滋賀県のパート勤務助産師 今枝千賀子さんのコラム
夢は“国際協力事業で働ける助産師”

 
はじめまして、助産師の今枝千賀子といいます。現在は滋賀県の産科クリニックでパート勤務をしながら、新生児訪問やセミナーなどで知識と技術を蓄えつつ、開業に向けて準備をしています。

【国際協力の仕事をめざして】
私が助産師という職業に出会うまで、27年もの月日がありました。しかし、元々医療分野への関心はあり、最終的には医療分野に戻ってきたような感覚でいます。
始まりは小学3年生のとき、発展途上国で活躍している女性医師の番組をテレビで観たことです。それからは「医者になって発展途上国で人々の役に立ちたい」との夢を抱いて勉学に励みました。


進学高校に入学したものの微分積分で挫折...。文系に移り、今度は国際協力の分野を目指しました。大学では国際関係学を専攻し、単身インドなどに出かけ、ボランティアに励みました。国際機関での研修にも参加し、様々なレベルでの国際協力を勉強する中で、「一番現場に近いNGOで働きたい」と、想いはどんどん膨らんでいきました。

【経験を積み重ねてアフリカに】
しかし、何も社会人経験のない新卒を雇ってくれるNGOなどありません。そこで、社会人経験を積むべく、神戸にある人材コンサルタント企業に就職し、営業ウーマンとして働きながら、社会の仕組みについて学びました。
営業職にはノルマがあり、それはそれは…、きついものでしたがやりがいもあり、今の自分の基礎を作ってくれたように思います。
そのまま続けて行く道もありましたが、やはり国際協力への道を捨てきれず、体調を崩したのをきっかけに退職し、京都にある国際NGOへと転職しました。

NGOでは、人材を多く雇う余裕がないため、一人が多様な役割を果たすことが求められました。事務作業から営業・広報・宣伝など、多種多様な経験を積むことができました。
海外赴任の仕事もあり、一番の転機となったのは、アフリカ大陸南部にあるマラウィ共和国での、村落開発事業立ち上げでした。
始めてのアフリカへ日本人上司と私の2人で赴き、文字通り一からの事業の立ち上げに尽力しました。

文化の違い、劣悪な環境、国際協力の難しさなど、いろいろな厳しさに包囲された事業の中に、母子保健事業があり、何の知識もないまま担当することになりました。
専門家を招聘し、衛生・栄養改善、女性グループの立ち上げに邁進しまた。世界共通、特に途上国の母親はたくましく、子どもを思う行動力はさすがでした。

【助産師になりたい!】
こうした中で母子保健の面白さを知り、「地域を変えて行くのは女性だ!」と思う一方、その分野の専門的知識を持たない自分の無力さを痛感。
現場で対象者と関わる中で「専門家として対象者の側で働きたい」「未来への貢献度の高い助産師になりたい」と初めて思うようになりました。

思い立ったらじっとしていられない性格ですから、事業立ち上げから1年後、軌道に乗り始めたのを見届けて帰国。NGOを退職して助産師を目指して行動を開始しました。
年齢的にも少しでも早く資格を取得したく、2年次編入ができる大学を選び、看護師・保健師・助産師の資格を3年間で取得しました。

【助産師にはなったが…】
最初に就職したのは京都の病院で、分娩件数は月30~40件程度。さらに“女性ならば老若問わず、内科や外科の患者もあり”の地域周産期総合病院で、新人は就職して1年はお産につかせてもらえないのが慣例でした。
そのため、産後のお母さんや新生児のケアに当たることが多かったのですが、高齢初産で産後の不安を抱えるお母さん達の現状を目の当たりにし、「何とかしなければ」と強く思うようになりました。
このときに初めて骨盤ケアにも出会い、助産師の仕事の幅の広さと深さに感動し、同時に責任の重さを感じました。2年目になってもお産にあまりつけず、自分のキャリアに悩み始めました。
産科では出血が多く輸血など、全身管理も求められます。「お産につけないなら、いっそう全身管理を学ぼう」と転科希望したところICUに配属となり、エーッ(@o@)!
就職して3年目から全くの畑違いの仕事をすることに…。戸惑いながらも勉強の日々を送りました。

【開業助産師になろう!】
しかし1年後、夫の仕事の関係で退職。京都で過ごした3年は非常に濃厚で、忘れ難いものとなりました。わずか1年間のICU勤務でしたが、「全身管理を知り、できるようになる」という意味では貴重な機会でした。
滋賀県に引っ越してすぐに、同じような総合病院に就職。ところが、お産や産後のお母さんに寄り添いたい気持ちは日に日に膨らむばかり…。

そこで、お産と妊産婦と新生児に密着できる産婦人科クリニックに移動。改めてお産と骨盤ケアを学ぶようになりました。
今、妊婦さんの体が変わってきていることなど、学びと現実が一致していくことが面白く、どんどんと骨盤ケア・新生児のケアにのめり込んでいく自分がいました。
骨盤ケア教室の立ち上げに参加して教室開催して行く中で、「辛い症状を抱えているお母さんや、育て辛さを感じているお母さん達の力に、もっとなりたい!」と強く思うようになりました。

「妊娠前から妊娠中・産後・育児と長いスパンで、助産師が支援すべきことは大空のように広く海のように深い」と思う傍らに、力不足にあえいでいる自分を発見。
「もっと勉強して役に立てる助産師にならなくては」との想いに続いて、「もっとお母さんや赤ちゃんの側に長くいられる開業助産師になろう!」と、転進し始めました。
「しっかり体を診れて、施術もできるようになるには、やはり、今のままではダメ」と感じ、この3月からトコ・カイロプラクティック学院の総合ベーシックセミナーに通い始めました。

【待ちに待った妊娠】
「体を整えることで多くの女性が変わり、心も元気になり幸せになってゆく」そう実感できることが起きました。そう、私が妊娠したのです!
不妊に悩み、精神的にも不安定になっていた私でしたが、骨盤ケアと出会い、体を整え、楽な体で暮らせるようになったある日、赤ちゃんがやって来たのです! 結婚10年目のことでした。

【いずれはまた】
「助産師は未来を作る仕事。その一端を担っていきたい」と、大それたことを口にしてはばからない私ですが、出産・育児を控えている今は、日本での活動しか想い描けません。
でも、いずれはまたアフリカやアジアの地で、助産師として活動したいと夢見ています。
やりたいことが多すぎて、なかなか体がついていきませんが、目標は高く大きく掲げ、足下を固めながら歩み続けていきたいと思っています。