千葉市のセラピスト 仲 真衣 先生のコラム
体と心を繋げてくれた“まるまる育児”
千葉市で「ふわり-Personal Care-」という自宅サロンを主催している 仲 真衣と申します。“自分史上最高に快適な身体作り”をテーマに、次の3つを柱に“自分で自分を整えるパーソナルケア”を提案しています。
・骨盤体操を中心としたエクササイズセラピー
・推拿の手技をベースにした体と顔への整体
・アロマ講座
開業して1年9ヶ月。お客様は主に地域の産前産後のママ達ですが、口コミが広まり、最近ではお子さんや男性・年配の女性も通ってくださっています。
私が生まれ育ったのは京都の二条城のすぐ近く。京都トコ会館から徒歩10分なのに、出産するまで全く存在を知らず、体のあちこちに辛い症状を抱える学生時代を過ごしました。
私には兄がいましたが、10歳のときに交通事故で亡くなってしまいました。
当時は特に診断名がついてはいませんでしたが、母からは「泣き止まない赤ちゃんで、四六時中抱っこしていた。歩くようになってからは落ち着きがなく、動き回るようになった」と聞きました。
兄の死は「健康とは、病気にならないだけではなく、咄嗟の判断が取れる使いやすい体であることが大事」との考えを、私に想起させてくれました。
私の母は大の運動嫌い。ほとんど体を動かすことなく育ち、兄の妊娠中は20kg以上も体重が増え、妊娠中毒症にもなりました。逆子が治らないまま、ひどい難産で産んだそうです。
第2子の私も仮死で生まれ、総合病院に転院。しばらくの間、入院を余儀なくされました。
【人と同じことができず、辛かった学生時代】
兄とは正反対にほとんど泣かず、あまり動かなかった私は、ずっとベッドに寝かされっぱなし。ほとんどハイハイすることなく1歳前に歩き出し、その後も、本を読んだり室内でおっとり遊ぶ子でした。
兄が亡くなってからは、家族も1人での外出に敏感になり、小学校の登下校も祖父の車で。しかも、中学受験準備のため、高学年に入ってからは公園に行った記憶も皆無。
そんな“カリスマもやしっ子”だった私が、中学に入ると何故かバレーボール部に入部。当然ながらできるわけがなく、顔面でレシーブを受ける日々。
それでも、悔しさから高校でも部活を継続。朝練・自主練…、年末年始以外ほぼ休まず練習に明け暮れた結果、椎間板ヘルニアを発症。
どうして、人と同じことができないのだろう? なぜ、努力が実を結ばないのだろう? 運動神経って一体何なの? 体に関する疑問が渦巻いていました。
なのに懲りない私。球技はダメでも6年間で培った持久力を活かそう(?)と、大学時代にはスピードスケート ショートトラックに転向。しかし、ここでも敢え無く挫折。
10歳頃から食事の後に吐いてしまうことがあった私。20歳頃にピークを迎え、拒食と過食・過食嘔吐を繰り返す“摂食障害”で外出もできなくなり休学。
そもそも、痩せ願望が原因といわれる摂食障害ですが、全く身に覚えがなく、心療内科に行っても薬を飲んでも効かない。
運動面だけでなく生活面でも、頭で思い描くことを全く体現できない自分に苦しみました。
「こんな自己矛盾を抱えながら生きるなんて…、もう自分の人生を終わりにしよう」と思いつめたこともありました。
それでも、栄養バランス・玄米菜食・歯列矯正・心理学…、あらゆるものを学び、試す中でヨガに出会いました。
無理なポーズではなく呼吸に意識を向ける。少しずつ練習することで、なぜか心が軽くなっていく。
食べたいものが分かり、適切な量が掴める。それに伴い、自分は何をしたいのか、何が好きなのかも分かるようになりました。
「~しなければならない。人と同じでなければならない」という思考からも解放され、同時に、「もしかしたら、心の病の原因は体にあるのかもしれない」と思うようになりました。
【体と心の繋がりが確信に変わった“まるまる育児”との出会い】
大学卒業後、大手製鉄会社に就職。広島に配属された私は、慣れない地と“The男社会”の中でヨガ教室に通うこともできず、体調を崩しました。診断されたのは卵巣嚢腫。
入社後2ヶ月で手術・入院。復帰するも週5勤務が辛く、会社への罪悪感は増すばかり。
その後しばらくして、千葉で勤務する同期と結婚。遠距離結婚の日々を経て東京本社へ。
母子家庭で育った私には“働く”という価値観がとても大きく、奨学金返済のためにも“寿退社”という選択肢はありませんでした。
ほどなく妊娠が発覚。ただでさえ疲れやすいのに、悪阻も重なり疲労はピークへ。自分が歩く揺れで気分が悪くなり、電車もエレベーターも苦痛で仕方ありませんでした。
総合職で入社した私は、その頃、月の半分程が終電かタクシー帰宅というハードな部署に所属していました。
会社もどう扱っていいのか悩んでいる状態。異動を願い出るも受け入れてもらえない中、破水した感覚に襲われ救急搬送。妊娠25週でした。
救急車の中で、「もしかしたらこのまま出産になるかもしれない」と言われたとき、血の気が引いたことを今でも覚えています。
幸いなんとか乗り切ったものの、そのまま休職→産休。自分の置かれた環境で必死に頑張ることと、お腹に宿った命を守ることの難しさを痛感しました。
なんとか無事に生まれて来た長男でしたが、初めての育児で四苦八苦。反り返って泣き愚図り、24時間おっぱいを咥えているような状態でした。
自分を整えるための産後ヨガクラスに参加してみても、ずっと授乳をしているので、全く整いません。
うまくできない自分が悲しく、摂食障害も再発。藁をもすがる思いで、辿り着いたのがトコちゃんベルトのパンフレットにあった“天使の寝床”でした。
“まるまる育児”とはなんだろう? そもそも、産院で習うのは授乳の仕方とお風呂の入れ方だけ。よく考えてみれば、抱っこの仕方も知らない私。
なんとか自分で情報を集めたり、助産師さんに出張整体をお願いしたり。手探りで始めた“まるまる育児”でした。
数ヶ月経つ頃には、不思議と息子も私も落ち着きが出てきました。ヨガクラスでも、ずっとご機嫌でいてくれる息子を、みんなが驚きの目で見るようになりました。
ここでやっと「心の入れ物は体。心の病の原因は、体の構造の不具合?」との私の憶測は、確信に近づいていきました。
【サロン開業・第2の人生】
職場復帰後、第2子を妊娠。妊娠中からの体作りに励みました。それと並行して、今後の自分の人生についても模索するようになりました。
働き続けるという絶対的な価値観に揺るぎはないものの、育休を利用して自営業やフリーランスなど、多様な働き方をしているママ達の姿を垣間見た私は、会社員でい続けるこだわりに疑問を持つようになったのです。
手始めに自分の“好き”を探求し、産前産後ヨガインストラクターの資格を取得しました。
第2子・娘の出産・育児はとてもスムーズでした。いつも穏やかで、動きもしなやかな娘の姿に「妊娠中のケアでこうも違うものか?!」と驚きの連続でした。
2歳前にジャングルジムを5段登り、なんなく立ち上がってみせる姿は圧巻でした。
私が育児を楽々とこなしているのを見た周りの人達も、ケアに興味を持つようになり、育休中に趣味でヨガのレッスンを開催してみました。
そうしたレッスンの中で、また躓きが出てきました。上手くポーズが取れず、ポーズに集中すると呼吸が止まってしまう方が多いのです。
そんな方に操体法をお伝えし、試してもらうとスムーズにできる。こんなことが続く中で、私自身も「今まで行ってきたポーズは逆に体を傷める」と気づき始めました。
胎児期に染み付いたゆがんだ姿勢、筋肉のアンバランス。それを補うように獲得した動きの癖は、なかなか意識だけでは取りきれないのです。
そこで、自分でもケアができるようになりたいと推拿整体の資格を取得。メディカルアロマでのセルフケアについても学びました。
職場復帰後は、週末にレッスンをするようになりましたが、日程が限られるためお断りすることがしばしばありました。
会社の会議中も人の体ばかり見つめている自分。体の状態が心に現れる。そんな状況を受け、第3子妊娠をきっかけに「今後はボディワークを志していこう」と決意し、産休を取らずに退職しました。
「地域のみなさんのために、骨盤ケアをもっと学ぼう」と心に決め、3人目の次男が3ヶ月になるころ自宅で開業。トコ企画やトコ・カイロプラクティック学院のセミナーも受講しました。
次男は保育園に入る1歳になるまで、一緒にレッスンに帯同。迷惑になるかと思いきや、逆にママ達の悩みを引き出すこともできました。
【母として、伝えたい思い】
母だからこそ、子どもがいるからこそできる働き方は無限にあります。枠に縛られることなく、たくさんの女性に輝いてほしい。そのためには、まずは体作りです。
母親が元気で笑顔でいれば、どんな困難も乗り越えられるのではないでしょうか?
自分のことより、子どもや家族を、まず心配するのが母親の“さが”ではありますが、「自分ファーストを大事に!」を伝えていきたいと思っています。
【今後の目標】
体から心へのアプローチは、育児中の心を楽にすることはもちろん、どんな世代の方にも有効だと感じています。「自分で自分を整える」という価値観を広めていきたい。
自分を大切にする家庭、幼いころから習慣になっている人達が増えれば、社会全体が元気になるのではないでしょうか?ストレスや困難が多い社会にも、しっかりと地に足を着けて、人生を歩める子ども達を送り出すお手伝い。
こんな素敵な道を、これからも邁進していきます。