兵庫県の助産師 安友 千津子さんのコラム
いつかはきっと、高砂市でママ達が集える場所作りをする!
【はじめに】
こんにちは。兵庫県高砂市の助産師安友千津子と申します。滋賀県大津市出身で4人きょうだいの末っ子、田舎で木登りや外を駆け回って遊ぶ子どもでした。部活はバスケ・空手道と猪突猛進、たまに足を痛めながらも運動・体力にはけっこう自信がありました。なのに、偏平足。「生まれつきだから、しょうがないのかな?」と、諦めていました。
【助産師になるまで】
看護大学卒業後は兵庫県の公立病院で、看護師として2年間病棟勤務をした後、結婚し地元滋賀県へ戻り、総合病院に就職。
看護師5年目で第1子を妊娠。経過は順調でしたが、妊娠掻痒症でかゆみに耐える日々。分娩は前期破水後も陣痛が発来せず、40週3日、陣痛促進剤を使用し5時間で出生した長女は、反り返ってギャーッと泣き、抱っこをするのに苦労しました。寝かしつけやお出かけにスリングは必需品で、縦抱きもしていたけれど、少しは“まるまる育児”となったのかな?
地元で実家は近いけれど、何だか孤独な育休中の子育て。児童館や子育て広場で居場所ができてホッとし、ママ友もできました。幸い母乳育児は順調で、今はニコニコした運動好きの中学生になりました。
育休明けはNICU配属となり、半年後に2人目を妊娠すると、中期から左股関節の違和感を自覚。骨盤位も続いていました。
今なら「どちらも3年間ほど車移動中心の生活をしたせいで、足腰が弱ったからやろなぁ」とわかるのですが、当時はそんな知識もなく、逆子体操や冷え予防を続け、産休に入ってすぐの32週、無事、頭位に\(^o^)/
左股関節痛の方は、大津の「すこやか母子整体かわぐち」で、川口妙子先生の施術を1度受けたところ、消失し体が軽くなりました。
妊娠41週、破水から始まり、今度は自然に陣痛が発来。念願の助産院出産ができ、長男が誕生。現在小学生の長男は、昼間に少しグズグズするくらいの、穏やかな子でした。
ゆっくりとした産後の入院生活を楽しみ、産後にもう1度川口先生の施術を受け体も楽になり、スリングも愛用していました。
育休復帰後もNICUへ。退院時に「おめでとうございます」と笑顔で送り出せる喜びのある職場ではあるのですが…。反り返って泣き続ける赤ちゃんに、お母さんがお乳をうまく飲ませられなくて困っていても、知識・技術ともに十分な援助はできず、辛い日々でした。
夜間保育を利用し月9回の夜勤生活。かわいい盛りの子ども達と過ごす時間の少なさが寂しく、フルタイム勤務で休みの日は疲れて寝てばかり。こんな時も、パワフルで優しさあふれる助産師さん達の姿が脳裏をかすめ、「今から助産師になれば、元気でいれば、あと30~40年、おばあちゃんになっても働ける!」と思うようになりました。
学び直す楽しさと勢いで助産専門学校に合格し、34歳で1年間休職。「覚えられない。時間がない」と苦しみながらも、一回り年下の学生や、私を含む4人のママ学生と励ましあい、楽しい日々を過ごしました。
【助産師になってから】
復職しハイリスクが多い総合周産期センターで4年間勤務。助産師1年目は第1子の“小1の壁”と重なり、家事・育児とフルタイムの仕事の板挟みで心身ともにボロボロの時期でした。
幸いなことに、とても良い人間関係でスタッフの支えがあり、時間に融通が利きやすいようにと、婦人科・産褥チームに配属してもらえ、勤務を続けられました。
しかし、体は辛く、慢性蕁麻疹となり薬が手放せず、毎年体重は増えて下腹ポッコリ、緩いお通じ、冷え性、ひどい肩こり…、休日の楽しみはマッサージ通いと昼寝。「少しは運動を!」とヨガを始め、体を動かす気持ち良さと落ち着きを感じました。
人と比べず、自分の心身を見つめる心地よさと、ヨガの哲学にも魅力を感じ、仕事にも活かしたいとマタニティヨーガ研修へ行きました。
【骨盤ケアとの出会い】
看護師として働いていた2人目妊娠中に、ネットでトコちゃんベルトⅡを購入。これがないとお腹が重たい感じがするので、ギューギューに締め、更に肌のかゆみが増すという、今になって思えばとんでもない使い方ですね(~_~;)
産後はトコちゃんベルトを着けると違和感があり着用を中断。「箪笥の肥やし」となってしまいました。
「そうなってしまった理由は?」と考えると、産後に里帰りをせず、川口先生のところにも産前産後各1回しか通わず、良くない体の使い方で動き過ぎたこと。さらには、骨盤のゆがみが更に複雑になったにもかかわらず、セルフケア体操もせず、適切な着け方をしなかったためでは…と、今更ながら悔やまれます。
滋賀県の周産期センター勤務中、骨盤ケアを学んだ先輩助産師が、トコちゃんベルトの購入を希望する妊産婦さんのサイズを測定したり、着用指導したりしていました。また、彼女が分娩につくとお産が進んだり、褥婦さんの肩を回したりする技を行うと、おっぱいがふわっと柔らかくなるのを見たことが、骨盤ケアとの出会いでした。
3年前、夫の転勤で夫の地元高砂市へ引越し、これまで働き詰めで夫の負担も大きかったため、1年間主婦生活を楽しみました。助産師経験が少ない焦りから、この間にメンテ“力”upセミナーなどの研修に通い、トコちゃんベルトアドバイザーをチャレンジするも、1回目は筆記試験不合格。
左股関節の違和感と冷え性で整体通いだったので、てっきり骨盤が悪いと思っていたのに、信子先生からは顎のゆがみと首の悪さ、不器用の原因は肘の捻じれと指摘され、ビックリ!
さらに、筆記試験をはじめとする注意力散漫も「体が良くなればマシになるかも?」と総合ベーシックセミナー受講を勧められました。「そこまで進めば、セルフケアもママ達へのテイクケアも、もっとできることが増える!」という魅力に取りつかれたものの、すぐには進めませんでした。
個人産婦人科医院で日勤パートを始めて、正常なお産と外来妊婦指導の楽しさを味わいました。なのに、自分の引き出しが少ない上に、短時間で保健指導を行うことの難しさ。ローリスクといえども、妊婦さんからお腹の張りや逆子の相談をされても、褥婦さんから恥骨部痛や後陣痛を相談されても、対応できないもどかしさ…。
私の経験した分娩件数は少なく、緊張もあり「冷たい手でごめんなさい」と妊産婦さんへ謝ってから触るという、ケアに自信が持てない日々。マタニティヨーガ教室も立ち上げたかったけれど、人手不足の職場の中で企画する勇気もなく…。
「このままではだめだ」と感じ、「現場で使える技術を得なきゃ!」と総合ベーシックセミナーに進みました。
解剖学を必死に覚え、技術やヨガの実践中に、どの筋肉や骨がどう動いているのかと意識することで、知識と自分の経験と実践が頭の中でつながり、仲間と学ぶ楽しさを再び感じました。
子ども達を相手に習った技を練習すると「気持ちいい、もっとやって~」と、ほんわかとしたコミュニケーションの機会となっています。
職場では後陣痛に苦しむ経産婦さんが「骨盤コロコロ」の技で後陣痛が消失し「すごい、今までで一番楽!」と、笑顔になると私も嬉しい。けれども、スタッフやママ達に伝える私の力不足で、孤独にこっそり試している程度で、上手くいかないことも多く、やがて習ったことを使わないうちに忘れてしまい…、というのが実情でした。
その後、職場はいっそう忙しくなってしまい、家族との時間も大切にしたいと思い退職。
マタニティヨーガ認定インストラクター取得、骨盤ケア教室見学や助産所研修…と、学びは楽しく、欲張ってインプットばかりしてきました。
でも、それでは宝の持ち腐れですね。「学んだ技を一つずつ、できることからアウトプットしたい」と思っていた矢先、勉強会で知り合った助産所から、声をかけていただきました。
そこで、産後のママにベーシックで習った骨盤ケアを少しずつ実践し、目の前のママから学ぶ手ごたえを感じ、と同時に、勉強不足も感じています。そして骨盤ケアを「産後だけでなく、妊婦健診の中で1回でも、個別指導を取り入れたい」と言っていただけました\(^o^)/
信子先生の施術を自分が受けて、「体が楽になると気持ちも上向きになる!」と改めて実感。教室・施術見学でママと赤ちゃんが笑顔になる姿を見て、「更に技を磨いていきたい!」とエンパワーメントされました。
メンテナンスを続け自分と家族から元気になり、家庭と仕事の程よい中庸をめざし、最近、仕事をゆっくりと再開しました。
おばあちゃんになっても周囲の人をエンパワーメントできる、柔らかくも芯のある助産師を目指していきます。
そして、「助産師になりたい!」と言霊の力で夢が一つ叶った時のように、「いつかはきっと高砂市で、ママ達がマタニティヨーガ・骨盤ケア・“まるまる育児”で集える場所作りをする!」という夢も叶えたいです。