東京都の保育士 高野里江さんのコラム
産婦人科の病院で働き15年。赤ちゃんから学んだ保育士の想い

 
【はじめに】
 皆様、はじめまして。私は都内の産婦人科の病院で働く保育士です。「保育士といえば保育園」のイメージが強いですから、「産婦人科に保育士さん?!」とお母さん達には驚かれます。
 私の主な仕事は新生児のお世話や、新生児室の環境整備、沐浴指導、1ヶ月健診の補助や育児教室の運営です。いつも可愛い赤ちゃん達に囲まれてお仕事させていただいています。

【生い立ち】
 東京生まれの東京育ち、親の実家も東京なので田舎というものがなく、生まれてから1度も東京から出たことがない東京っ子です。幼少期までは23区で過ごし、親の離婚と共に少し都心から離れた地へ移り住み、結婚してからもその近隣に住んでいます。23区といっても、私が住んでいた頃は、周りに高い建物もない広~く見渡しの良い地。車もほとんど通らなかったので、5~6才の私は家から離れた大きな公園まで、友達と一緒に遊びに行っていました。1人でも行くことは珍しくなく、それが当たり前の時代でした。いつも外で走り回って遊んで、たくさん体を動かしていました。

 引っ越した先もわりと静かな地だったので、家の前の道路や原っぱ、公園もたくさんあり、小学生のときの記憶は外で遊んでいたことばかり。体を動かすことの好きな私は、中高ともに体育会系の部活で、青春は埋め尽くされています。そのお陰か、大人になった今も、体を動かすことと自然が大好きで、休日は登山を楽しんでいます。

【保育士になろうと思った動機】
 いつも元気そうなそんな私でしたが、家庭内のゴタゴタや環境の変化などが重なったためか、小学校に入学してすぐに病気になり、1ヶ月の入院生活を余儀なくされました。いつも優しい看護婦さんに憧れ、「私も大きくなったら看護婦さんになりたいな~」と思っていた時期もありました。

 子どもの頃、いつもたくさんの異年齢の友達と遊んでいた私は、自然と年下の子への関わり方を、いつの間にか身に付けていました。妹もいたので基本的にはお世話役です。2才しか離れていないのに、妹のオムツ替えや抱っこ、ミルクをあげたりと、お世話が好きだったようです。
 時には紙芝居を自分で作って、小さい子ども達に見せていたこともありました。特に赤ちゃんは大好きで、甥っ子や姪っ子のお世話なども良くしていた記憶があります。いつしか、赤ちゃんや子ども達に囲まれた仕事ができたらいいなと感じるようになり、保育の道を歩み始めたのでした。

【保育学生時代、そして就職】
 進学した学校は体育大学付属の保育科だったので、運動に関する授業が多く、水泳の授業は一年中ありました。お手玉を取り入れた授業では、連続50回できないと単位が取れないので、必死に練習しました。片手で2~3個を回す高度な技も今はもうできないですね。
 保育実習は緊張もしたけれど、子ども達との触れ合いは楽しく、「赤ちゃんはどのように成長・発達していくのかだろう?」「就職したら乳児クラスの担任になりたい…」と、保育士として働く日を夢見て胸が膨らみました。

 念願の保育士となった私は、保育園へ就職。しかし、毎年担任になるのは幼児クラス。いつも行事に追われた保育ばかりで、「行事が中心となって月日が流れている」と感じながら働いていました。
 「これでいいの?! もっと子ども達を外で遊ばせてあげたい。お散歩に行って自然に触れさせてあげたい」と思っているうちに、「私が保育士としてやりたいことって?」と悩み、4年間勤務した園を辞めました。

 退職と共にお誘いを受けて、障害者(児)の施設へ就職。知的障害や発達障害を抱えた子ども達とも関わりました。自分の中ではそれまでは、障害者施設への就職は考えたことがなかったので、様々なことを学ぶことができました。
 しかし、私は赤ちゃんの保育を捨てきれず、そして自分自身が出産・育児をする前には「赤ちゃんの保育に関わりたい」という希望を抑えられず、その施設も退職。就職先を探すものの、なかなか私が思うような仕事は見つかりませんでした。
 「それなら保育園ではなく、産婦人科で保育士の仕事はないのかな?」「看護助手としてでも良いから、産婦人科で働けないだろうか?」。 看護婦さんになりたいと思っていた時期もあったので、病院就職への憧れもありました。
 と、そうこうしているうちに“保育士 新生児室勤務”の文字が私の目に!! まさに、私が探し求めていたものでした。当初、分娩件数が多くスタッフ不足のため、「保育士を導入することで、新生児ケアのお手伝いや、沐浴指導などをしてもらえるのではないか」ということでした。
 はっきり言って、保育士といえどもほとんどオムツを替えたことのない私でしたから、「大丈夫なのだろうか…?」との不安を抱きながらも、念願叶い無事就職。あれから15年…、現在に至っています。

【結婚・出産・死別】
 社会人となって間もなく、後に夫となる男性とお付き合いを始め、7年の交際期間を経て結婚。すぐに妊娠もし、とても幸せな日々を送っていました。産婦人科に勤めて4年が経っていたので、出産・育児の不安もなく、日々大きくなるお腹に感動し、仕事を続けながら出産を楽しみにしていました。
 ちょうどその頃、夫が体に違和感を訴え始め、首にシコリのようなものがあったのですが、「疲れているんじゃないの? 何だろうね?」などと、私はあまり気にも止めていませんでした。
 気付けばシコリはどんどん大きくなり、数も増えていました。さすがに「病院で調べた方がいいね」となり、やっと検査へ。その時点でも、まさか大きな病気にかかっているとは、2人とも考えもしませんでした。
 ところが、それは悪性リンパ腫、血液のガンだったのです。ステージもかなり深刻なものでした。その頃、私は妊娠8ヶ月、あと少しで産休というところ。一瞬にして世界が逆転したはずなのに、私はしばらく状況を理解できませんでした。「まさか、こんなことがあるなんて…」と、何かドキュメンタリードラマでも観ているかのような感覚でした。
 そこから夫の治療が始まり入院。日に日に不安は募り、お腹の赤ちゃんに申し訳ないと思いながらも、一人になるといつも泣いていました。「これから、私達家族はどうなっていくんだろう…」。不安に押し潰されそうでした。

 不幸中の幸いとはこういうことをいうんでしょうね。私の妊娠経過は順調。予定日が近付く頃には、夫も通院治療に変わり、出産の際はずっと付き添い、分娩にも立ち会えました。無事に生まれて来てくれた娘を抱っこしたときの夫の顔は今でも忘れません。体調が優れないはずなのに、育児や家事をとてもよくしてくれました。私も育児休暇を1年間取っていたので、家族3人で暮らせる幸せを噛みしめていました。
 そして、色々な治療を受けながら闘病生活約2年、31才で夫は天国へ旅立ちました。その時点で娘は1才7ヶ月。「ずっと一緒にいた私が、なぜ病気に気付いてあげられなかったんだろう、もっとちゃんと話を聞いてあげていれば良かった…」。悔やんでも悔やみきれませんでした。
 でも、“自分のせいで、私や娘に悲しい思いをさせてしまっている”と一番悔やんでいるのは夫だというのは分かっていたので、夫に恥じることのないように、しっかり前を向いて歩かなくてはと心に誓いました。夫が心配しないようにいつも笑顔でいようと心掛けて…。
 夫の人生は少し短かったかもしれないけれど、中身の濃い充実した人生が送れたのだと思っています。

【骨盤ケア・まるまる育児との出会い】
 これらを知るきっかけとなったのは、セミナー講師でもある小林いづみ先生との出会いでした。小林先生がスタッフの一員として、私の勤務先に入職してきたのと同時に、骨盤ケアの導入が始まりました。「トコちゃんベルト?! 何それ?!」などと、助産師さんや他のスタッフを含め、知る人は誰もいなかったと思います。最初はみな戸惑うこともありましたが、妊娠すると当たり前だと思われていた腰痛などが、あっという間に改善するのを目の当たりにしました。
 新生児室で一緒の勤務の際には、赤ちゃんをバスタオルに包んで“まるまるおくるみ”。その光景に一同ビックリ。「こんなに小さく包んで大丈夫なの?」「あれっ、でも、赤ちゃんが良く寝るようになった!」と。教えてもらうもの全てが新鮮でした。
 その後、小林先生は独立開業。今思えば「あの時もっと色々教えてもらえば良かった!!」と後悔。というより、小林先生があのとき言っていたことが、やっと今になって理解できたのでした。
 それから何年かが経ち、赤ちゃんの反り返り、なかなか寝ずに寝てもすぐ起きる、頭や顔のゆがみなど…、どうも気になって堪らなくなくなりました。
 「これっていずれ治るのかな?」「このままでいいのかな?」と、辛そうな赤ちゃんの様子に疑問を感じ、「もっと私にもできることはないだろうか?」と思うようになりました。そこで、以前小林先生に教えてもらったことを改めて考え、辿り着いたのがメンテ"力"upセミナーでした。
 「私は医療系の資格がないから受講はできないのではないか?」と思っていたのですが、保育に関わる人はOKとわかり、そこから私のスイッチON!

【実家の援助を受けながらの子育て・仕事】
 夫が亡くなった後も、少しお休みを頂きながら仕事を続けていました。それは、一緒に働くスタッフや、家族の支えがあったからこそと感謝しています。幸い私は日勤のみなので自分で娘の送り迎えをし、日曜や年末年始は、近くに住む私の母や妹に預けて仕事を続けています。この援助がなければ、今の仕事は続けられなかったと思います。
 母も女手一つで私達を育ててくれたので、「大変だったろうな」と、同じ立場になって改めて感じています。「もっとあの時、色々手伝ってあげていれば良かった」と、今更ながら反省です。

【これからの夢】
 トコ企画の赤ちゃん関連のセミナーを受講していくうちに、「これって、助産師・看護師さんだけではなく、保育士も知っておくべきでは?」「保育学生の時にこういうことを教えてもらえなかったな~」と思うようになりました。
 最近は、首が据わる前の赤ちゃんを預かる保育園も多くなってきました。また、現代女性の体が変化してきて、健康で元気な赤ちゃんを産める人が少なくなっていると感じます。保育士でありながら、胎内での様子も知ることができる職場なので、いろんなことに気付きました。
 胎内でリラックスした姿勢でいられなかった赤ちゃんは、生まれてからもリラックスできず、いつも泣いています。「そのような状態を誰にも気付いてもらえなかったとしたら…、この先、元気にのびのび育つことができるのだろうか?」。そう思うといたたまれません。

 子どもが育つ環境としては、保育園もお家も、同様に大切です。家よりも保育園に長くいる子はたくさんいます。保育士が子どもの体の辛さに気付き、日々の保育に活かせたら、どんなにたくさんの母子が救われることでしょう。子どもがいつもニコニコしていたら、お母さんも安心して仕事ができ、育児も楽しめます。抱っこや寝かせ方、関わり方次第で子どもは変わります。
 骨盤ケア・まるまる育児を学ぶ保育士が増えれば、元気な子ども達もきっと増えることでしょう。私もたくさんの助産師さんに囲まれながら学んでいます。保育士だからこそ知っておくべきなのです。「保育士だから…」と怯むことなく、どんどん学びましょう!

 今の私の役割は、目の前にいるお母さんや赤ちゃん達が、家庭で少しでも楽しく過ごせるようにお手伝いすることだと思っています。そのためには、新たに院内の教室も増やし、ゆくゆくは「院内だけでなく地域のお母さん達にも“まるまる育児”を知ってもらいたい」と考えています。
 昔は当たり前のようにされていた“まるまる育児”が甦り、やがて、保育学校や市区町村の育児教室などでも取り入れられる日が訪れることを夢見ながら、これからも学びと仕事を続けて行けたら、嬉しいな~。