【はじめに】
皆さん、はじめまして。田口里奈と申します。
北海道、道北の“日本最北のインターチェンジのある町”士別市で、母乳育児支援や骨盤ケアを提供する「たぐち助産院」を開業しています。
助産師になり約25年、6年前にベビーマッサージクラスを始め、3年前に助産院を開業しました。
出会うお母様方にいかに寄り添えるのか、何を求められ、何を伝えられるのか日々考えてケアに当たっています。
今年の1月から6ヶ月間、トコ・カイロプラクティック学院の総合ベーシックセミナーで学ぶために、北海道から東京まで毎月通っている最中です。毎回、たくさんの学びがあって、仕事に生かしていけることに喜びを感じています。
【生い立ち~助産婦、総合病院で】
生まれは北海道帯広市、地方公務員であった父親の転勤に伴い、全道数カ所を周り、転校生の子ども時代でした。
人間が好きで「人と関わる仕事がしたい!」と、群馬大学医療技術短期大学部の看護学科へ進学。でも、私は助産婦にだけはならないだろうと思っていました。
そんな私でしたが、看護学科3年の母性実習で分娩を見学して、お産にとても感動したのでした。
深夜に「お産だよ!」とのコールがあり、大学病院の暗い長い廊下を看護実習班10人の仲間で思いっきり走って分娩室に飛び込んだ時は、まさに生まれようとしていた瞬間!そのお産は、はっきりは覚えていないのだけれど、温かくて強い光に包まれた記憶として今も鮮明に残っています。
とはいえ、最後まで進路に悩んだ私でしたが、やっぱりお産の感動が忘れられず、そのまま助産専攻へ進学。東京での就職も考えましたが、親からの“帰ってコール”と、病院見学の際に出会った、後にプリセプターとなる先輩との出会いに導かれて、札幌の総合病院の産婦人科病棟に就職しました。
職場はバリバリの総合病院、3次救急、母体搬送、管理入院、普通分娩、産褥新生児、婦人科と何でもありで超多忙。生と死が混在した病棟で、ここでしか出来ない貴重な経験をさせて頂いた11年間でした。
管理入院の妊婦さんを笑わせることを陰の目標にし、夜勤の後は新生児に癒やされ、個性豊かな婦人科の患者さんは、まさに人生の先輩でした。管理するお産の中で、女性の産む力を信じ、寄り添う助産を目指し、看護研究という名目で先輩方とフリースタイル分娩にも取り組みました。
【関節リウマチ発症】
助産師の仕事はやりがいがあった一方、自分の目指す助産は、病院の性格上受け入れられない現実とのストレス。凝り固まった体。親との確執。悩む自分。いろんなストレス要因が重なり、酷使した体の悲鳴だったのか、それまで病気らしい病気もせず、健康だと思っていた私が、30歳を前にして自己免疫疾患“関節リウマチ”になってしまいました。
指が腫れ手首が腫れ、肘も膝も腫れて、歩くのも物を持つのはもちろん、じっとしていても痛くて、全身が思うように動かず、ふがいない自分の体。もしかしたら、このまま、結婚も出産もできないのか…?というか、出会いの当てもない状態。この先どうなるのだろうという不安は渦巻くばかり…。
それでも休職することなく、寝たきりでもおかしくないくらいの体を引きずり、治療しながら仕事を続けました。今でこそ「良くやった」と思いますが、助産師の仕事が大好きだった当時の私には、“休む”という選択肢はありませんでした。
【結婚・出産】
諦めなければ夢は叶うものなのか、32歳で現在の夫に出会い、33歳で結婚し退職。またもや転居で、夫以外誰も知らない士別市に住むことになりました。
その後、関節リウマチは寛解し妊娠。34歳で第1子を出産。なかなか育てにくい子でした。生まれてすぐに呼吸状態が悪くて一日サチュレーションモニター装着。母児同室にはしてもらったものの、体調のパッとしない子どもは黄疸にもなり、光線療法も受けました。
しっかり吸わず、よく泣いて、寝ない。この三重苦。子どもの訴えに応え続けましたが、「この子は体が辛かったのでは?」と気づくのに1年ほどかかりました。
この経験から、ベビーマッサージのクラスをまず始め、「乳房マッサージはお産より痛かった」「辛くてやめてしまった」などのお母様方の切実な声を耳にするにつけ、「産前産後の辛い時にこそ寄り添い、力になりたい!」との思いが高まり、その3年後に助産院を開業するに至りました。
【骨盤ケアとの出会い】
総合病院で働いていた頃、職場の先輩が骨盤のセミナーで学んできたことを教えてくれて、入院中の切迫早産の患者さんにさらしを巻いてみたのが最初だったと思います。
また、トコちゃんベルトⅡを買って、自分なりに着けて仕事をしていました。妊娠中、腰が痛い時はベルトを着用し、妊婦は歩くのが良いという想いがあり、出産まで毎日1~2時間の散歩は欠かすことなく続けました。
第1子の時はなかった尿漏れが、第2子の妊娠初期からみられ、中期には治まり、後期になって再発。今になって思えば、骨盤の緩みが進んでいたのだと思います。
第2子の時は、産後すぐからトコちゃんベルトⅡを使っていたのですが、出産当日の晩、ひどい頭痛に襲われました。「枕が合わないから?」と疑ったものの、あまりの痛さに鎮痛薬をもらい、それで症状は治まりました。今思えば、骨盤の緩みから脊柱全体のバランスが崩れ、首の痛みを引き起こしたのでは…?と思うのですが、恐ろしいことです。
2人の子育て中の体はどんどん固まり、背中は板が入ったようにガチガチに張り、首も徐々に固まり回らなくなっていきました。固いうえに運動不足の体でミニバレーをした後から、何をしても治らない首の痛みが続くようになりました。
ちょうどその頃、いつか学びたいと思ってきたメンテ“力”upセミナーを2013年、札幌で受講しました。セミナーは、病院で分娩を見ている時や管理入院になる妊婦さんを看ていたとき、「どうしてだろう?」と心に引っかかっていた疑問の回答を得たような、納得のいくものでした。
同時に、首の痛みや全身のコリに襲われていた自分自身の不調の原因も、骨盤にあるのだろうと思うようになり、それからトコ企画のセミナーに、足を運ぶのが楽しくなってしまいました。
その後、足のつりを訴えていた友達が、切迫早産になって入院したことにショックを受け、骨盤ケアを本格的に伝えようと心に決め、即行動。トコちゃんベルトアドバイザーになったのが2016年3月でした。
【襲われた首の痛み】
ミニバレー後の首の痛みは、ご飯を食べるのも痛い。横を向くのも辛い。振り返れない。車を運転するにも左右の確認も辛く、当然バックはバックモニター頼み。会話するにも、体ごと顔を向けなければ横を向けず、何をするのも辛いので整骨院通いを始めました。ところが痛みは増すばかり。
首が痛み始めてから4ヶ月くらいたった頃、たまらず整形外科を受診したところ「異常なし」と鎮痛剤を処方され帰されました。
痛みに耐えながら、別の整骨院通いをして、多少は症状が改善したものの、ある時から、施術を受けたその場では良いのだが、一歩外に出たとたん調子が逆戻りするという有り様に。
どうしたら良いのか途方に暮れ、たどり着いた結論が、「セルフケアが大切!」。その後、様々なことを試し、徐々に首の痛みは良くなっていきました。
ところが、2018年のトコちゃんベルトアドバイザーの更新時、体のチェックをして、自分の体の悪さを再認識するに至りました。
楽になったと思った現在でさえ、「ひどい体やな~!」と信子先生に言われる状態ですから、「せっかくだから、自分を題材にして、骨盤ケアでどこまで元気になるのか、やってみよう!」と思うようになりました。
【子ども時代を振り返って】
2019年1月、総合ベーシックセミナーの1日目、渡部信子先生に頸椎のズレを指摘され、しかも、「胎児期か出産時のものでしょう」と。びっくりしたのと同時に、思い当たる節が…。子どもの頃、よく寝違いを起こしていたのです。
朝起きると首が痛いことが何度もあり、「子どもだから寝違えたんだ、そのうち治る」と親に言われ、確かに…、そのうちに治りました。しかし、我が子を見ていても寝違えなんて起こしません。
小学生の頃から足を組んで座り、読書をするときも“スマホ座り”の様に仙骨を潰すような姿勢で座っていました。勉強する時は、いつしか頬杖をつくのが普通になってしまいました。
外遊びを好み、毎週末には親が決めた長距離ハイキングに連れ出され、足腰が強いと勝手に思い込んでいたのですが、「実は、真っ直ぐに座れない体の持ち主なんだ」と気がついたのは、ほんの半年ほど前でした。
【おわりに】
関節リウマチになっても変わりなく、助産師として働き続け、結婚・出産育児…と“私らしく”生きてきました。
元職場の先輩には、「よく2人も産んだね」と驚かれましたが(称賛半分呆れ半分?)、働き続けられたのは何よりも、「先輩や同僚の助けがあったから」との感謝の想いしかありません。
産後に疲れやすかったり体調が思わしくなかったり、長引く不調を抱えている人は、意外と多いのではないでしょうか?でも、諦めないでください。こんな私の体も、骨盤ケアと出会って大きく変わりました。
信子先生に体を診てもらってから、”体操用マイピーロ”を着けて暮らし、骨盤ケアにも励んでいます。すると、半ば諦めていた体のコリや痛みが楽になり、動きの悪かった左手が、ずいぶんと動くようになってきました。
信子先生のブログに写真がupされていますので、ぜひ、ご覧ください。
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https://blog.ap.teacup.com/majyosanba/2343.html
総合ベーシックセミナーでは、いろんな地域・施設で、骨盤ケアへの熱い想いを抱いて頑張っている仲間と出会うことができ、刺激になります。みんなとても熱心で、ともに勉強できることが楽しくてしかたがありません。
コラムを書くに当たって、日本全国で、熱く骨盤ケアを伝えている方々がたくさんいることも知りました。
出会いを大切にしながら、私もセミナーで学んだ分、骨盤ケアの楽しさや良さ、体が楽に変わる喜びを思う存分伝えられる助産師になりたいです!
骨盤ケアは妊産婦にも必要だけど、体に辛さを持っていたり、体調の悩みを抱えている方にも、ぜひ届けたいと思っています。
そして、北海道の女性や子ども達が、楽な体で幸せな毎日を過ごせるように頑張りますので、どうぞよろしくお願いします!