公立勤務助産師 Mさんのコラム
頭痛・咬合不良に長年耐えながらも、ケアを業務に
【はじめに】
とある県立中央病院に勤務し26年、骨盤ケアと出会い十数年となる助産師Mです。
昨年の10月に渡部信子先生と再会し、施術を受けた後、「コラムを書いて…」とのメールが届きました。
公立病院という多くの制約の中で、これという実績もない私に何が書けるのだろう…と、お断りしようと思っていたのに、「No.428のNさんと同じような感じでいいので」と勧められ、考えてみました。
骨盤ケアと出会ったことで、私の助産師としての人生が明らかに変化し、潤いと充実感をもたらしてくれていることは確かですので、書いてみることにしました。
【骨盤ケアとの出会い】
乳房ケアで悩んでいた10数年前、他施設の先輩助産師から「お母さんの全身を診ないと…」と、アドバイスを受けたのです。
どのように体を診たらいいのかわからず途方に暮れていたとき、骨盤ケアを紹介してもらい、(旧)母子整体研究会の入門セミナーを受けました。
当時、私たちの地域では医学的にも社会的にも、骨盤ケアは知られておらず、「このケアを現場でどのように実践していけばいいのか…? 私一人の力では難しい」と考えました。
そこで、先輩を口説き一緒に次々とセミナーに通い続けているうちに、少しずつ仲間が増えていきました。
それと同時期に、友人の経産婦が予定日超過で、明日から誘発予定で入院して来たときに、セミナーで覚えた基礎的なことを実践したところ、その晩に自然に陣痛発来し安産してしまったのです。
そのときの興奮は今も忘れられません。
【医師の理解】
セミナーで学んでいくうちに、妊産褥婦の診方が変わり、分娩へのかかわりも大きく変わりました。
そんな私の姿を見たスタッフから、質問されることが多くなったため、学習会を開きました。
私のつたない技術を伝えるなんてことはできないため、まずは、考え方から伝え始めました。
「私でなく、やはり…、本物に触れるべき!」と考え、セミナー参加を呼びかけ、渡部先生の協力を得て、院内でセミナーを開くことができました。
スタッフの関心は高まりましたが、医師の反対はとても強く、当初はとても悩まされました。
そんな中、興味を示してくれたのはNICUの医師でした。
悩み続けながらも少しずつ状況は良い方向へと進み、できるケアを業務の中に少しずつ取り入れながら、黙々と働き続けました。
【NICUでの仲間】
2012年、NICUに異動になり、助産師は私も含め2人という状況の中、産科病棟のスタッフの理解度は、NICUとは比べものにならないくらい低いことに改めて気づきました。
妊婦になったスタッフでさえ、骨盤ケアを受け入れようとしない姿に愕然。
そんな中、私の一番の理解者は理学療法士さんでした。
毎日リハビリに来る理学療法士さんと、やり方を検討しながら実践し始めたときは、楽しくてワクワクしながら働けたのです。
一方、セミナーで学んだことを、技術が伴わず実践できなかったり、産科で考えていたよりも赤ちゃんの体が悪かったりで、自分ができないことが続くと、つらくなってしまい落ち込むことも…。
でも、私ができることから始め、赤ちゃんの苦痛が少しでも軽減できればと考えて働いているうちに、だんだんと落ち込むこともなくなりました。
【スマホと妊婦】
5年間NICUで働いた後、産科病棟に戻って一番驚いたことは、授乳クッションの数が増え、授乳時のクッションの高さが高くなっていたことです。
また、診察室・授乳室にもスマホを持ち込み、外来待合室は全員がスマホを見ている様子を眺めながら、スマホがもたらす姿勢の変化に唖然。
それに加え、私たちの地域は人口に対する自動車の保有率が高く、歩かないことで有名です。
都会に住む人たちよりも体が悪く、変化していくスピードも速いのではないのかと感じています。
NICUにいたときには「NICUに入院する児のお母さんだから、産科入院のお母さんより体がつらそうなのかな?」と考えていました。
ところが、5年離れていたせいで、妊産婦さん達の体の変化、分娩の変化をハッキリと感じることができたのです。
一方ここ10年、看護体制の変化から現場の状況は厳しくなるばかりで、一人一人の妊産婦さんに関われるのはごく短時間です。
私の実力不足でわずかなことしかできず、無力感に襲われることもしばしば…。
そんなときの強い味方は、共にセミナーで学び、いろいろなことを私に教えてくれる県内の開業助産師です。
直接的なケアや指導、また自分の診立てを伝えて、開業の方を紹介しています。
【私のウイークポイント】
医療の場において、他職種だけでなく助産師から理解を得ることの難しさを多々経験したことから、現場で実施している骨盤ケアについて研究し、まとめましたが不十分でした。
そこから「大事なことを人に伝え、理解してもらえる力が私には足りないんだ」と気付き、働きながら大学院に進学しました。
現在は修士課程を修了し、産婦人科外来で働いています。
産科での妊産褥さんへのケアに加え、婦人科外来に来られる子宮脱の患者さんに、骨盤のセルフケア体操や骨盤ベルトの着用指導などをしていると、受け入れの良い人の多いことに驚かされます。
私があがいているうちに、社会が変化し、認められるケアになったことを実感しています。
女性として優秀な先輩方(年配の方)の体の変化を毎日感じながら、今の生殖適齢期の女性を見ると「年齢を重ねたときにはどんな体になってしまうのだろう?」と危惧されます。
女性にとって自分の体を知り、整え、生活しやすくすることは大事なことです。
私自信、体調が悪く、歯並びが悪く、頭痛持ちで、長年にわたって鎮痛剤を毎日内服していました。
そんなときに出会った渡部信子先生に「あんたのような部分的に反対咬合で、上下の正中がずれている人の頭痛は、整体を受けるだけではどうしようもない」。
「セルフケアを毎日続けんかったら、40歳を超えたら死んでまうで~」と言われました。
信子先生に出会い、いろいろなことを知り、セルフケアを続け、時々施術を受けることで、命を長らえたと思っています。
昨年の10月に施術をしてもらって2~3日すると、すっかり頭痛が消え、母指と中指にかけての痛みも軽減しました。
この状態を少しでも持続できたらと、首回しのセルフケアを重点的に続けています。
これからも、不十分ながらもセルフケアに心がけ、自分の体の特徴を知り、少しでも長生きしたいと思います。
【これから】
これまで、セミナーで学んだ骨盤ケア・“まるまる育児”について、技術を伝えることは十分でなかったと思います。
でも、私の驚きや、感動を少しでも後輩に伝え、助産師のスタンダードとして伝えたいと思いやってきました。
その時の後輩達がどんどん成長して、今は他の病医院や助産院で骨盤ケアや“まるまる育児”を頑張って伝えています。
そんな彼女達の姿を見聞きするたび、「新たなつながりと縁を作ってくれている」と感動します。
10月に教えていただいた技術に関しては、上手くできませんでしたが、先生や皆さんがおっしゃっていることが、以前よりも理解できたことは不思議でした。
コロナ禍が収まったら勉強を再開し、その時々に自分のできることを考えながら、これからも母子ケアの普及に関わっていきたいと思います。