福岡県の開業助産師 楠野雅子先生のコラム
視力障害を持つ息子を育てながら、苦手を克服しながら

 
【トコちゃんベルトとの出会い】
こんにちは、福岡県大野城市で息子2人を育てながら、なごみ助産院を開業している楠野雅子と申します。
22年前、勤務していた総合病院で第1子(長男)を出産後、当たり前のように入院中からウエストニッパーで、腹部~骨盤上部を締めて養生していました。尿漏れがひどくても「よくあること」と辛抱していたところ、腰の痛みは日に日にひどくなり、お尻もどんどん大きくなり…。

先輩助産師に相談したところ(旧)トコちゃんベルトを紹介され、着用したところ尿漏れがなくなり、骨盤と姿勢が安定したことを今もハッキリと覚えています。これが、トコちゃんベルトとの初めての出会いでした。

当時はまだ骨盤ケアを知っている助産師は、福岡県にはほとんどいなかったのですが、幸い、先輩助産師が骨盤ケアを知っていたお陰で、私は救われました。何も知らなかった私は、不覚にも裾広がりの骨盤を作ってしまっていたのです。
運動不足で歩くことが少なかった私は、第2子(次男)の妊娠中は、切迫早産で安静、運動もせず、産後は前回よりもいっそう骨盤がユルユルになっていました。トコちゃんベルトを着用し、さらしで腹部を支えていましたが、尿漏れや肩こりもひどく、体調はすぐれず、産後の体の変化を実体験し「子育ては体力・気力が重要」と思い知りました。

次男は生まれつき視力にハンディがあったため、病院を退職し定期的に福岡市立こども病院に通院する生活が始まりました。受診するたびに厳しい現実を突きつけられ、気持ちも沈むばかり…。そんな私を見た保育園の園長先生から「家にこもっているよりも、仕事をして前向きに生きる方がいいよ」とアドバイスを受け、産婦人科医院で週に数日、パート勤務をすることにしました。

以前勤務していた総合病院とは桁違いに分娩数が多く、外来・病棟などで働いているスタッフの仕事ぶりを目のあたりにし、圧倒されるばかり。「このような方々によって地域医療は支えられているのだ」と、何もできない自分のふがいなさを痛感しました。

【骨盤ケアとの出会い】
新しい職場では、分娩数の多さに比例して、分娩が進まずしんどい思いをしている産婦さんや、マイナートラブルに悩む妊産婦さん達に関わることが多くなりました。それにつれて「口先だけの励ましだけでなく、具体的に役立つ指導ができるようになりたい」「楽になるケアができるようになりたい」との思いは膨らむばかり。
すると、助産師雑誌などに載っているセミナーの広告が気になるようになり、同僚の助産師に誘われ、(旧)母子整体研究会のセミナーを受講し、渡部信子先生と出会いました。

【骨盤ケアを学ぶ】
さっそくセミナーで習った操体法やゴムチューブ体操を、妊婦さん達に勧めると「気持ちがいい、楽になった」と笑顔。分娩進行が良くない陣痛の合間に、簡単な操体法を勧めると、一気に産婦さんがいきみ始め、あわててお産の準備。恥骨痛の褥婦さん達は、ゴムチューブで骨盤ゆらゆら調整をすると、症状はみるみる改善。
関わった妊産褥婦さんからの喜びの声に励まされて、どんどんのめりこみ、トコ・カイロプラクティック学院のオステオパシーセミナー・カイロプラクティックセミナー・交感整体セミナーと受講しました。産婦人科医院でパート勤務しながら、分娩介助・外来・教室・乳房ケアなど、多くの妊産婦さんと関わった5年間は学びの連続でした。

【家族の協力のお陰で】
土日に受講するときは、山口の実家に子ども達を預けていました。セミナーで習得した技術を自宅で復習するときの練習台は、もちろん家族です。家族の協力のお陰で学び続けることができました。
あるとき、実家に向かわせようと、子ども達を新幹線に乗せて送り出しました。セミナー受講中、携帯に知らない番号から何度も着信があり、折り返し電話をかけてみたところJRから「広島駅から新山口駅に止まる新幹線に乗せて、息子さん達をお祖母様に無事引き渡しました」と連絡を受けたのです。えーっ、私が乗せたのは新山口駅に停車しない新幹線だったということ?!
当時小学1年だった長男が機転を利かせて車掌室に走り、車掌さんに知らせたと知り、冷汗が流れたことは今も忘れられません。
それから何年かは、長男からは列車に乗せるたびに、目的地に停車する列車かどうか、念を押されたものです。このように抜けている私ですが、周りの方々の支えのお陰で、息子達はしっかり育ってくれています。

【趣味の空手】
子ども達に強く育ってほしいと願って、次男が年少の時に始めた空手ですが、長男と私の方がハマりました。息子達は部活もあり辞めましたが、私は数年前から体力の維持と健康のために再開し、今も仕事の合間に空手に通っています。自宅で形をふっていると、長男が「引手が甘い」などと、改善点を一言で指摘してくれます。渡部信子先生も空手を始められて、めきめきと上達。先生はスピードと集中力が違います。

【骨盤ケアを生かすため】
眼科医から次男の視力に関して「手術しても視力の回復はできない」「現在見えている側の目も定期健診が必要」と言い渡され、次男が小学校入学を機に医院を退職しました。
いったん立ち止まり、育児と自分の仕事のできる範囲でと思い、次男の時にお世話になった助産院で月に数日間、お産の勉強をさせていただきました。感謝しかありません。

その後2007年に出張専門で開業し、知人の先輩助産師さんや関わったお母さん達からの紹介、口コミで仕事を続けてこられました。
7年前からはアパートを借りて、骨盤ケア・母乳ケア・べビーケアや、トコちゃんベルト指導などの仕事を続けています。
1対1でお顔を拝見しながら、意思の確認をしながらのケアが私には合っていると思うので、この働き方でこれからも続けていことうと思います。

【妊産婦さんの体、赤ちゃんの体と哺乳の変化】
開業して14年になりますが、スマートフォン普及につれて、頸椎のズレがひどく、脊柱も強い捻じれを伴ってゆがんでいる母子が増え、対応に苦慮することが増えてきました。赤ちゃんは反り返って泣き叫び、強い向き癖、浅い睡眠、上手く飲めない赤ちゃんは増えるばかり。お母さんも睡眠不足と疲労で「赤ちゃんを可愛いと思えない。育児がつらい」。赤ちゃんが泣くので、日中ずっと抱っこをしているため「腱鞘炎で手が痛くて何もできない」と心身共に疲れて、途中で育児を投げ出すのではと気になる方も増えてきました。
自分の体を自分でシャキッと支えて、楽に日常生活が送れる体作り、出産・育児に対応できる体作りの大切さを痛感します。

人前で話すのもネットも苦手な私ですが、2年前にようやくホームページ を開設しました。
https://nagomi1131.jimdofree.com

先生から、私の至らない点や苦手も克服していくよう、助言・指導していただけることは有り難いことです。
昨年の10月と12月に、福岡天神サロンで渡部信子先生の施術会が計画されたときに「アシスタントと世話人をして!」と声をかけていただきました。「私にそんな大役が務まるのだろうか…」と恐縮しながらも引き受け、私の所に来られていた母子を10人ほど施術してもらいました。

先生のしなやかでスピード感あふれる施術を見ているうちに「見ながら、真似ながら、学ぶんや」と言われている意味がよくわかりました。施術会で学べる時に少しでも技術を吸収し、クライアントの行動変容につながるような指導ができるようになって、母子のケアに役立てたいと思っています。

今後も変化していく妊産婦さんに対応できるよう、ケア技術を高めながら妊娠・出産・育児のサポートができる介助者であり続けたいと思います。