、やりがいを感じます。
今後も技術や知識を学びながら、多くの皆さんに心と体が楽になるケアを提供できたらと思っています。