和歌山県の“なぎ助産院”院長 佐野陸子先生のコラム
紀北での途切れない母子ケアを目指して
【助産学校卒業まで】
和歌山県北部(紀北)で20~13歳の子ども4人を育てながら有床の“なぎ助産院”を開いている佐野陸子(みちこ)と申します。
和歌山市で生まれ育ち、地元の高校卒業後、自宅から自転車で通える看護学校に入学。私が生まれた県立医大病院で臨床実習をしました。
母性看護学の授業で「私は自分の体のことが分かっていない」「女性の生理、母性という女性の心の変化についてもっと知りたい」と思い、担任の後押しもあり、大阪の助産学校に進学しました。
大阪府守口市にある岩津助産院に助産所実習に行ったときのこと、分娩見学中、岩津先生が「あんた取り上げる?」とおっしゃり、介助させていただく機会がありました。
岩津先生が胎児心拍を確認される音を聞きながら、陣痛と産婦さんの息みに合わせて、お産が進みました。私のような馴れない誘導の手の平ですら、伝わってくる力は病院での分娩介助で感じた力とは、ずいぶん違うと分かりました。
赤ちゃんの大きかったこと! 4,000gオーバーだったので、娩出力の強さはもちろんですが、娩出力と児頭の回旋がぴったりと合って、赤ちゃん自身が意思を持って生まれて来るかのような迫力に圧倒されました。
また、産婦さんの力強い、それでいて柔和で満足げな表情を見て、「私もこんなお産をしたい」と感動。と同時に、「こんなお産を一人でも多くの人にしてもらえる助産婦になろう」との意気込みが沸き上がってきました。
【トコちゃんベルトとの出会い】
助産学校卒業後、和歌山県立医大病院に就職。
私は脊椎分離症があり、ギックリ腰で動けなくなったことが何回かありました。そのためか、就職後1年ほど経ったとき、婦長から「あんた腰悪かったよね、このベルト試着用にもらったから着けてみて」と渡されました。
これがトコちゃんベルトとの出会いでした。説明書を読みながら着用したものの、良いのか悪いのか分からず、数日のうちに指導室の棚に返したのでした。
【第1子と第2子の妊娠・出産・育児】
就職して6年目に結婚。翌年、岩出市に引っ越し、妊娠36週で2,040gの長女を産婦人科医院で出産しました。
その2年後、妊娠36週で2,512gの次女を自宅で出産しました。
2回の妊娠ともツワリが強く、トイレに入ったきり出られない程で、仕事にならず4週間の病休。ツワリが落ち着いた妊娠28週頃から児頭が下がり、切迫早産で自宅安静。
お産は2回とも、ずっと恥骨と腰が割れるような痛みに苦しみ、最後まで息めず、お腹を押してもらって、「やっと終った」としか思えないお産でした。
生まれてからの長女は、抱っこか、ドライブで揺られるか、うつ伏せのどれかでないと眠らない子でした。次女はよく飲みよく眠りましたが、大の字で寝かせていたので、気づいたときには体が硬くなっていました。
【再びトコちゃんベルトに出会う】
3回目の妊娠は12週頃に流産。その1年後、大学病院を退職し、近くの産院に就職。初めてトコちゃんベルトを試着してから10年が過ぎていました。
産院での勤務中、トコちゃんベルトを着用している妊婦さんに出会い、尋ねると、「ネットで買った」とのこと。当時はインターネットが普及し始めた頃で、最新情報を検索し、ネットで商品を購入するなんて、まだまだ珍しい時代でした。
トコちゃんベルトを使っている妊婦さんを、何人も目撃した私は、以前試着したトコちゃんベルトなるもの、「そんなに良いもの?」と一人考えていたちょうどそのとき、受付の机の上に!開封して捨てられる寸前のビラ、つまり、(旧)母子整体研究会主催の骨盤ケアセミナーの案内ビラを見つけたのです。
周りに尋ねると「いらない」との返事。ポケットに入れて持ち帰りました。
当時の個人医院は新しい研修を受けに行くための休みなど、取らせてもらえることはなく、言い出すことすらできませんでした。
それでも妊婦さんたちが「いい」と言っているものを、助産師が知らないなんて…、「恥ずかしい、どうしても行きたい!」との想いは募るばかり。
当時は大阪北天満でもセミナーが開催されていたので、2003年9月に「妊産婦のための骨盤ケア入門セミナー」を受講。
たった1日受講しただけで、「もっと早くに知っておけば、ツワリも切迫早産も、分娩第2期の遷延も、産後の腰痛も、長女の大泣きも防げたのではないか」と悔やまれ、「もっと知りたい!」との気持ちに駆られました。
その3日後と翌月に基礎セミナーを受講。信子先生の講義は、「妊娠したらツワリ・こむら返り・腰痛は仕方がない」と思っていた私の考えを覆しました。
また信子先生は、「助産師は妊産婦さんの体を、せめて妊娠前の状態に戻す責任がある。妊娠前より悪くするなんて、助産師の恥」と!私は自分の横柄さと無知にショックを受け、「自分の体にも真剣に向き合わなければならない、今からでも絶対に治そう」と心に誓いました。
早速、習ったことを勤務中に実行! ツワリで点滴中の妊婦さんに背中のケア。トコちゃんベルトを持っている方には、症状に合わせて着用指導。分娩介助に当たれば、骨盤ケアをすることで、グッと進行することがよくありました。
妊娠期間を快適に過ごし、余計な痛みや疲れのない体で産み、途切れのない育児に取り組める体と環境を作る。ただそれだけを考えて働き続けました。
【第3・4子の妊娠・出産】
産婦人科就職と同時に、かねてより希望の出張開業届を提出し、休日は乳房ケアや新生児訪問に出かけました。
その合間に、(旧)母子整体研究会セミナーや、トコ・カイロプラクティック学院のオステオパシーセミナーや、カイロプラクティックセミナーを次々と受講しながら、第3子(長男)・第4子(次男)を妊娠・出産。
骨盤ケアを知る前の2回の妊娠・出産と違い、毎日が楽しく、走り回れるくらいの体で、36週に入るまで妊婦さんの診察を普通にこなしていました。
反対に、普段から辛いところがあまりないので、お腹の張りなどの不調は、すぐにわかり、自己管理もしやすく有難かったです。
妊娠中順調だったので、第3子出産時には「前の2回のようなお産はこりごり。楽に産みたい」と願ったにもかかわらず、あまり変わらないお産となりました。それでも、前の2回と違って産後は体の疲れがほとんど残らず楽でした。
長男は母乳をよく飲み、“おひなまき”と“すやすや籠”でよく眠り、産後2か月からは、“おひなまき”とスリング、兵児帯を使って、訪問を待ってくださっている方の診察を再開。
昔は子どもを傍において、日常生活の中で女性は家事や外の仕事もしていたのに、今は珍しい光景となってしまいました。こんな“子連れの助産師”の訪問を受け入れて下さったお母さん達に、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。色々な経験をさせてもらいました。
さらに、第4子の出産直前に“セミナーのモデル妊婦”となって、先生や受講仲間に調整してもらった後は体が軽く、「これが普通の人の体? これまでの私の体はいったい何だったの?」と目から鱗。リュックを下ろしたように体が軽くなりました。
前の3回は第Ⅱ期が3~4時間かかったのに、4回目はしっかりとした陣痛と自然な息みだけで生まれ、何とも言えない清々しい気持ち!「産んだぁ、もうこれで満足!」と叫んでしまい、皆に笑われました。
【子ども達の体の違い】
次男は生まれてからすぐに、“おひなまき”や“すやすや籠”を使って“まるまるねんね”。よく飲みよく眠り“まるまる育児”の素晴らしさを確信しました。
この年、2006(平成18)年は、長女が小学校に入学するため助産院を建て、助産院で主に働けるように変更。自宅分娩だけでなく、助産院分娩を取り扱うようにしました。
産後1か月から来院者の診察を再開し、産後2か月からは次男を連れての出張も再開。次男は“すやすや籠”の中でよく遊び、“おひなまき”は布おもちゃに変わっていました。
骨盤ケアも“まるまる育児”もしていなかった上の2人は、水泳やマラソンなどで学年上位に入賞するのですが、一生懸命練習を重ねる姿が健気でした。
ところが、下の2人はぴょんぴょん飛び回るおサルのよう。ちょっと泳いだり走ったりするだけで入賞してしまいます。この2人は手先が器用で、大きな病気や怪我をすることもありません。
昨年、自転車の2人乗りで急坂を下って転倒。自転車は大破して2人とも左半身ズル剥けになったのに、骨折もせず顔や頭の打撲もなし。
また、小学校に“いのちの授業”に行ったり、日本赤十字社の水上安全法のプール授業に行ったりするときに感じるのは、子ども達の体が変わってきていることです。
体の力が抜けない、思うように腕が上がらない、ついには思い通りにできなくて泣き出す子…。
中学生でも友だちと少し騒いだら、とんでもない頭のぶつけ方をして、大けがをする子なども。
「思い通りに楽に体を動かせるなら、身も心も軽やかに生きられるのに…」と、可哀そうになるのですが、この子達もやがては結婚し、親になり、子育てをするときが来ます。
「この子達の幸せな未来のためにも、体作りのお手伝いをしなければ…」と思うと、課題の大きさに押しつぶされそうになることも。
【多くの人に伝えたくて】
こんな中、「少しでも多くの方に、骨盤ケアと“まるまる育児”を、早く伝えなければ!」との想いは、どんどん膨らみ続けています。
妊娠中からケアを受けていた方のほとんどは、産後母子のケアを受けに来られ、数回の来院で“まるまる育児”を習得されます。すると、赤ちゃんが泣かなくなるだけでなく、肌色が改善し、湿疹などのトラブルも改善することもしばしば。
最近では、「特に症状はないけど、友だちが勧めてくれたから」と、妊娠初期~中期から来院される方、妊活中の方、「逆子を直してほしい」と来院される方も増えてきています。
また、予定帝王切開の方も体を整えに来られ、手術日まで児頭下降を防ぐことで、娩出時の母子への侵襲を最小限にと、ケアしています。
また、妊娠中のマイナートラブル改善のために通っているうちに、「頭痛がしなくなった」「蓄膿が楽になった」と話される方もあり、「体って不思議」と感じると同時に、「もっと技術や自分自身を磨いていかねば」と思う毎日です。
【なぎ助産院のこれから】
2年前、助産院の名称を“助産院バースサポート”から“なぎ助産院”に変更。2007~2017年の間、休んでいた分娩取扱いを再開しました。
なぎは熊野三山のご神木“梛”。ちょうど夫が山から梛の苗を持って帰ってきて植えたときでした。
梛の葉はちぎれにくいことから「縁が切れないように」と、古くは熊野詣や漁に出る際に、無事の帰還を祈る護符として身に着けたといわれています。来院時よりも元気になって帰宅できるよう願って命名しました。
“途切れない母子へのケア”が何より大切と考え、母子ともに長く通える助産院を目指していますが、生まれてから小学生になる今も、月1回の来院を続けている母子はまだわずかです。
先を見据えながらも、昔から大切にされてきた妊娠子育てにまつわる知恵や文化を土台として、その上に、私にできることを常に考え、学び、工夫しながら、地域の皆さんに満足してもらえるケアを築き上げねば…。
そう考えて、遅れ馳せながら6月からトコちゃんの骨盤ケア教室を、なぎ助産院で開いています。参加者同士の会話もあり、2時間ゆったりとケアをした後は、来院時よりも顔色も良くなり、お互いに「きれい!」と笑顔で帰って行かれます。
そして、私自身の体作りも忘れることなく、助産業務に生涯携わっていけるように…と、思うこと、願うこと、祈ることがいっぱいです。
岩出市は関西空港から車で南へ30分ほどの便利なところですので、世界遺産の熊野古道巡りも兼ねて、ぜひ遊びに来てくださいね!