京都市のフリー助産師 松本 かおり先生のコラム
わらべうたベビマとの出会い、そして今後
【看護の道を目指すまで】
料理上手で人の喜ぶ顔を見るのが生きがいだった祖母、私が大好きだった祖母は脳梗塞となり、片麻痺が残る体で台所に立っていました。
「情けないわ」とぼやきながらも自立して暮らしていたものの、最終的には寝たきりに…。
長かった入院生活の中、寝たきりでコミュニケーションも取れない祖母に、優しく手厚く接する看護師さんたちの日々のかかわりが、私を看護の世界へと誘っていきました。
【助産師になろうと思ったきっかけ】
人生で初めて「新しい命が誕生する瞬間」に立ち会ったことが、私に衝撃と感動をもたらしました。
看護学生時代の母性実習初日、病棟は何やらドタバタ…、「学生さん! お産の立ち合い許可もらったから誰か入って!!」
分娩室に入り産婦さんの手を握りながら、立ち会っている夫やスタッフと一緒に応援。汗を流し一生懸命お産に集中する産婦さん、夫も真剣な表情で応援。
助産師のゆったりした、でも安心する力強い声に励まされ「おぎゃー!!」と産声が聞こえました。
このお産に立ち会ったことが人生を大きく変えました。
それからの私は助産師とは一体どのような仕事をするんだろうと調べました。
妊娠・出産・産後のお母さん、新生児だけでなく、思春期~青年期~更年期~老年期と女性の一生にずーっと寄り添っていける仕事なんだと分かり、ますます魅了され「助産師になりたい」という夢が膨らみ、27歳で無事、夢が叶いました。
【骨盤ケアとの出会い】
新卒で就職した病院は外来・母親教室に骨盤ケアを取り入れていた病院でした。
先輩助産師にベルト装着や操体法の指導を受けるものの、「私が指導したり体に触ったことで妊婦さんと赤ちゃんに何か起きてしまったらどうしよう?!」と不安と心配は募るばかり。
「ビクビクしながら指導するくらいなら、しっかり骨盤ケアを勉強しよう!」と思ったことがきっかけでメンテ“力”upセミナー、続けてトコちゃんベルトアドバイザー資格の取得をめざして邁進しました。
しかし、勤めていた産科病棟は他科との混合病棟であり、経験年数を積むと産科は新人が担当するため、妊産褥婦を受け持つ機会が減少。次第にお産から遠ざかり、そして家庭の事情で退職するに至りました。
【自らの妊娠・出産を経て骨盤ケアの重要さを実感】
私の初めての妊娠は、初期から便秘・頻尿・尿漏れ、お腹はふんわり感はなく硬い…。17週からはさらしを巻き、下肢のマッサージも始めてしばらく気持ち良く過ごせていました。
20週から切迫早産で張り止めの薬を内服開始。セルフケアをしているのにこんなにマイナートラブルが多いなんて…、きっと骨盤が緩んでいるんだろう? もっとマタニティライフを楽しみたいのに腰痛も悪化して痛い…。
「そうだ!」と、思い切って渡部信子先生の施術を受けに行くと、腹直筋はパックリ離開、胎児は横向きで、しかも膝は180度以上伸びている“反張膝”と分かりました。その日のうちに“おなかまき”を購入し着用。
いつもパツパツだったお腹がなんだか楽に。帰り道の足取りがとても軽かったのを覚えています。
それから毎日朝晩30分、症状に合わせて操体法をしました。すると嬉しいことにいつの間にかあぐらをかいた良い姿勢で頭位に(^0^)!
切迫早産だったにもかかわらず40週を超え、歩き回っていたら破水。促進剤を使用して5時間ほどの安産で娘が誕生!
しかし、血圧が上昇し、浮腫もひどくなり、血圧と浮腫が治まるのに2ヶ月、産後2ヶ月からは恥骨部痛で立ち上がるのが痛い…。
体操によって徐々に改善したものの、自分自身の体を通して産後のお母さん達のしんどさ、辛さを体験しました。
妊娠する前からの体作り、妊娠初期からの骨盤ケアが大事だったと痛感。「このままではいけない」「同じような辛さを抱えるお母さん達を何とかしたい! ケアしたい!」と思うようになりました。
【まるまる育児】
幸い我が子はある助産師の紹介で“まるまる育児”と出会い、“マイピーロネオ”と“おひなまき”で育てました。
大胆な動きの発達はゆっくりですが、手先はとても器用。1歳0ヶ月で器用に私にベビーマッサージ、1歳4ヶ月頃には床に落ちている髪の毛まで拾ってくれるようになり、母としては助かるような困るような複雑な心情でした…σ(^_^;
もうすぐ2歳。今では大人用のトイレによじ登ったり、浴槽やテーブルの縁を掴んでぶら下がることもできるようなってきました。
音楽を聴くと自然と体を揺らすようになり、リズム体操やダンス、歌が好き。もちろん、大人のまねっこも得意です。
体調を崩すことも少なく「“まるまる育児”のお陰で他の子よりも免疫力が高いのかな?」 と感謝しています。
【職場で感じていること】
現在、私は個人の産婦人科医院でパートで働いています。外来で保健指導にあたることが多いのですが、この数年で妊婦の体が変化していると感じます。
以前には少なかった骨盤位や尖腹の妊婦さんが目に付き、お産では回旋異常や分娩停止で緊急帝王切開になる産婦さんが増えてきています。
それでも外来の限られた時間の中ですが、妊婦さんと関わる嬉しさがあります。腕を伸ばしてお尻フリフリ体操を毎日続けて1週間後に逆子がなおった人、先天性の股関節脱臼を抱えた妊婦さんに、下肢の上げ下げ操体法を伝えると、「足の向きと長さが整って違和感が消えた!」と喜んでもらえたこともありました。
新生児にも異変を見かけるようになり、出生直後にお母さんの乳頭を覚えさせようにも、吸おうとしない児に出会い、とても驚きました。
お母さんのお腹の中で指をしゃぶりながら、おっぱいを吸う練習をしているはずなのに…、もしや指吸いができない胎内環境で育ってきたのかしら?と心配になります。
妊娠初期からの骨盤ケアの大切さが、ますます身に沁みるようになり、産後にトコちゃんベルトアドバイザーを再度取得!
最近外出するたびに、小さい赤ちゃんが縦抱きの抱っこひもで抱かれているのをよく見かけるようになりました。
1ヶ月健診で早くも縦抱きの抱っこひもで来るお母さんがいるのでヒヤッとします。
「赤ちゃんがすくすく健やかに成長するためには、頸が据わるまでは横抱きで育ててあげようね、頸は一生モノだよ」とお母さん達に伝えるようにしています。
しかし、今のままでは力及ばず。「自分の判断力・診断力・技を磨いて、様々な症例に当たっても対応できる助産師になりたい!」と、総合ベーシックセミナーを受講し始めました。
【わらべうたベビーマッサージと出会って】
妊娠・出産・育児に向けての女性の体作りのために「今の私に何ができるだろう?」と模索していたときでした。
「わらべうたベビーマッサージって、今までのベビーマッサージとちがって面白いわ~!!」との声…。声の方向を見ると、知り合いの看護師。
「ん? 聞いたことないけれど、歌いながらマッサージするのって楽しそう!」「赤ちゃんの五感を刺激しながらスキンシップ…、素敵かも!」と学び始め、2015年に資格を取りました。
従来のベビーマッサージは手技に集中してしまい、赤ちゃんの表情を見ながら声を掛けるのが難しいと思います。
でも、わらべうたベビーマッサージはリズムが単純で歌いやすく、歌詞が赤ちゃんに触れる部位やマッサージの手技とマッチしているので、お母さん達もすぐにできるようになります。
歌いながらするので、お母さんの気分もリフレッシュ♪ 赤ちゃんも大好きなお母さんの声を聴いて、とてもよく笑います。
楽しそうによく笑う赤ちゃんに癒され、お母さんもご機嫌! 代謝もアップするのでおっぱいをよく飲み、よく寝てくれます。
毎日続けていると、1歳になる頃には赤ちゃんが自分からして欲しいとおねだりしたり、大人にマッサージをしてくれるようになりますよ♪ とても可愛くて癒されます(o^^o)
小さい頃、転んだときお母さんに「痛いの痛いの飛んで行けー!」と、歌ってもらったことはありませんか? 安心して子育てができるよう、様々なシーンに合わせたわらべうたがあります。
心の底から安らぐ歌、愛情とともに歌い継がれ、触れ合いがいっぱいの遊び歌、それがわらべうたで、“うた・ことば・うごき(遊び)”が一体となっています。
その中には古き良き文化が散りばめられていて、わらべうたを通して広く社会を学ぶことができます。
愛情たっぷりのお母さんの手に触れられることで、皮膚機能・内臓機能・免疫効果を高めたり、うたを歌うことで言葉の認知発達、赤ちゃんの音感を育てたりと感性をフル活動!!
触覚(マッサージ)、嗅覚(お母さんの匂い)、視覚(アイコンタクト)、聴覚(うた)と5感にたっぷり刺激を与えるので、母子の愛着形成にぴったりです。
【おわりに】
これからの私の夢は、お母さんたちの体を楽にする骨盤ケアや“まるまる育児”とともに、赤ちゃんの心を育て、親子の心の絆を強める“わらべうたベビーマッサージ”を広めていける助産師になること。
そんな中、京都トコ会館の“子育てサークルいっぽ”で、8/29(水) から“わらべうたベビーマッサージ”を担当することになりました。ぜひ皆さん、来てくださいね!