北海道名寄市の開業助産師 野口 智子 先生のコラム
道北全ての街の女性に、骨盤ケアを届けるのが私の使命

 
 みなさん、はじめまして。「のぐち母乳育児相談室」の野口智子です。北海道旭川市から、さらに北に2時間ほど車で走ったところに広がる街、もち米の里「名寄市(なよろし)」で、母乳育児支援・骨盤ケアで開業している助産師です。今年9月に、開業10年目に突入しました。
 かつてバレーボールで有名だった妹背牛町(もせうしちょう)で育ち、旭川市の看護学校に進学、卒業後は市内の産婦人科に就職。そこでお産に魅せられ、「助産師になろう!」と決断。看護師として2年間働いた後、進学しました。

【施設勤務・出産を経て開業】
お産に魅せられて助産師にはなったものの、分娩介助よりも母乳育児支援をしている時間が大好きでした。施設勤務助産師として約6年間働き、結婚5年目にやっと授かった子の出産を機に退職しました。
 1人目の出産は完全母子別室の病院でした。2年後に自然妊娠した子を、完全母子同室で上の子も夫も宿泊できる病院で出産し、とても幸せな入院生活を経験しました。その後、札幌に転勤。2人の子どもを幼稚園に入園させ、パートで区の新生児訪問を始めました。

 2人目を出産してから4年後にようやく第3子を妊娠。なかなか妊娠できない体に逆戻りしたようで、治療を経ての妊娠でした。
出産は夫の転勤先の名寄市ですることにしたものの、当時、名寄市の病院では母子同室は昼間だけでした。「夜は預けなくちゃいけないなんて…(-"-;」と、なんとか個室が空いている日に誘発分娩。母子同室を貫かせてもらいました。
しかも、名寄市は新生児訪問制度もありません。「一体どうなってるんだ? 道北は…?」との思いが頭から離れませんでした。
 出産から1年が経ったころ、たまたま母乳育児支援を学び直す機会に恵まれました。 道北の産科医療に何か違和感を感じていた私の心に、「学んだからには、この知識を地域に還元したい!」との気持ちが湧き起こり、何かに導かれるように、第3子出産後2年で出張専門で開業しました。

【骨盤ケアとの出会い】
 開業した私は、母乳育児に困っている人にも出会いましたが、「腰が痛い、恥骨が痛い」と訴える女性にも出会うようになりました。なのに、助産師として伝える引き出しがなく、悩み始めた2008年、渡部信子先生の骨盤ケアセミナーの広告を目にしました。場所は札幌、「これは行くしかない!」と即決。
 当時、周囲からは「3人の子どもを抱えて働くバリバリの助産師」と見られていた私ですが、首が痛くて上を向いてうがいができず、車をバックさせるにも後ろに向けない。ベビーカーはまっすぐ押せず、子どもと縄跳びをすれば尿漏れ、何をしても疲れる、頭痛薬や胃薬は手放せず…、辛い毎日を送っていました。
私は「もう一生元気になれることはないんだ。この先ずっとこの体を引きずって仕事をしていくんだ」と、未来に絶望すら感じていました。
 セミナー当日、操体法をして、骨盤高位でトコちゃんベルトを着用したその時、内臓がグラグラグラ~っと移動した感じがして、驚くほど体が軽くなりました。首も動く、 腕も上がる!「これって魔法?!」と疑うほどでした。その日を境に体も心もどんどん元気になっていき、39歳で第4子を自然妊娠。この出産を機に名寄に家を建て、施設を持つ助産院となりました。

【骨盤ケアに助けられた4回目のお産】
 妊娠中は操体法とトコちゃんベルトの着用を毎日続け、その甲斐あってか、お産ギリギリまで開業助産師として地域を走り回る仕事を続けることができました。妊娠38週0日、朝6時に破水。子宮口5cmなのに、陣痛が来ない…(*_*)病院の陣痛室で「どうしたものか…?」と考え、夜になりました。
 「明日になったら誘発になる。もう一度骨盤ケアをしてみよう!」と、操体法をしてベルトを巻きました。すると、急に眠気が襲ってきて、30分後、痛みで目が覚め分娩室に直行。あっという間の出産でした。
ホッとしたのもつかの間、後陣痛は辛く、なのに、産後2時間のとき出血が止まらなくなり、助産師に「このままじゃ、注射かなぁ?」と言われ、慌ててベルトを巻き直し、出血がおさまりました。またしても私は骨盤ケアに救われたのでした!

【進化し続ける私の骨盤ケア】
・2008年、メンテ“力”upセミナー受講直後から、トコちゃんベルトの着用方法の個別指導を始めました。

・2012年、 トコちゃんベルトアドバイザー取得。“骨盤くらぶ”開講
「整える」「上げる」「支える」の情報発信を目的に、保育士による託児付きの子連れOKクラスを月1開催。今では20名近くの申込みになることもあり、月1開催では間に合わない月もあります。
 それ以外に、子育て支援センターからの依頼で、骨盤ケアクラスを担当する機会が増えました。近隣の市町村のみならず、旭川・稚内、さらには、名寄から80kmも離れたオホーツク海方面など、毎月電車やバスに乗り、私の講座を楽しみにしてくれるお母さん方に会いに行く旅は、それはやりがいがあり、楽しくワクワクします。

・2016年、トコヨガインストラクターを取得。骨盤ケアのニーズが高まれば高まるほど、セルフケア指導力をアップしたく、昨年トコヨガインストラクター養成講座を受講。子どもたち4人を夫に任せ、最終のJRに乗り、前日札幌入り、翌朝の飛行機で札幌から東京に飛び、セミナー受講後東京から札幌に戻る。翌朝始発のJRで名寄に帰る生活が月1回、8ヶ月間続きました。
家族の協力無しにできないことでしたが、それを乗り越えトコヨガインストラクターになったことは、私の人生の中で、大きな自信となりました。

・2017年、名寄市・旭川市にて「トコちゃんの骨盤ケア教室」を開講し、ほぼ同時に名寄市でマタニティヨガクラスを開講。少人数クラスを楽しんでいます。先日は、腰痛のため歩くこともままならない妊婦さん2人が参加されました。その2人ともクラス終了時には痛みの訴えがなくなり笑顔で帰られる姿を見て、学んできて本当に良かったと、胸が熱くなりました。

【これからの私の夢】
 私が2~3時間かけて道北各地に出向いているのと同様に、2~3時間かけて名寄まで来られるお母さん方もたくさんおられます。
「骨盤ケアを学んでよかった」と嬉しく思う一方、そんな方々の想いに応えるためにも、「もっともっと精進しなければ」と、身が引き締まる思いで日々仕事をしています。そんな私の夢は…、

1. 道北の女性に 「自分の体は自分で整えることができる」と伝えたい。
2. 骨盤ケアを広めて、快適な妊娠生活・安産・幸せな産後を届け、
  1人でも多くのお母さんを笑顔にしたい。
3. そのためにも、道北全ての街を制覇したい。

 少しオーバーになりましたが、1つでも多くの街の1人でも多くの女性に、骨盤ケアを届けるのが私の夢であり使命、それに向かって走り続けます!