滋賀県に住む助産師 齋藤麻美さんのコラム
幸せをくれた骨盤ケアと“まるまる育児”

 
【はじめに】
はじめまして、助産師の齋藤麻美です。
滋賀県大津市の産科クリニックで非常勤助産師として働きながら、地域の助産院で講座や母乳ケアをしています。
今年4月に第2子を出産し、現在育休中です。
復帰後、より充実した指導やケアが行えるよう、骨盤ケアや“まるまる育児”を我が身、我が子で日々実践、子どもの発達についても興味があり勉強しています。

【骨盤ケア、渡部信子先生との出会い】
子どもが大好きで小児科の看護師になりたかった私は、高校卒業後、看護専門学校に入学しました。
ところが、母性実習で見学したお産、そこで出会った助産師への憧れと、助産師である母の影響もあって助産師になることを決意。看護学校卒業後すぐに助産師学校へと進み、助産師になりました。

最初に就職したのは、地元、山梨県にある県立病院の総合周産期母子医療センターの産科でした。ハイリスク妊婦の入院や母体搬送の受け入れも多い一方で、助産師外来や院内助産システムにも力を入れている病院でした。
助産師1年目、ある先輩がゴムチューブを使って入院中の妊婦さんの骨盤をケアしている姿が目に飛び込んできたのです!それが骨盤ケアとの出会いでした。
助産師が主体性を持って働いていた病院だったため、骨盤ケアにも取り組んでいたことを、そのときに知ったのです。

先輩達が点滴の血管確保が難しい患者さんや、乳房うっ積が強い褥婦さんの肩を回したり肩甲骨を揺らしたり…。分娩が停滞している産婦さんの骨盤を触り、体操を促す先輩の術を見たり…。
それらの効果を実感する中で、私は骨盤ケアに興味をもつようになりました。

そして助産師2年目、山梨で骨盤ケアのセミナーが開かれ、私はそこで渡部信子先生に初めて出会ったのです。
骨盤輪支持や操体法で体が反応する体験、骨盤ケアの理論を実際に学び、「こんな世界があったのか! 人の体っておもしろい!」と、ますます骨盤ケアに魅了され、少しずつ勉強し実践するようになっていきました。

【辛い子育てから救ってくれた“まるまる育児”】
助産師6年目、結婚と夫の就職を機に山梨県を離れ、滋賀県大津市に住むことになりました。
産科クリニックで非常勤助産師として働き、結婚2年目に第1子を出産しました。
出産までは順調でしたが、その後の子育ては想像以上に大変で辛いものでした。入院中から泣きわめき、寝る間もない程の頻回授乳と抱っこ、退院1週間で腱鞘炎。
布団に置こうとすると起きる我が子、抱っこと授乳に明け暮れ、全身が凝りと痛みで横になるのも辛い日々。実家に里帰りしていましたが身も心もボロボロになり、今振り返るとまさに「産後うつ」の状態でした。

そんな私を心配した母に促され、産後2ヶ月のときに母子整体で開業されている助産師さんのケアを受けに行きました。体を触ってもらったときの気持ち良さ、体のゆがみを知り、辛い症状の原因が分かった安堵感は忘れられません。

また、そこで教えてもらったのが“まるまる育児”でした。まるまる抱っこ、“おひなまき”、スリング、凝りほぐしなどを具体的に教えてもらい、さっそく帰ってから実践した“おひなまき”で、生まれて初めて5時間続けて寝た我が子。その日から確実に私の子育ては楽になり、体も回復し、子育てを楽しめる余裕がでてきました。

こんなにすぐに効果を実感できる整体という技術を、身をもって経験し、「私にもこんなことができたらな」と思いました。また、そのときに心の底から思ったことは「もっと早くから知っていたら…」ということでした。
辛い日々から救ってくれ、子育てを楽しめる幸せを感じさせてくれた、“まるまる育児”との出会いは、今の私にとても大きな影響を与えるものとなりました。

【整体を学びたい!】
子どもが2歳になったとき、現在の産科クリニックに入職し、再度助産師として働き始めました。
自分自身が辛い子育てを経験したこともあり、以前より「産後のお母さんや赤ちゃんのために力になりたい」との想いを強く抱いていました。
そのためトコ企画の様々なセミナーを受講し、トコちゃんベルトアドバイザーと、まるまる育児アドバイザーを取得し、クリニックでの骨盤ケア教室の立ち上げにも携わることができました。

自分自身が子育てを経験したこと、様々なセミナーを受講したことで、以前より提供できる知識は増えたものの、実際のケアでは自分自身の限界も感じていました。
トコちゃんベルトや操体法の指導はできても、それだけでは症状改善が困難なケースでは、整体ができる上司の助産師にケアを依頼するしかなかったのです。
そして実際に整体を受け、身も心も楽になったと笑顔で帰る患者さんの姿を見る度に、「私も整体の技術を身につけたい。私自身が辛かった産後に救われたように、もっとお母さん達を楽にしてあげたい」と思うようになりました。

また、その頃の私は、第1子出産後から原因不明の無月経無排卵となり、ホルモン剤や漢方治療の効果もなかなか得られず悩んでいました。
「整体を学びたい、自分自身の体も健康にしたい」という想い、これまでの経験と出会いに背中を押され、整体を学ぶことを決意。昨年トコ・カイロプラクティック学院の総合ベーシックセミナーを受けました。

【ベーシックベビー誕生!】
総合ベーシックセミナーでは、クライアントの体の触り方から全身の観察や検査など整体の基礎を学び、安全で快適なケアを提供するための体作りについても学ぶことができました。
自分自身の知識のなさや、体幹の弱さや不器用さを実感しつつも、学ぶこと全てが興味深く、志高い仲間との時間はとても充実したものとなりました。

技術を磨くために仲間同士の体で練習を重ね、自分自身の体でセルフケア法である操体法を繰り返し、またセミナー後に信子先生の施術を受けることで自分自身の体も変わっていきました。
「挙児希望の人はベーシックセミナー修了前後に妊娠することが多いんや。それを“ベーシック妊娠”、生まれた子を“ベーシックベビー”と言うんや」との信子先生の言葉を何度か聞きながら通うこと半年。
その言葉通り、なんと! ベーシックセミナー最終日に妊娠していることが分かったのです!

約4年間も無月経だった体は、妊娠23週で切迫早産、自宅安静となりましたが、里帰り直前まで信子先生の施術を受けることができ、無事正期産で元気な赤ちゃんを産むことができました。
第1子の産後のように凝りや痛みに悩まされることもない日々は夢のように幸せで、「今度は最初から“まるまる育児”で子どもを育てるぞ!」と、“おひなまき”・まるまる抱っこ・スリング…と、子育てライフを楽しんでいました。

辛かった子育てから救ってくれた“まるまる育児”に続いて、骨盤ケアに幸せをもらったのです。
命が宿ること、その命を産み育むこと。それは当たり前に誰にでも起こることではなく、整った体と健康の上に成り立つ奇跡であること、それを実感しました。

しかし、楽な体は長くは続かず、産後1ヶ月ころから、両手両腕の痺れと痛みが気になり始めました。すると、日ごとに症状は悪化。産後1ヶ月過ぎに山梨県から滋賀県に帰ってさっそく、信子先生の施術を受けました。
我が子と共に信子先生に再会できたこと、信子先生に抱かれたベーシックベビーである我が子をみて、何ともいえない幸せな気持ちと感謝で胸がいっぱいになりました。

現在産後3ヶ月。一度痛めた両手両腕の痛みやしびれは、なかなかスッキリしません。
今回も産後に症状を抱えながらの子育てをしていますが、これもきっと私に整体・骨盤ケアをこれからも深めていくためのチャンスを与えられたのだと思って。

【私の夢】
今の私の一番の夢は、世の中の全ての母親に子育てを楽しんでもらうことです。核家族化、我が子で初めて赤ちゃんと接するという母親も多く、現代の母親達は命を守り育てるという大仕事を、予習や練習をすることもなく行っています。それもサポートも少なく、軟弱化したゆがみやすい体で。
産後うつ・虐待…それらを聞くと胸が痛みますが、現代社会ではどの母親がなってもおかしくない状況だと感じています。

そのため、骨盤ケア、”まるまる育児”を、妊娠中から、いや、できれば妊娠前から知ってもらうこと。
そして、産後それぞれの母子に合ったケアを提供し、楽しく子育てをするために共に歩むこと。
私にできることを常に考えながら、「まずは、目の前の一人一人の母子の幸せのために!」を目標にこれからも前進していきたいと思います。

【終わりに】
このコラムを書く機会をいただいて、これまでの自分を振り返ることができました。また、全国に熱い想いをもって骨盤ケアや“まるまる育児”を広めようと活動している皆さんの存在を改めて感じ、感激しました。
幸せをくれた骨盤ケアと“まるまる育児”、いくつもの大切な出会いと経験があって今の自分がいます。そのことに心から感謝し、これからその感謝を自分がかかわる母子、全ての女性に還元していきたいと思っています。