奈良県の開業助産師 中井戸明美先生のコラム
全国で活躍されている皆様、いつしかきっと!

 
【はじめに】
全国で活躍されている皆様、こんにちは。今年で古希を迎える助産師の中井戸明美です。
私は現在、奈良県で妊婦訪問、産婦・新生児訪問、母親教室、乳幼児健診、乳幼児相談、不妊電話相談を担当し、ベビーマッサージ、スリングの指導をしています。
また、大阪市の聖バルナバ病院では週に1日~2日、腰痛相談室を専任で担当し、マイナートラブルで困っている妊婦さんや褥婦さん、そして、赤ちゃんのケアをしています。
渡部信子先生に出会い学んだことが、助産師として大切な力となり、現在も活動できることに日々感謝しつつ過ごしています。

【助産学校卒業まで】
私の出身地はゲゲゲの鬼太郎で有名になった鳥取県境港市です。
私が生まれた昭和20年代前半はまだ自宅出産が多く、地域では助産婦さんが自転車に乗って各家庭を訪問して活躍していました。もちろん私も自宅出産で生まれました。

私が助産師を目指したのは戦前に助産婦をしていた母の影響があります。
地元の鳥取大学医学部附属看護学校に進み、将来は助産婦として地域で働きたく、卒業後は学費を作るために、看護婦として4年半病院で働きました。
京都府立医科大学付属病院の手術室では、手術介助の傍ら解剖や生理を約3年間学び、鳥取県済生会境港病院では内科、結核病棟で勤務しました。

1975(昭和50)年秋にようやく、26歳で聖バルナバ助産婦学院に入学し、助産に必要な知識や技術を1年間みっちり学びました。
この頃は国家試験が春と秋にあり、学院には春と秋に分かれて入学。常に学生が50名在学し、半数が講義を受けている間に半数は実習でした。
1年の分娩数が3,600件を越え、新生児室には新生児が80名もいるという、今では考えられない恵まれた環境の中、院内だけで十二分に分娩介助などの実習が可能でした。

【就職・転職】
1976(昭和51)年秋に卒業し、そのまま聖バルナバ病院に就職。病棟や新生児室で働き、たくさんの良き先輩に巡り合い、指導を受けて今の私の基礎ができました。申し分のない4年半だったのですが、「看護教員に…」との勧誘を受け、退職しました。
神戸市にある神戸製鋼高等看護学院(進学コース2年過程)で母性看護担当教員を3年間勤め、結婚で奈良県御所市に移り、そのまま今も住んでいます。その後、奈良県立五條病院付属看護専門学校でも、母性看護担当教員として10年間勤めました。

教育に携わっていた10年のうちに、姉・母を病気や交通事故で亡くして喪失感に陥った私の心に、「地域に出て助産婦として働きたい」との想いが膨らんできました。何とか無理を聞いてもらい1996(平成8)年、看護学校を退職しました。

【“2足のワラジ”生活のスタート】
地域では産婦・新生児訪問事業を各市・町で実施することになりましたが、担当する助産婦がまだ少ない状態でした。
1997(平成9)年から産科医院で非常勤として働きましたが、1998(平成10)年から聖バルナバ病院に非常勤として勤務することになり、同時に母子の訪問を開始。医院を退職しました。
地域では訪問の他に母親教室や乳幼児健診、乳幼児相談と仕事が増えていきました。

【疑問・葛藤の日々】
そんな中で私はいろんな疑問や葛藤が湧き起こってきました。
助産師になったばかりの15年ほど前の分娩と比べて、分娩の進行が遅くなり、回旋異常・骨盤位・帝王切開、産痛を強く訴える産婦が増えてきました。地域の母親教室では腰痛がひどく、その辛さに日常生活に支障が出てくる妊婦さんすらいました。
産婦・新生児訪問ではお母さんから「赤ちゃんがよく泣く、寝ない、向き癖がある、反り返る、抱っこしにくい、授乳がしにくい、抱いたら泣き止むけど降ろしたら泣く。だから家事ができない」。お母さん自身も疲れて腰痛や肩こりなどを訴え、心身ともに子育てに疲れきっている様子が多くみられました。

【骨盤ケアとの出会い】
私が渡部先生に初めて出会ったのは、2000(平成12)年11月11日、51歳のときでした。
大阪府看護研修センターで渡部信子先生の講演があり、「骨盤ケア」とのテーマに魅かれて出席。出席者は150名位で会場は一杯でした。
大阪は日本助産師会の会員も多く、開業されている先輩助産師も多く、渡部先生は骨盤や姿勢、骨盤ケアについて講演、実演をされました。「目から鱗」とはこのこと。その講演を聞いてそれまで抱えていた疑問や葛藤の原因は「これやったんや!」と、衝撃を受けました。
しかし、そのときに会場にいた助産師の反応はイマイチで、「腰痛は仕方ないもの」という感じでした。後日、(旧)母子整体研究会で活動していた会員の中に、その講演を聞いて共感し、目覚めた助産師が何名かいたことがわかりました。

その後、渡部先生が京都の健美サロンで個別にセミナーを開催してくださると聞き、早速、若い助産師2名を誘って行きました。先生はそのときにまだ珍しいデジタルカメラを使って、私達の姿勢や骨盤を撮り、画面を見ながら解説されました。

渡部先生と同年齢の私は共に団塊の世代。「大丈夫、まだまだ働ける!」と言われましたが、若い助産師は体や骨盤のゆがみを指摘されました。そして、「2人とも妊娠したらかなりしんどいね」と言われ、特に1人は「これだけ骨盤が悪いと、妊娠どころではないよ」と言われていました。
その後1人は妊娠して即、症状が出て渡部先生の施術を受け、元気な赤ちゃんを出産。しかし、もう1人は結婚後すぐに子宮癌が見つかり、わずか6カ月で生涯を閉じてしまったのです。

【臨床でコツコツと】
セミナーを受講して知識と技術、経験を重ねましたが、やはり若い助産師のようにはいかず、勤務の中で少しずつコツコツと取り組みました。
セミナーで「よく職場で理解して貰えない。反発される。ケアができない」という悩みを聞きました。私も同じでしたがバルナバの卒業生であり、年齢もかなり上でもあるため、表だって言われることはあまりなかったものの、骨盤ケアへの理解はなかなか広がりませんでした。

困っている褥婦さんのケアは勤務時間外に行き、乳房緊満で辛い思いをしている褥婦さんには肩廻しや肩甲骨剥離を行い、辛い痛い思いをせずに楽になり喜ばれました。産後腰痛で困っている褥婦さんには説明をして了解をして頂き、トラブルを起こさないように晒やトコちゃんベルトで骨盤輪支持をして、骨盤ゴロゴロなどのケアをしました。

ある日、出産直後に恥骨結合離開で痛みがひどく、全く動けない褥婦さんがいました。師長から「何とかしてあげられないか」と声がかかり、師長と助産師数名で一緒に訪室し、骨盤輪支持などのケアを行いました。褥婦さんから小さな穏やかな声で「気持ちがいいです」と、その様子はその場にいた助産師にはインパクトがあったようで、その後、スタッフの間に骨盤への関心が少しずつ高まっていきました。

【助産学科での講義】
2005(平成17)年に天理市の天理看護学院に助産学科が開設され、「地域での助産師の活動について」講義の依頼がありました。日々の助産師活動の他に骨盤ケアのお話をしました。教員も受講されていて、来年度から「ぜひ、骨盤ケアの講義を」と依頼され、講義と演習を3時間で行いました。内容についてはパワーポイントを使い、資料を準備しました。パワーポイントの貴重な資料は渡部先生から頂き、大切に活用しています。

このことがきっかけになり、聖バルナバ助産師学院、畿央大学の助産専攻科での助産師学生への講義に繋がり現在も続いています。将来、助産師として活躍する学生さんにかかわることは意義深く、やりがいを感じています。

【院内での骨盤ケアの取り組み】
聖バルナバ病院は2005(平成17)年に新病院に移転。少子化が進み、病院存続への病院の特徴を出すために、2007(平成19)年6月に腰痛相談室の開設が認められました。
このような取り組みは他の病院にはまだ少なく、病院理事会での看護部長の根回しと過去の実績に基づいた強い推薦があったそうです。そのため、トラブルを起こさない様に、指導・ケアには細心の注意を払って行い、効果を認めてもらうようにしました。

「腰痛相談室」の開設当初は1週間に1日、予約制で1日に8人、1人45分間、費用は3,000円+消費税でスタートしました。妊婦さんや褥婦さんを対象に、マイナートラブルへのセルフケア指導とテイクケアを、新生児には“まるまる育児”(寝かせ方・首枕・おひなまき)の指導などをしています。

予約希望者が多くキャンセル待ちが増え、すぐに対応困難となり、2007(平成19)年10月からは月に2回、「腰痛・肩こり教室」を開催しました。2008(平成20)年に開催されたNPO母子整体研究会の第1回研究発表会で、聖バルナバ病院における骨盤ケアの実際について発表しました。

「腰痛相談室」は今年の6月で12年たち、13年目に入りました。年々「腰痛・肩こり教室」でセルフケアを学ぼうとする人は減り、「マンツーマンで教えてほしい人、なおしてほしい人」が増加。次第に受講人数は減り、現在は開催できていません。一方「腰痛相談室」の予約希望者は増え続け、1週間に1日では対処しきれず、現在は月に6~7日、1日6名の予約で、個別指導とケアをしています。

費用は13年間値上げなしで3,000円+消費税。ケアに必要な物品は腰痛相談室・売店でも扱っています。妊娠初期から来室し、妊娠中にケアを継続し、産後は赤ちゃんと共に来室される方も増えました。それでも、「骨盤は出産後にケアするもの」と思い込んでいる褥婦さんもまだまだ多く、改めて妊娠からの母と胎児のケアの必要性をお話ししています。

院外から腰痛相談室への来室の希望もあり、できる範囲で受けています。他病院での開設は少なく、ケアを必要とされている妊婦さんはインターネットで探して連絡してきます。腰痛相談室の必要性は病院内では理解され、新就職者のオリエンテーションや院内での研修会の中などで、骨盤ケアの勉強が続けられています。
腰痛相談室では院外の専門職の見学も受け入れています。見学希望の方はお知らせください。

【おわりに】
院内の腰痛相談室者は12年間で通算4,500名を数え、地域の産婦新生児訪問数は20年間で5,000件あまりになります。生活環境の変化により、マイナートラブルの症状も妊娠初期から現れるようになり、症状も重くなってきました。
妊産婦・赤ちゃんの身の変化は、子どもの発育・発達に大きく影響しているため、今後、ケアを提供できる人材はますます求められることは必至です。
日々の地道な活動は、いつしかきっと認められるもの。私もできる限り地域や病院内で頑張りながら、皆様の活躍をお祈りします。