【はじめに】
三重県津市で、小学生の長女と 3歳になったばかりの双子の男児の子育てをしながら、フリーランス助産師として働いている森下妃呂子です。
双子の子育てに少し余裕ができた昨年(2019年)の夏、出張専門助産師として保健所に開業届けを提出し、赤ちゃん訪問や市の母親学級の講師を担当しています。
また、今年の2月には出張専門の“母子ケアサロン楽(sasa)”の開業を 税務署に届け出ました。
【赤ちゃん時代からの体のゆがみ】
私の赤ちゃんの頃の話を母から聞くと、「飲まない、けどよく太って、首すわりは遅く、反り返りがひどく、歩き始めたら極度のO脚で、装具を使用していた」とのこと。
加えて、反対咬合があり、顎・歯の矯正も受けるなど、母は私の育児にはずいぶん悩んだようです。
そんな子ども時代を過ごした私は、体の不調とゆがみに悩んでいた20代半ば、旧母子整体研究会のセミナーに出会いました。
セミナーを受講し「自分の体の悪さは、赤ちゃん時代からだったのか?!」と驚愕!
【東京で整体を研鑽、出張開業】
やがて、渡部先生との縁がつながり、東京に移り健美サロン渡部高輪分室で研修をしながらトコ・カイロプラクティック学院のセミナーを受講しました。
その頃の私は、受講生が集まっている中でも、体の悪さはひときわ目立った存在で、操体法を皆さんの前で行うと「死体だ…!」と言われるくらいでした。
カイロプラクティックセミナーを修了後、信子先生に背中を押され、妊婦さんや産後間もない母子の骨盤ケアを出張で始め、同時に都内の産婦人科医院で分娩介助にもあたりました。
【鹿児島に帰りサロン開業、結婚・自然妊娠】
3年間ほど東京で勉強した後、鹿児島の実家に帰り“母子ケアサロン楽(sasa)”を開業しました。
そんな体の悪い私でしたが、骨盤ケアと出会って約5年後に結婚すると、間もなく自然妊娠で第1子を授かりました。
妊娠中はさらしとトコちゃんベルトを使用し、毎日操体法を行い、とても順調なマタニティライフを過ごしました。
産婦人科医院で夜勤パートを妊娠8か月まで続け、出産する直前までサロンで妊婦さんや母子のケアを続け、以前の私を知る骨盤ケアの先輩助産師の皆さんを驚かせました。
【産後うつ】
そんな私は迷うことなく「出産はフリースタイル!」と決め、赤ちゃんが生まれるまでは安産でした。
ところがその後、出血多めの状態が続き、加えて、「産後は絶対に安静を守る!」と、徹底的に実行したことから、ひどい筋力の低下を起こしてしまいました。
元々、よく動き・運動している人と違って、私のような筋肉の弱い体には、「長期間の臥床は良くなかったのかも…?」と感じました。
筋力低下に加えて、母乳過多傾向にあった私は、何度も乳腺炎を繰り返し、精神的にも落ち込み、産後はうつ状態に陥りました。
産後2週間の頃、ちょうど信子先生が鹿児島にセミナーに来られていて、電話で私の状態をいち早く察知されたのか、セミナー後に私の自宅まで駆けつけて、施術をしてくださいました。
また、骨盤ケアセミナーで知り合った先輩助産師、大分の Lilas の芦刈さん、福岡の ohana の平山さん、東京の ひなた の佐藤さんは、私の状態を心配し、電話やメールで指導してくださいました。
【一卵性双生児を早産・帝王切開】
第1子で大変な産後を経験したうえに、夫の転勤に伴う頻繁な引っ越しにも疲れていた私は、いつしか「もう子どもを授からなくてもいい…」と思うようになっていました。
ところが、今の居住地 三重県に引っ越して間もなくの頃、妊娠に気づいたのです。
自然妊娠で授かったのは一卵性双生児! 一卵性双生児のリスクばかりが頭をよぎり、「私の体で双胎を育てられるのだろうか?」と、恐怖に襲われました。
妊娠10週のとき、名古屋サロンで信子先生に施術していただいたとき、「昔と違って立派な体になったな~! この体なら双子を臨月までお腹で育てられるで~!」と褒めていただき、ようやく真っ暗なトンネルの向こうに明かりが見えた気がしました。
しばらくの間は順調に経過していたのに、徐々に双胎間輸血症候群が進行し、2人の体重差が最大40%まで拡大し、弟の羊水圧迫が著明になってきたのです。
私が助産師であるとは知らない医師は、「弟はIUFD(胎内死亡)になるかもね…」とスタッフに話しているのを、偶然耳にしてしまいショック。
2人の体重差は大きかったのですが、治療できる週数まで到達しておらず、私にできることは、毎日さらしとベルトを巻き、操体法を繰り返すことだけでした。
その甲斐あってか、双胎間輸血症候群は徐々に改善し、治療の必要がなくなり、医師もただただ驚いていました。
双胎妊娠32週までは、切迫早産の症状もなく、自宅で過ごし、妊娠32週に病院の定める管理入院のため入院。
その後、入院によるストレスか、お腹の張りが増強し、妊娠33週で帝王切開となりました。妊娠32週過ぎてからの切迫症状だったため、点滴による子宮収縮抑制は行ってもらえませんでした。
「双子の育児は大変、第1子の産後はうつ状態だったし…」と、まったく自信がないまま育児のスタートを切ったのですが、先輩方のアドバイスをいっぱい頂きながら、双子を“おひなまき”で包み、第1子より徹底した“まるまる育児”で育てました。
授乳時間以外はよく寝てくれて、双子であるにもかかわらず、第1子の産後とは違い私も元気に過ごせ、双子をほぼ完全母乳で育てられたのです。
前回はいかに乳汁分泌過多だったか…? ということですね!
【再開業】
2回の妊娠・出産・子育てで、産後の体調不良・うつ、度重なる乳腺炎、早産、低出生体重児の育児、双子育児、経腟分娩、帝王切開…様々な経験をしました。
助産師としては、お恥ずかしい経験もたくさんありますが、これらの経験から、「産後のお母さんをサポートしたい! 多胎育児の支援をしたい!」の気持ちが日ごとに膨らんできました。
信子先生をはじめ先輩方にしっかりとサポートしていただいた私が、産後に感じたことは
・産婦人科では人が多くて話す時間がない…。
・小児科は赤ちゃんのことしか話せない。お母さんの体調はどこで相談したらいいの?
・双子育児は経験している人が少なく、聞ける人がいない。
・体がボロボロで外出する気になれない…。
そんなお母さん達の体と心を、サポートしたい! 妊娠中~産後のお母さんの良き伴走者でありたい! そう願い、再開業に至りました。
【時代の変化に目を向けながら】
信子先生と出会って早くも15年以上の月日が経ち、その間に、2段式の旧トコちゃんベルトは廃版となり、トコグッズの改良などを見てきました。
先生の“時流を読んだ素早い行動”と、“大胆な改良改善”には本当に感銘を受けます。
「ネットは苦手と、逃げている場合ではない!」と腹を決め、ホームページも開設しましたので、のぞいてみてください。 ⇒
https://sa-sa.jp/
信子先生の還暦を越えられてからの、ブログの開設やパワーポイントを駆使したセミナー、さらにはYouTube配信と、勇気をいただきました。
新型コロナウィルス拡大により、私たちの生活・仕事も大きく変化し、その現状に対応せざるを得ない時代がやって来ています。
自分の置かれた状況を受け入れ、時代の変化に目を向けつつ、自分の妊娠・産後・多胎児育児の経験を活かしながら、お母さん達が少しでも楽な体で、楽しく過ごせるよう、お手伝いしよう!
技術など未熟な点が多々ありますが、今後も学び続けながら、末永くケアに当たっていきたいと思っています。