三重県開業助産師 冨田茉理先生のコラム
マイペースに助産師活動~イチゴ農園を手伝いながら~

 
【はじめに】
はじめまして。忍者の里 三重県伊賀市の助産師、冨田茉理です。助産師9年目の未熟者ですが、今年4月に訪問専門で開業しました。開業したといっても収入はわずかで、知識・技術を身に着けるための出費の方が多いんです。
でも、夫が経営しているイチゴ農園の手伝いをしてなんとかなっています。うちのイチゴ農園は三重県内でも人気なんですよ!お近くに来られた際はぜひお立ち寄りください。

【浪人して見つけた進路 助産師】
高校3年の大学受験時になっても自分のやりたいことが分からない私に、担任の先生は「浪人してみてはどうか」と(@@)!当時の私は「浪人とは、頭が良くて今よりもレベルの高い大学を受験する人がするもの」と思っていたので、「私がそれに値するの?」と困惑。
しかし、「これはやりたいことを1年かけて見つけるチャンスかも?」と、浪人を決意しました。

浪人して3ヶ月が経ち「そろそろ進路を決めていかないと」と思いながらテレビを見ていたときに、目に飛び込んできたのが助産院での出産シーン。それまでもテレビで出産シーンを見たことはあったはずなのに、このときは何かが心にグサッとささり、「こんな仕事をやってみたい」と、涙が流れていたことに気づきました。
きっと、この時の助産師さんのたくましさと、自然に立ち向かう産婦さんの強さに感動したのだと思います。

浪人時代から、いつか助産院をしてみたいなと思っていました。もちろん分娩のできる助産院です。そこから、看護大・助産専門学校に進みましたが、学生時代に分娩の怖さを知り、いつしか分娩のできる助産院は諦めていました。そして、専門学校卒業後は病院に就職しました。

【総合病院に就職して】
助産師になって最初に就職したのは、年間分娩件数約700件、MFICU、NICUのある総合病院。同期が6人と多かったため婦人科病棟に配置され、婦人科の癌患者さんの手術や化学療法やターミナル期のケア、時には女性病棟に変身し心不全や腎臓疾患患者さんのケアをすることも!このときの先輩方からは看護の基礎をみっちり教えていただき、経験を積み重ねました。

その後、産科に異動。分娩はもちろん、ハイリスク妊産褥婦さんへのケア、無脳児のグリーフケアや、NICU入院中の児の家族へのケア。仮死状態で目を見開いて生まれた児、早産でたった500gの幸帽児で生まれてくる感触…。これらは全て、今でも忘れられない経験であり、今考えても盛りだくさんの仕事をしていたと思います。
総合病院で私が分娩介助に当たったのは年間20件余りで、破水後もなかなか進まず、陣痛が来るたびに狂乱状態になる産婦さんに一晩中付き合い、私も家族もヘトヘトになることも度々でした。

助産学生時代の教科書に書いてあることや、実習で学んできたことをしてもお産は進まず、何もできない自分が嫌で、「私が担当じゃなければ、経過は違ったかも?」、「分娩担当になるのはもうイヤ」と落ちこむ日々が続きました。

【骨盤ケアとの出会い。退職・転居】
そんなある日、先輩からメンテ“力”upセミナーを紹介してもらい受講すると、「私が知りたかったことが全部このセミナーにある!」と感動。まさに、私が骨盤ケアにハマった瞬間でした。このとき、同じ病棟スタッフ約10人が受講して、今でも骨盤ケアにハマっているのは私だけですが…(*^^)v
そのメンバーが妊娠出産して、骨盤ケアや赤ちゃんのケアについて伝えられることに幸せを噛みしめながら、「あの頃の自信のなかった私はどこに?」と、少しは自信が持てるようになりました。

学生時代や総合病院での新人時代は、妊産婦さん、産後のお母さんがうらやましかったです。陣痛ってどんなかな?“まるまる育児”で子育てしたいな、いつか自分も通る道、早くそんな時期が来てほしいな…と、思っていました。

ちょうどそんなときでした。夫の仕事の都合で、約4年間働いた総合病院を退職し伊賀市に転居することになったのです。
伊賀市に移ってからは、トコ企画セミナーや野菜ソムリエのセミナーを受けたり、地域で活動している助産師さんの話を聞きに行ったりと、これまでにできなかったことをして楽しみました。

【個人病院に就職】
その後、個人病院に就職。清潔不潔の区分のあいまいさや、仕事量の多さに戸惑いながらも、分娩も次から次へと担当しました。再就職して2年目にトコ・カイロプラクティック学院の総合ベーシックセミナー、総合カイロプラクティックセミナーを受講。
セミナーの内容をすぐに妊産婦さんのケアにつなげることができる楽しさ、骨盤調整で進むお産に驚き、「分娩介助って楽しい~っ!」と思えるようになりました。

また、実習に来ている助産学生にも骨盤ケアを知ってほしい、いつか困ったときにセミナーを受講してほしいとの想いから、学生が担当する産婦さんには特に骨盤ケアを伝えてきました。
つい先日のセミナーでアシスタントをしたときのこと、実習に来ていた一人とばったり出会いました。実習の記憶はあまりないとのことでしたが、「セミナーを受けに来たのは記憶のどこかに残っていたからな?」とうれしくなりました。

【退職・開業】
まだまだ病院でやりたいことはたくさんありましたが、私の健康や妊活を優先したく、また助産師なのに産科看護師として扱われる環境や、能力や体力以上の働き方を求められる環境から逃れるために、約3年働いた個人病院を退職しまた。
その後、イチゴ農園を手伝いながら過ごしていたのですが、妊産婦さんや赤ちゃんと触れ合うことのない日が続くと、頭と体がなまりそうに…。「これまで勉強してきた骨盤ケアや“まるまる育児”を、自分のペースで妊婦さんや産後のお母さんに伝えたいなぁ」と思うようになりました。

セミナー受講時、信子先生に退職したことと、これから開業することを伝えると、「普通は働きながら開業までの準備に1年はかけるもんやで」と!
「えっ、私なにも準備せずに仕事辞めてしまった(-_-;)」と冷や汗…。焦りましたが辞めてしまったものは仕方がないと諦め、そこから準備を始めました。

まずは、助産院を「いちびこ」と名付けました。これは日本書紀にも載っているイチゴの古称です。イチゴが親苗から子苗・孫苗へと小ヅルを伸ばしていく様子を、夫が語っていたのを聞きながら、イチゴの花言葉「幸福な家庭」を見つけました。
私がハマった骨盤ケアや“まるまる育児”が、親から子へ、子から孫へと受け継がれていってほしい。骨盤ケアや“まるまる育児”が生活の一部となって、皆が幸せな家庭を築けるといいなぁ…との想いから、運命を感じ命名しました(^^♪

それから、ホームページやチラシを作り、今年4月に開業し、保健センターに開業の報告とチラシを置かせてもらえるよう依頼に行ったり、セミナーのアシスタントをしたりと充実の日々。
5月からトコちゃんの骨盤ケア教室も始め、第1回の教室は、定員3名で3名の参加がありました。その後も月1回は教室を開催しているのですが、参加者はたいてい1名だけ。でも予約のメールが入るとうれしく、教室を続けています。
参加者が1名のときは教室の内容に、パーソナルケアを少し加えるとすぐに効果が現れるので、モチベーションは上昇。「体のしんどい妊婦さんや育児に疲れている産後のお母さんに、パーソナルケアをもっとできたらなぁ」との想いがふつふつと湧いてきました。

教室の受講者の半分以上は経産婦さんです。前回の妊娠・出産のダメージが残っていて、今回の妊娠によって股関節痛や腰痛がでて、尿漏れなどマイナートラブルも多いです。
最近は回旋異常・遷延分娩・吸引分娩など、お母さんの体力は限界、家族も疲労困憊。赤ちゃんのお世話が始まっても楽しそうではなく、体がつらいお母さんが多いと感じます。

妊婦さんやお母さん達には快適に過ごしてほしい、自分が妊娠したら快適に過ごしたい、楽しく育児がしたい。そのために、骨盤ケアや“まるまる育児”を知ってほしい、実践してほしい、そんな思いで助産院をやっています。

【骨盤ケアを続けるもう1つの理由】
私が骨盤ケアをここまで続けてきたのは、難産や産前産後に体の不調がある人をどうにかしたい、という想いの他にもう1つ理由があります。それは、私自身の子どもを授かることです。
私は脊柱側弯・子宮奇形などもあり、不妊治療継続中です。
2年あまり前、カイロ初受講時に妊娠したときのことを少しお話します。
受講日は毎回のように信子先生に首や骨盤を見ていただきました。それまでも不妊治療はしていたのですが、カイロ受講中に初めて妊娠したのです。でも、残念ながら流産。

赤ちゃんの心拍が止まったことがわかってから自然に出て来るのを待ちました。約1ヶ月後に自然に出て来てくれたのですが、このときの大出血と痛みは、今も忘れられません。
ヘモグロビンは13 mg/mlから6mg/mlまで低下し、動悸と目まいに苦しみ、なかなか動けない自分を情けないと思いながらも、気力だけで仕事にもセミナーにも行き、無理をしていました。
お腹の中からいなくなった悲しさと、仕事に早く戻らなくてはとの焦りからでした。カイロ試験の日、顔面蒼白でむくんだ私を見たセミナー受講者からは、ずいぶん心配されました。

流産から2週間、再度大出血。ヘモグロビンが8 mg/mlまでしか回復してない状態だったため5 mg/mlまで低下し、輸血を受ける羽目となってしまいました。
再出血の原因に気づいたのはしばらく経ってからでした。助産師なのに、しかも、骨盤ケアの勉強もしていたのに、骨盤ケアもせず、養生もせず…、恥ずかしい限りです。

セミナーのときに信子先生に流産のことを伝えると、「あんたの体で心拍まで確認できたんやから上出来。ということはまた妊娠できる可能性があるということや」と言っていただき、私の気持ちが少し軽くなったのを今でも覚えています。
仕事柄、流産は仕方がないとわかっているのに、今なお流産した時期になると思い出して、悲しい気持ちになります。

【自分の体と心に向き合う】
そこから、本気で自分の体と心に向き合うことにしました。人のことより自分のこと。早く子どもが欲しい。今は、病院で働いていたときにはできなかった家事やセルフケアができるようになりました。外食は多いときで週4日していましたが、ほとんどしなくなりました。
毎日自分に「体はどんな調子かな? しんどいところはないかな?」と問いかけ、体調に合わせて操体法や“おとなまき”をしています。生活はぎりぎりですが、生きていることを実感できる毎日です。

7月からは京都でカイロを復習受講しています。初受講のときとは違い、信子先生の話が「わかる! 施術をやってみたい!」との想いが強くなり、家族や友人の体を借りて技術の練習をしています。それから、今回のカイロ受講中に妊娠できたらいいなと思っています。

【今後の課題】
伊賀地域は面積が広く、陸の孤島と言われる地域で、産科のある病院・クリニックは3か所、産科のある3次救急施設はなく、最寄りでも1時間以上かかります。
そんな伊賀で私が開業できたのは、トコ・カイロプラクティック学院セミナーで出会った人達が開業に向けて勉強していたこと、助産師学生時代の同期が開業したことで、開業という壁が低くなったからです。

開業してからは、妊婦さんやお母さん達だけでなく、県内の医療者(助産師、産婦人科医、保健師など)に声をかけて、私がやりたいこと、今やっていることを伝えてきました。モチベーションの浮き沈みはもちろんあります。
でも、骨盤ケアや“まるまる育児”に取り組む人が一人でも増えることを課題とし、「継続は力なり」「できることをする、できることを増やす」を心掛け、マイペースに活動していきたいと思っています。