兵庫県の病院勤務助産師 Sさんのコラム
最上級絶壁頭の私も、ケアを続けて母に
【助産学校卒業まで】
兵庫県の公立病院で働いている助産師 Sです。私は石川県で生まれ育ち、地元の高校を卒業後、大学にて看護学を学びました。
助産学校受験に失敗し、大学病院の産科病棟で1年間看護師として勤務しながら受験勉強に励みました。
先輩助産師の背中を見るにつけ、助産師への憧れがいっそう強くなっていきました。その後、北海道の天使大学大学院にて助産を学び助産師となりました。
【骨盤ケアとの出会い】
骨盤ケアと初めて出会ったのは、助産学生のときでした。実習病院で骨盤ケアを勉強している方と出会いました。
後方後頭位で分娩が進行しなかった産婦さんが、その方の手にかかると急に進み始めて、スムーズな分娩につながったのを目の当たりにし、そのときの感動を胸に秘めたまま助産師になりました。
就職した大阪府の病院には、骨盤ケアを学んでいる方が数名いて、「トコちゃんベルトの着用指導」「腰痛などがある方に対しての指導」「産後の骨盤輪支持」を行っていました。
その後、骨盤ケア教室の開催の企画から実施と、“骨盤ケアは当たり前”の環境で助産師の道を少しずつ歩んでいきました。助産学生時の実習病院と、就職した病院でのスタッフとの出会いが、私を骨盤ケアにはまらせ、人生を変えました。
【骨盤ケアを学ぶきっかけから現在に至るまで】
助産師7年目のときに、現在の公立病院に転職。それまで働いていた病院では当たり前にされていた骨盤ケアが、全くされていないことに衝撃を受けました。
このとき、私自身がそれまで見様見真似で骨盤ケアをしていただけで、人に教えることもできないことに気づきました。
そんなときに、骨盤ケアに興味のある同期入職のスタッフからの誘いをきっかけに、メンテ“力”upセミナーを受講。そのとき、私の絶壁頭に気付いた信子先生に、「最上級のゆがみ絶壁!」というお墨付きをいただいたにもかかわらず、「そんなに悪い?」と半信半疑…。
絶壁なのはわかっていたけど、それが珍しいほどの酷さであること、そして、何よりも体の不調につながっていることを、初めて知りました。
それから骨盤ケア・整体にのめりこみ、トコ企画セミナーからトコ・カイロプラクティック学院セミナーへと進み、トコちゃんベルトアドバイザー⇒総合ベーシック⇒総合カイロプラクティック⇒マニュアルセラピー入門⇒マニュアルセラピーアドバンスと約5年半学び続けました。
【妊娠までの経緯】
骨盤ケアを学び始めたときは、結婚2年目で、子どもには恵まれていませんでした。
転職など仕事上のタイミングもありましたが、夫婦での考えがあまり合わず、積極的な妊活をすることなく、ずるずると年月が過ぎていきました。
ベーシックセミナーやカイロプラクティックセミナーに通っている際に、信子先生から「この首はひどい、これはなかなか妊娠しないわー」などと言われ…。
信子先生の師匠 山崎先生の頸椎セミナー受講時に、「第2頸椎の“本体(椎体)”がずれている」と言われ、「本体? 私生きているの?」と思ったことを覚えています。
あと数か月で35歳というある日、「私のこの妊娠しにくい体を思うと、早く妊活を始めないと! これではまずい」と思い、夫とゆっくり話し合いの場を持ち、前向きに妊活をすることになりました。
まずは生活習慣の改善に加えて、今まで習ってきた操体法を毎日実施し、骨盤輪支持をしながら、タイミングを図っていきました。化学妊娠を1回経験し、「次もダメなら不妊治療を始めよう」と話していた矢先に妊娠。
実際、前向きに妊活を始めてから約半年で妊娠できたのですが、この5年間の骨盤ケア・整体で体を整え、少しずつ体が改善されてきたことが、妊娠できる体に近づいたのだと思います。夫との話し合いの時期も含めて「全てのタイミングが良かったのだな」と今では思います。
【妊娠してから臨月まで】
マニュアルセラピーアドバンスセミナーに通いながら、妊娠生活がスタート。
すぐに確認したのはGSの形。最初はまん丸に見えましたが、次に見たときはナス型。「これではアカン!」と思いながら日々、流産しないかと怯えていました。妊娠5か月に入った頃に切迫流産となりましたが、勤務体制を変更してもらい、すぐに改善。
妊娠13週のときに、信子先生の施術を受けに行くと、私の頭を触りながら「あれっ、頭の形、マシになったね~」と。そう、そうなんです。自分でも「絶壁頭が少し丸みを帯びてきたのでは?」と思った頃に、妊娠が分かったのです!
その後タイミングが合わず、なかなか施術に行けない状況が続き、妊娠6~7か月頃から腹直筋離開が目立つようになりました。“おなかまき”を着用し日々体操。サボるとすぐに胎児の姿勢や位置が悪くなるのが分かりました。
妊娠27週、トコ助産院研修会に行き、胎児の足がピーンと伸びているエコー写真を信子先生に見せると、先生から“喝”! 日程を調整し、施術に行けたのは妊娠34週のときでした。
やはり胎児の足は伸びているよう(特に片方)。先生に施術をしてもらうと児はまん丸くなり膝も曲がりました。しかし、数日たつとまた児は片足を伸ばしてしまい、必死に先生から指示された体操を続けました。
「アンタは妊娠しただけでも“良し”やで~」という先生のお言葉に続いて、「眉間にしわが寄って生まれて来るで~」という衝撃的なお言葉…(>_<。)
女の子なのに…、児の顔のエコー画像を見ると少し難しい表情にも見え、生後すぐの我が子の顔を見て「申し訳ない…」と思うのだろうな…と(-"-)
でも、体操をすると胎動がよく分かり、眉間のしわも和らぐかなと思いながら、体操を毎日続けました。そして、生まれたらすぐに“おひなまき”にし、少しでも気持ちよい状態にしてあげたいと思いながら過ごしました。
【出産】
予定日を過ぎても一向に陣痛発来せず、妊娠41週4日に誘発入院になりました。
1日目、プロスタグランジン内服。2日目、アトニン点滴で少しは進んだものの分娩には至らず。3日目、子宮口5~6cm開大からアトニン点滴を再開したところ、1時間もしないうちに腎臓付近に陣痛とは違う痛みが起き始め、浮腫も出現。
「無理をしないでおこう」ということになり、最終的に帝王切開での出産になりました。5月の下旬のお昼前、もうちょっとで3,500gという大きな女の子が、41週6日、ギリギリ正期産で生まれてきました。
私の体にしては大きすぎで、児頭の回旋もよくなかったのかも? だから下がって来にくかったのかも? など…、正直なところ、帝王切開になったことが心の中にわだかまっていました。
術後は腎臓付近の激痛はすっかり消えたため、「もう少し様子見たらよかったかな」、「夫に立ち会ってもらいたかったな」など…と。
しかし、主治医から「骨盤が狭く腰の痛みがなくても厳しかった」と言われたことや、信子先生の「ちゃんと生きた子が生まれてくるんやったらええやん。生きているだけで丸儲けやで」との言葉に救われました。
「過ぎたことを悔やんでも仕方がない。丸い頭の丈夫な骨格の娘に育てよう。“まるまる育児”に励もう!」と決意しました。
【産後・育児】
娘にゆっくり会えるのは手術の翌日(術後1日)からなので、スタッフに出生直後の全身の写真を撮ってもらいました。
やはり片足(左)が伸びていました。背中の反りかえりは写真ではわからないですが、やや顎を上げた反屈位のようで、眉間にしわは寄っていなかったものの険しい表情。「早く“おひなまき”をしなきゃ」と思いながら、まだ動けない私は、まずは自分の体が順調に回復するよう1日を過ごしました。
出産した病院では“おひなまき”をしてもらえず、入院後に「帝王切開の場合は、母子同室は術後2日から」と聞き衝撃…(@o@)そのため無理を言って術後1日から母子同室を開始させてもらいました。
会ったときにまず気になったのは、娘の寄り目と、左右の目の大きさの違い!足の伸びは少しマシに見えました。母子同室開始後すぐに“おひなまき”を開始。すぐに、片足を伸ばさなくなりました。
病院のマットは硬いので、コット内にタオルケットや授乳クッションで“まるまる寝床”を作成。“おひなまき”はサッとできる日もあれば、硬直してリラックスさせるのに手間取る日もありましたが、工夫工夫の毎日。おかげで、舌の動きは良好。母乳も人工乳首も上手に吸啜し、持続もできていました。
母子ともに「問題なし」で、術後6日に退院。実家での育児生活がスタート。正直なところ、私自身が面倒くさく思ったり、眠たかったりで“おひなまき”をサボったりすると、30分くらいで泣いて起きるのです。
「硬直した体をマッサージなどでリラックスさせてから、きっちりと“おひなまき”に包む方が、私もゆっくり休める」と気付き、“まるまる育児”の大切さを痛感しました。
約3週間後に自宅に戻り、産後1か月近くになると“おひなまき”を嫌がるようになりました。まるまるグッズ(マイピーロネオ・天使の寝床・ネオモック)のみで過ごしていましたが、あまり寝ない…。どうしようかと思っていたところで、スリングの登場。外出時にスリングを使用すると、毎回よく寝ること!
「どれだけ寝るのだろう?」と思い、自宅に帰ってからもスリングで抱いたままでいたところ、たっぷり4時間!「スリングも“まるまる”なのに、なんで“おひなまき”を嫌がるのかな?」と思い、スリング同様、手は固定せずに“おひなまき”にすると、嫌がることなくできました。
夫は父親になった実感が少ないようで、初めのうちは育児に参加しそうになく、私に言われれば抱っこをする程度。そんな夫と娘は瓜二つ。どこにいっても「パパ似!!」と言われて嬉しそう。それもあってか育児参加も増えてきて、少しずつ父親になっている気がします。
私の体はというと、妊娠後期から手のこわばり・痛み・シビレが出現。整形外科などを受診しても「妊娠によるもの、出産後は良くなる」と。しかし、産後1か月半が過ぎても良くならず…。「悪化はしていないし、まぁ、体の悪さは元々だからなぁ」と思いながら過ごしていました。
【産後2か月になって】
産後2か月になり、2人で信子先生の施術を受けに行きました。娘の足も、寄り目や左右の目の大きさの違いも目立たなくなり、娘は特に心配なし。
私の手のシビレは、「下部頸椎のズレと鎖骨部分の凝りからきているのでは?」と、施術を受けました。そして、「シビレの改善には日にちがかかる」「体操と“まるまる育児”を続けていれば、次回の施術は2か月後でいいよ」と(^^♪
一番の「やっちまった~!」は腹直筋離開の放置。信子先生曰く「最近では稀に見る酷さやで」と(>_<)産後は“おなかまき”や体操を全くしていなかったことを反省し、施術後から体のセルフケアを再開しました。
夜間はよく寝る娘なのに、日中はよく動くため“おひなまき”の時間は減りました。
でも、日中はネオモックの上でよく動き、楽しそうに過ごし、周りからは「育てやすい子だね」とよく言われます。「それも“まるまる育児”のおかげかな?」と思っています。
【おわりに】
このコラムは妊娠中に書けるところを少しずつ書き、出産・産後のことは自宅に戻ってから書きました。
骨盤ケアを続ける中で体調が良くなっていくのを感じ、最上級とのお墨付きの絶壁頭が、少し良くなったと感じたと同時に妊娠。母となりました。
手のシビレや腹直筋離開も「良くなった!」「娘の発達もこんなに良い!」と報告できるよう、これからも家族同士寄り添いながら、ホームケアを続けます。
そして、一人でも多くの人が良い体調で暮らせるようお手伝いをしながら、セミナー受講を続けながら、生きていけたらいいなぁと思っています。