トコ助産院で働く助産師 佐藤雅子さんのコラム
宮崎県からトコ助産院へ すべてが学びの日々
皆さん、こんにちは。今年の3月下旬から、京都トコ助産院で働いている佐藤雅子と申します。宮崎から京都に移り住んで、2ヶ月が過ぎました。
実は、私は、助産師にあこがれて助産師となったのではありません。
母が看護師をしており、小さい頃から母の勤務する病院に遊びに行っていました(今思えば、非常に迷惑ですが)。仕事中の母はいつも明るく、患者さんも笑顔で、子どもながらに「看護婦さんって、いい仕事だな」と思っていました。
その反面、保育園ではいつもお迎えが最後。みんなが帰った後、建物は施錠され、先生と私と弟は、夕暮れの薄暗い園庭で母を待つということがしばしばありました。「友達のお母さんは早くに迎えに来るのに、なんでウチのお母さんはいっつもこんなに遅いんだろう」といつも寂しい気持ちでした。
家に帰った母は病院にいる時とは違い、とても疲れていました。疲れのせいか、イライラしていることも多く、よく大きな声で叱られました。いや、私がおてんば娘だったからだと思いますが。。。幼い私は「お母さんが疲れているのは、病院の仕事が忙しいからだ。病気の人がたくさんいるから大変なんだ。じゃあ、みんなが病気にならなければいいのに」と考えるようになり、中学生になると「病気の予防に携わる保健師になろう」と将来を見据えるようになりました。
看護学校卒業後、宮崎県立保健婦助産婦専門学院に進学、1年で保健師と助産師の両方を学ぶため、過密なカリキュラムでした。私は「せめて保健師の国家試験だけは合格するぞ!」と、助産師よりは保健師の勉強に勤しみました。
助産師の勉強の方はというと、分娩や産褥のイメージがつかないままだった看護学校の時と違い、学ぶことも体験することも格段に増え、理解しきれないまま断片的に散らばっていた知識が少しずつつながっていきました。そして、「女の人の体って、すごい」と感動しながらも、分娩や育児については、保健師の目線で知識を生かそうと考えていました。
そんな中、保健師として就職する気満々だった私は、教務の先生から声をかけられました。「保健師になるなら、まずは病院ってどういうところか知っておいた方がいいんじゃない? それに、せっかく助産の勉強をしたんだから、助産師として病院で働いてみたら?」と。
「それはそうだな」と思い、卒業後は公立の総合病院に就職し、その後は個人のクリニック、民間の総合病院と、気が付けば20年助産師として勤務してきました。いつ、保健師にトラバーユしようかと思いながらのスタートでしたが、助産師として仕事を始めてからは、あまりの奥の深さに、そんなこと考える余裕もありませんでした。
多くの方のお産に携わるうちに、「妊婦さんが元気でないと、元気に産んで育てられないな」と当然のことを実感。でも、元気で自己管理のできる妊婦さんが、だんだん減って来ているようにも感じていました。
そんな時に出会ったのが骨盤ケアでした。2006年に宮崎市で開催されたメンテ“力”upセミナーを受講し、骨盤から考えるという発想に衝撃を受けました。
「今までお産の何を見ていたんだろう? 人間の基本である骨格や筋肉や靭帯など、何も知らずにお産に立ち会っていたなんて、恥ずかしい」と思ったのを覚えています。共にセミナーを受けた病棟師長も骨盤ケアの重要性に共感し、すぐに導入が始まりました。メンテ“力”upセミナーも誘致し、病棟看護師・助産師や宮崎県内の助産師に受講してもらいました。
そして、「まずは病棟スタッフが実感することから…」と、スタッフにベルト装着してもらいました。すると、腰痛が軽減するスタッフがとても多く、ベルトをしたまま仕事をするスタッフが増えました。
それを見た入院中の妊婦さんに「それは何?」と聞かれ、「これはね、トコちゃんベルトって言うとよ。骨盤をケアしておくことはとっても大事やとよ!」と、身をもって指導してくれるようになりました。こうして、少しずつ骨盤ケアの意識が高まり、切迫流早産の医療介入を減少させることにつながりました。
その後、骨盤ケアアドバンスセミナー・新生児ケアセミナーを誘致、病棟の看護師・助産師がともに学ぶことができました。骨盤だけでなく新生児にも目を向けていかなければと、母子に優しいケアとは何かということを考え始めるきっかけとなったのです。
この時の骨盤ケアアドバンスセミナー・新生児ケアセミナーの講師をして下さったのが、小林いづみ先生でした。小林先生は宮崎市出身というご縁があり、骨盤ケアの自主練習の会にお付き合いいただけることとなりました。その会を「魔女の卵の会」と名付け、1ヶ月に1度、自主練習会を行っています。
骨盤ケアを学んでいる宮崎県内の4名の助産師が集って、自分の勤務先の骨盤ケアの状況や、症状がきつく対応が難しかった症例などケアに関することばかりではなく、自分の体のケアや助産師としての悩み、母子の最近の傾向など、話題は様々。お昼に小林先生のお手製おにぎりまで(とても美味しい!!)頂くという、とても楽しく学びの多い「まじょたま」の会なのです。
その仲間の助産師が出産し、新生児や乳児の発達をみるという機会に恵まれました。まだ発達応援セミナーを受講していなかった私は、小林先生が乳児の何をみて、どう判断しているのかさっぱりわかりませんでした。いや、それ以前に、新生児や乳児が、どんな過程を経て成長発達していくのかを、全く理解できていなかったこと。。。そして、1ヶ月健診を過ぎたお母さんや赤ちゃんが、どんな生活をして何に困っているのかが、わかっていないことに気が付いたのです。
「産んだら終わりではなく、育児が始まる」。自分が母親学級などでよく口にした言葉でした。でも、成長発達をしていく子どもや不安を持つ母親に対して、自分が助産師としてできることがあまりにも少ないことに、再び恥ずかしい気持ちになりました。
出産、育児の経験のない私が、出産や育児に携わる助産師という仕事をするのですから、勉強するしかありません。しかし、宮崎は交通の便も悪く、私自身、年々物覚えが悪くなっているという老化(?)も自覚し始めたので、「早く勉強しなければ」と、京都に行くことを決めたのでした。
京都に来て2ヶ月。渡部先生の施術アシスタントに入らせて頂いています。施術前の検査にしても施術にしても、ベーシックで学んだ内容だけでなく、見たことのない技が満載! しかし、その手技が鮮やかで、あまりにも早すぎて、恥ずかしながら私には、何をどうしているのかすら分からないことも多々あるのが現状です。
「妊娠中は体が緩むから、非妊時より10倍も体がなおりやすいんや」と渡部先生はよく施術中におっしゃいます。妊娠中から妊婦の体を改善し胎児が健やかに育つ胎内環境を作ること、そして母子ともに元気に出産を乗り越えられる体を作ること。これは、まさに究極の予防医学です。
幼いころに「みんなが病気にならなければいいのに」と思った、まさにそのことなのではないかと思うのです。
それ以外に、セミナーの受講をしながら、身体作りを基礎とした様々なクラスや“おとなまき”体験会の担当をしています。そして、京都では初体験も盛りだくさん。人生初の空手やヨガ、機械音痴の私がトコ助産院のブログを書いたり、レジを打ったり、病院勤務時代にはやったことのない業務の数々。まだまだ、世の中知らないことばかり! 京都での生活すべてが刺激的で、学びとなっています。
京都にいるうちに知識と技術をたくさん身につけて、宮崎に持ち帰りたい。そして「まじょたま」の仲間や助産院、病院の助産師がつながって、1人でも多くの妊婦さんやお母さん、赤ちゃんが元気に出産育児ができるよう、力を尽くしたいと思っています。