寒い京都の2月、「健美サロン渡部」での施術日の昼休み、ある不動産屋さんから電話があり、「北隣の古ビル付きの物件を買わないか?」と。昔から「隣の土地は借金してでも買え」と言うから、「前向きに検討します」と返事して、家族で相談することにした。エレベーターもない古ビルは大改装しても使えそうにない。更地にしてビルを建てて、貸しテナントやワンルームマンションを作っても、市内はすでに飽和状態で、赤字経営は目に見えている。
そう思い悩みながら、福岡でセミナーを開いていた日のこと、私に重大決心をさせることとなった母子に出会った。私の弟子、助産師 Ohana のクライアント赤ゃんが股関節脱臼の疑いで、入院を勧められているという母子だった。母は40歳を過ぎての初産、赤ちゃんは向きぐせもあり、激しく泣き続け、母は全身の痛みで、授乳も育児もままならない状態だった。夫はアメリカで働いていて、彼女は「お産のために一時帰国して、実家の近くの産院で出産したが、産後3か月にはアメリカに戻る予定だった」と。実母は80歳に手が届く年齢で、高血圧と膝などの痛みで育児支援能力は期待できない。産褥入院をしてもらおうにも相当高い整体技術が必要。八方ふさがりの中、私も整体の手伝いをして、赤ちゃんの股関節の動きはずいぶんと改善したものの、ママの体は思うように動かず、授乳も上手くいかない。。。
「今後こんな母子が、きっと、どんどん増える…」何とかしないといけない。。。
「そうや、隣の土地を買って“産褥助産院”を作ろう!」そう決心して帰って家族に相談すると、全員が即賛成。「健美サロン渡部」のスタッフも大賛成。購入の仮契約を結んだ。
今のままでは、全国にたくさんの助産師や保育士が、やる気をなくして、心を殺して生きている。そんな人たちを全国から受け入れて、力量をつけて、母子の心身のケアができる産褥入院施設を、全国で開いてもらいたい。それが産褥助産院を作る最大の目的かもしれない。
私のブログ「
魔女のひとりごと」に、写真入りでもっと詳しく書いていますので、ぜひ、読んで下さいね (^o^)/~