東京都の子ども園で働く坂本瑞恵さんのコラム
悲惨な生まれ方をした私だからこそ伝え続ける母子整体

 
【はじめに】
皆様、はじめまして坂本瑞恵です。私は熊本で生まれ育ち、東京都内の公設民営のこども園で仕事をしている助産師です。
職場では150人の園児と50名の職員の健康管理や傷病時の対応、産前産後の保護者・職員の健康相談を行っています。

【母子整体と出会う前の私】
1970年、私が生まれたときの状況は悲惨なものでした。
妊娠39週で前期破水後の微弱陣痛で、羊水はドロドロに混濁し母体は発熱。
経膣分娩と帝王切開のダブルセットアップのもと、分娩は進行したものの、あと少しのところで回旋異常により、クリステレル(押し出し)5回の後に生まれたそうです。

アプガースコアは1分後5点、5分後7点。保育器に収容されミルクを飲ませてもらっても吐いてしまうので、何も飲ませてもらえず7日間経過。
当時は新生児への点滴の準備はなく、赤ちゃんが飲めるようになるまで待つしか打つ手はありませんでした。私を取り上げてくださった助産婦さんは、私が障害を持たずに育つか、大変心配されていたそうです。
その後は見事な運動オンチに育ち、鉄棒で逆上がりができない、のぼり棒を上れない、逆立ちもできない、走っては転んでビリッケツ…。見た目も、上下顎のかみ合わせが悪くゆがんだ口元、O脚・猫背。

高校生になり、自分の進路を決められなかった私は、看護婦の母に勧められるままに医療短大看護学科に進学。
元々、志しが無かった私は卒業を前にしたとき、「看護婦は様々な科に転属される度に勉強しなければならない。社会人になってまで勉強しないといけないなんて…」。「そうだ、助産婦になれば産婦人科のことだけ勉強すればいいんだ、この方が楽できる!」と短絡的に思い、助産学科に進学しました。
卒業後は熊本の総合病院で9年間勤めた後、産科クリニックに勤めました。総合病院在職中の分娩介助数が100例にも満たず、さしたる志しもなく仕事をしてきた私は、妊産婦さんや患者さんと向き合う中で、何も知らなかったという事実に気付かされました。
幸い、数万例の分娩介助を経験してきた先輩助産婦さん達に、手取り足取り腰取り…教えていただいたのですが、それにより自分の助産技術のお粗末さに気付かされ、落ち込むこともしばしば。そんな私を見放すことなく指導してくださる先輩方の、真剣に分娩に向き合う姿を見て、仕事にもやりがいを持って取り組めるようになっていきました。

そんな中、私は結婚し妊娠。つわりが出産まで続いた以外にマイナートラブルはなく、出産は経膣分娩で出血も少なく、赤ちゃんも元気。「こんなに可愛い赤ちゃんに会えるなら、陣痛なんて問題にならない」と思えたほどでした。
しかし、産後は乳腺炎を繰り返し、O式乳房管理法の助産院に通い、ぎっくり腰で整体にも度々通うことになりました。

【母子整体との出会い】
育児休暇が明け復帰したところへ、しきりに「トコちゃんベルトは良いらしい」と連発するベテラン助産師さんが入職してきました。
それまで私が神様のように思っていた助産師長や先輩助産師が、徐々に(旧)母子整体研究会の研修を受けはじめ、「母子整体すごい!」と言うようになったのです。無関心でいられなくなった私は、「それじゃ、私も!」と受講することにしました。
初受講で驚いたのは、初めて見聞きする体に関する情報、その膨大な量でした。せっかく耳から脳に届いた情報が、反対側の耳からこぼれ落ちるのがもったいない…(*_*; と思うほどでした。
看護師と助産師の国家資格を持ち、クリニックで多くのことを学んできたのに、知らないことがこんなにあったなんて…!そして、受講後に復習しながら骨盤ケアをしてみたら、私のコンプレックスだったO脚・猫背がほとんど目立たなくなりました。
仕事中もオールナイトで分娩介助にあたった翌日は、いつもむくんでいた脚にむくみがなく、疲れも少ない。
更に驚いたのは、娘を抱いて散歩に出たときのこと!娘の体重が10㎏を越える頃から、たった5分も抱いていられなかったのに、当時16㎏の娘を30分以上、楽々と抱いて歩き回れるようになっていたのです。

【骨盤ケアと出会った後の私】
勉強嫌いの怠け者だった私なのに、骨盤ケアと衝撃の出会いをした後、周産期の母子ケアの素晴らしさと楽しさを見つけ、ゆっくりですが骨盤ケアを学ぶようになりました。
日々研鑽されている先輩方の姿に憧れて、トコ・カイロプラクティック学院のベーシックセミナー修了まで漕ぎ着けると、すぐにクリニックを退職し、無謀にも母子整体院を開業して失敗。短絡的思考の私は、失敗してからしか学べないのです…(>_<。)

離婚後、縁があって上京し、現在勤めている社会福祉法人に看護師として就職しました。
認定こども園と認可保育園を合わせて17園も運営している大きな法人なので、職員の中にも出産を経験し、トコちゃんベルトを使っている方が数名いました。
しかし、“まるまる育児”について知っている人はいませんでした。
そんな中で、女性や子どもの体についてこれまで学んだり、自ら体験したりしたことを少しずつ伝え、実践するよう努力を続けました。でも初めの頃は、看護師もその他の職員も、耳を傾けてはくれませんでした。

それでも、子ども達の体の不調(ぎっくり首、便秘、理由なく泣き続ける0歳児)に対応したり、女性職員の体の不調(生理痛、肩こり、腰痛、五十肩、産前産後のマイナートラブルなど)の相談にのったりしているうちに、私の話を聴いてくれる職員が出てきました。

【おわりに、これからの私】
ぶっちゃけた話、分娩介助が下手な私は、助産師としての“腕”には自信がなく、これからも赤ちゃんを取り上げることはないかも知れません。
でも、難産で生まれ、自分が子どもの頃、運動オンチで苦労したことから、安産で生み育てることの大切さや、赤ちゃんが健康に、健全に育つことの幸せを伝えられると思っています。

最近では出産した同僚から“まるまる育児”を教えてほしいと頼まれたり、まるく寝かされた赤ちゃんの年賀写真をもらったりすることが多くなってきました。
0歳児クラスの子どもの発達を、気長に待ってくれる保育士や保護者も出てきました。他園の看護師から、発達が気になる子どもの相談を受けることもあり、日々の仕事に丁寧に取り組むようにしています。

同僚のマイナートラブルに対応した後は、素敵な笑顔で「ありがとう(^0^)」と言われるようになりました。
しかし、私が「はい、3,000円、ちょうだい!」と右手を出したら、「高いな~(‘;’)、はい!」と、飴ちゃん1個を渡されます(+_+)
いつかは、3,000円のこども銀行券がもらえるくらいになりたいと思いながら、毎日を楽しく過ごしています。