【助産師になるまで】
皆さん、はじめまして。私が生まれたのは愛知県岡崎市、父は自動車関係、母は美容師で、医療とは関係のない家庭で育ちました。なのに、幼いころから医療に興味があり「お医者さんになりたい」と夢見ていました。
しかし、国公立大学を目指せるほど成績優秀でもなく、私立の大学に進学できるほど裕福な家庭でもなく、人と話をしたり人のお世話をしたりすることが好きだった私は、看護の道を進むことに決めました。
看護大学での実習中に出会った助産師の、ケアや関わりを見る中で「助産師になりたい」と思うようになりました。
しかし、私が通っていた看護大学には助産師課程はなく、いったん助産師になることは諦め、2008(平成20)年に京都国立医療センターに就職しました。
【助産師にあこがれ、助産師になって】
手術室に配置された私は、たくさんの帝王切開を担当。既往帝王切開がほとんどでしたが、緊急の帝王切開もたくさんありました。
術前訪問で産科病棟に行く機会も多く、そこでお産に遭遇したり、妊産婦さんと関わるうちに「やっぱり助産師になりたい!」との想いを抑えられなくなり、助産師国家試験受験資格コースのある名古屋市立大学大学院に入学しました。
院生時代に友達の紹介で現在の夫と知り合いました。文系が大の苦手で、文章力のない私。そんな私の研究論文を読んで辛口に評価してくれました。
大変だった時代を支えてくれたこともあり、夫が住職になるのに合わせて大学院在学中に結婚。無事に国家試験に合格し、助産師となって婚家に近い福井県敦賀市のクリニックに勤務しました。
【骨盤ケア・まるまる育児との出会い】
骨盤ケアとの出会いは、そのクリニックで、「トコちゃんベルト」を取り扱うために、2014年5月、名古屋で開かれたメンテ“力”upセミナーを受講したときでした。
その時の私は産後2か月、第2子を連れての受講でした。反り返って泣いている息子の、強くゆがんだ頭に、信子先生の視線が注がれているのが分かりました。
声をかけられたのと同時に息子の首のコリを緩めてくださったようなのですが…?、一瞬のことで私には全く分かりませんでした。
それからマイピーロネオを当て“おひなまき”で包むと、息子は泣き止み、とても抱っこしやすくなったではありませんか! その時の感激は今も忘れられません。
その後、トコちゃんベルトアドバイザーの資格を取得し、クリニックでは個別の骨盤ケアやトコベル着用指導を担当。
そこで出会う妊婦さんや産後のママは、私の知識や技術では、指導に限界を感じることもしばしばありました。
【元気な体になったおかげで育児も楽しめるように】
メンテ“力”upセミナー受講後からセルフケアを続け、母子で京都まで2か月に1度くらいの間隔で信子先生の施術を受けに通いました。
「治ることはない」と諦めていた偏頭痛や首周りのだるさが消失。「震度5」と信子先生に指摘された脊柱側彎も徐々に改善。体の変化に驚くばかり…。
第1子の時は「育児はしんどいもの、自分の辛さなんて当たり前、自分を犠牲にしても子育てをするのが母親」と自分に言い聞かせて頑張っていたのですが、“まるまる育児”に出会って、元気な母親の体あっての育児だと気づきました。
元気な体になったおかげで、育児が楽しい!!と思うようになりました。
【前期破水から自然分娩、全足位(@o@)!】
妊娠中も操体法・骨盤ケアを続け、信子先生の施術にも通ったのに、妊娠26週から骨盤位になってしまいました。
習ったセルフケア法の全てを試しながら続けたにもかかわらず、お腹は張りやすく、仕事も休めず、骨盤位のまま臨月に突入。実家に近い総合病院で帝王切開を受けることとし、子ども2人を連れて里帰りしました。
「2人も自然に産んだのに、3人目になって帝王切開なんて…、でも仕方がない(-"-;」そんな想いで迎えた妊娠39週0日の夕方、家族と外食していたら突然の破水!!急いで病院に向かい、到着して硬膜外麻酔など帝王切開の準備をしていたら「子宮口全開!!」との声(@o@)
間に合わないと判断され、自然分娩をトライすることになり、2~3回息んだところ両足が出て来たのです。病院に到着後40分のできごとでした。お産に立ち会った先生も助産師もどんなにビックリされたことでしょう!!
分娩所要時間1時間半、3200gあまりの元気な男の子が生れました。第1子のお産は13時間、第2子は15時間もかかりヘトヘトだったのに、第3子は一番楽でした。
【外反位足】
ところが、赤ちゃんを見せてもらってビックリ! 右足の甲(足背)がスネ (下腿)の前面と密着しているではありませんか! その足を見た夫は「この子は一生歩けないんじゃないか」と思ったそうです。
メンテ“力”upセミナーを受講した時に、骨盤位で生まれたベビーのケアを聞いたことがあった私は、友達(助産師)が勤務する総合病院だったので、“おひなまき”の使用許可をもらい、すぐに丸く包みました。
翌朝、同病院の整形外科を受診し、レントゲン検査を受けたところ、「骨や軟骨に異常なし、経過観察」と言われましたが、「念のため」と小児整形専門の病院を紹介されました。
その夕方、両下肢の写真を撮りメールに添付して信子先生に送ったところ、「足首はリラックスできるよう触れながら、マッサージもどきのことをすればいい」。
「外くるぶし側にガーゼなどを丸めて当てて、テープで固定して、きれいな状態で“おひなまき”にするのが良い」との返事をいただきました。
教えてもらったように足首のケアをして、“おひなまき”を続けると、日に日に足首は改善。
産後1週間で福井に戻り、そこから京都に施術に通いました。
信子先生にお産の話をすると、「外反位足でも、自然に産めたんなら儲けもんやんか。全足位(両足から生まれる)で自然分娩なんて、聞いたことないで~! 日本はおろか世界中で、1年にそんなお産、5例もないやろな~」などと驚かれました。
信子先生の2017/5/29のブログで紹介された「全足位で安産\(@o@)/ 足の形も改善」は、私のことなんです(*^_^*) 足の写真も載っていますので、ぜひ見てください。
⇒
http://blog.ap.teacup.com/majyosanba/1726.html
その後、生後4か月まで毎月1回小児整形専門の病院を受診しましたが、「特に異常なし、経過観察。歩き方が変だったら受診してください」と、終診になりました。
ちょうど今日が1歳の誕生日、足首が曲がっていた痕跡も見られなくなり、発達は良好で伝い歩きができるようになりました。
【ケアの有無が子どもの人生をも変える?】
妊娠中の骨盤ケアも“まるまる育児”も知らずに産み育てた第1子
妊娠中の骨盤ケアはしなかったけど、生後2か月から“まるまる育児”で育てた第2子
妊娠前から分娩時まで骨盤ケアに励んで産み、出生直後から“まるまる育児”で育てた第3子
第3子は指先がとても器用で10か月で鉛筆持ちをはじめ、11か月になると、両手で鉛筆持ちができ、両手同時に線を描いています。今は、積み木に夢中で、小さな積み木を4つまでなら積み上げることもできるようになりました。
第2子はよく泣く赤ちゃんでしたが、4か月頃から泣くことも減り、箸は1歳11か月から持てるようになりました。
今は4歳になり、体格も良く運動能力も高く、保育所で褒められることが多く、手もかからず育児に悩むこともありません。
第1子は6歳になり小学校に入学、体格は華奢で喘息持ち、風邪などで熱を出すこともしばしば。明らかに他の2人に比べて病気がちです。
その上、下の2人のような器用さはなく、箸・鉛筆の持ち方もぎこちなく、なにかと不憫です。
胎児期・乳児期のケアの違いでこれほど大きな違いが生じ、子どもの人生にも大きな影響を与えるのだろうかと想うと、骨盤ケア・“まるまる育児”の大切さをひしひし実感。
第1子の時から“まるまる育児”に出会いたかった。もっと早く知っていれば…と思うと、本当に悔しいです。
一歩外出すると、お母さんに抱かれている赤ちゃんの姿勢や向き癖や絶壁頭、幼児の立ち姿勢や歩き姿…、とても気になります(;-_-)
それが“普通”と気にも留めていないお母さん達…、「これでは良くない、微力ではあるかもしれないけど、何とかしたいな」との気持ちが膨らんできました。
【開業】
助産師業務から離れた月日が過ぎるにつれ、「仕事に戻りたい。でも、どんな働き方で?」と悩むようになりました。
婚家は寺院で夫は僧侶、そんな環境の中で3人の子どもを預けて勤めに出るのは難しいけど、広い部屋が何室もあるという好条件もある。
「したい仕事をできる範囲で」と考えたとき、「地域の母子のケアに当たりたい。骨盤ケアと“まるまる育児”を、もっともっと広める仕事をしよう!」と決意。
昨年までは「出張専門」として届け出を出していましたが、これから本格的に施設を構えて働くために、5月1日付けで「うまじ助産所 開設届」を提出しました。
でも、私の知識・技術では対応は無理と思い、先月からトコ・カイロプラクティック学院の総合ベーシックセミナーを受講しています。
若狭湾に面した全ての母子が安心して身を寄せられる「駆け込み寺」の“肝っ玉母さん”を目指して頑張ります!