愛媛県の勤務助産師Mさんのコラム
苦節10年、産科医・小児科医からも認められる骨盤ケア・新生児ケアに
【はじめに】
皆様、はじめまして。愛媛県内の病院で勤務助産師をしているMです。私は、現在産婦人科病棟で三交代勤務をしています。
病棟業務においては、分娩・産褥・新生児のケアをする傍ら、3回/月マザークラス及び両親学級を担当。外来から骨盤ケアの依頼があった場合は症状に合わせて操体法の指導を行い、トコちゃんベルトの装着指導もしています。
当院で分娩予定の妊婦さんに対しては、妊娠37週になるとバースプランを取り入れ、併せておっぱいケアの指導も行っています。また、今年の4月からは愛媛県支部助産師会の勤務部会理事に就任し、助産師会活動にも参加しています。
なぜ、私がこの骨盤ケアにハマっていったのか?」そして「今なぜ骨盤ケアの重要性を広めていきたいと思っているのか?」を、お伝えできればと思います。
【渡部先生との出会いから振り返る私の生い立ち】
渡部先生との出会いは、今から11年前の2月。友達に「とにかく凄いから勉強して! これからはマジ骨盤よ!」と言われ、愛媛からイザ東京へ。1人で飛行機に乗ったことのなかった私は、心臓が高鳴る思いで乗り込みました。羽田から京急電車に乗り、品川駅から高輪サロンに辿り着くまでに、足は筋肉痛(笑)。
翌日、高輪サロンへ行き(旧)母子整体研究会セミナーを初受講。「目からウロコ」のセミナー内容に感動する以上に、「こんな手技や観察方法があったのか(@@;」と衝撃を受けました。と同時に「だるまさんゴロゴロ」なんて全くできず、「なんで私の体はこんなに悪いのか?」と愕然。渡部先生に「いや~酷い体やなぁ~。これでは妊婦さんのケアなんてできんで!」と言われ、ストレートネック&フラットバックのキツさに気付きました。
確かに…、今まで3人の子育てに必死で、そんなこと考えたこともなく、愛媛に帰ると即、母に「私の母子手帳ってある?」と聞くと、さすが母。「あるよ!」と。古いシミだらけの母子手帳を見て、またもや愕然。
妊娠40週4日で出生。出生時体重3,895g、身長51.5㎝、臍帯巻絡頸部3回、頸管裂傷あり、分娩所要時間31時間24分、アプガースコア1分後6点、3分後10点(なんで3分後? ホンマに10点?!)。ちなみに、私の母は身長150㎝、体重63.5kg(非妊時+15.5kg)自然分娩だったそうです。
セミナーを受けたその日から、私は毎日操体法やだるまさんゴロゴロに励み、2回目の受講時に、渡部先生に私の生い立ちを話すと「なるほどなぁ~その首の悪さは生まれたときからなんやなぁ…。お母さんの骨盤も相当悪いんやで。そうでなかったら頸管裂傷にはならんで。こういう妊婦さんの体をちゃんとケアすると、生まれて来る子も育てやすい子に育つんやで」と言われ、納得。
育てやすく発達の良い子を産み育てるために、助産師ができることは…? それは、ケアをする助産師自身が、自分の体に気付いて整え、安産に向けてのケアへと繋げていく、それがこのセミナーの凄さなのだと納得しました。その後、一気に妊産婦やベビーセミナーを受講し、さらに、トコ・カイロプラクティック学院のベーシックセミナーまで受講しました。
【なぜこんな私が助産師に?】
私は高校時代「絶対看護婦にはならない!」と思っていました。母が看護婦でいつも家にいない寂しさと、血が怖いという単純な理由からでした。中高時代は運動部に所属し、部活中に鼻血は出るわ、生理になると大量出血と下腹痛で倒れるわ…と、保健室の常連でした。
そこで、「高校の養護教諭になりたい」と思い看護学校に入学。母性の実習では、分娩見学中、ベビーの頭が見えた瞬間、衝撃で倒れるというハプニングも!「助産師は無理や~」と思い、看護学校3年の時に養護教諭課程のある大学を受験し、見事不合格(泣)。
仕方なく看護婦として働いたものの、「向いてない…」とへこみ、2年目で結婚退職し、24歳で第1子出産。ところが、この妊娠・出産が大変でした。悪阻がひどく、切迫流・早産を経験し、妊娠40週2日で3,396g男児を出産。分娩所要時間12時間20分。分娩そのものは順調だったのに、その後の母乳育児がこれまた大変。ガンガンに張ったおっぱいをマッサージされるのが痛くて、思わず助産師の手を叩いてしまった程で、今思えば申し訳ない…m(_ _)m
夜泣きが生後6か月まで続いたわが子に疲れ、宝塚にある夜泣き観音に通って拝んでもらうほど心が病んでいました。産後1年で仕事復帰。第2子は考えられないまま3年が過ぎたある日、息子に泣きながら「なんで僕には兄弟がいないの? 僕がいい子じゃないから?」と言われ、第2子を作ろうとするもなかなか妊娠せず。ようやく妊娠成立したと思いきや妊娠36週で早産し、第一啼泣を聞くことなくそのままNICUへ。
早期母子分離を余儀なくされ、深い悲しみに落ち込んだ入院生活を過ごしました。今回も前回同様、ガンガンに張ったおっぱいに悩まされ、泣きながら搾乳を続けて届ける日々。1週間遅れで退院した彼はなかなか泣かず。ホンマに生きているのか心配で夜な夜な呼吸音を確認したほど。
母乳育児は半年ほどで、「まっ、いっか~」と諦め、そこからは、思ったより手はかからず(分かっていなかっただけ…?)、「ほな、30歳までに3人生もか~」と、第3子を妊娠・出産。なんと、今度は3人目出産後に子宮頸部脱?!
何てことや~! 体に不安を抱えながら3人の子育てに追われ、波乱万丈な妊娠・出産を繰り返した後、「世の中には、私のように悩み苦しんでいる人が大勢いるはず…そんな人達の役に立てることはないか? 駆け込み寺のような助産師になりたい」と考え、三男が生後9か月の時に一念発起。大学の助産学専攻科に入学しました。
3人の子育てをする傍ら女子大生となり、両親の協力のもと晴れて助産師となり、月間60件の分娩を扱うクリニックに就職しました。4年間で600件の分娩を扱ったものの、常に遷延分娩・弛緩出血・PIHの難しさに悩み、ブラックホールから抜け出せない日々が続きました。
そんな時、幼稚園の参観日で教室に貼り出されていたわが子の絵を見てショック! その絵の中に私がいないのです。育児を母に任せ、何一つ母親らしいことをしていなかった私。結局4年間お世話になったクリニックを退職し、福利厚生の整った今の職場に転職しました。
【そして母整研との出会い】
今の職場に再就職して1年が経った頃、前職場の友達から「凄いセミナーに行ってきたよ。この凄さは口では伝えられない。ぜひ受講してきて!」と、連絡が入りました。私に母整研を教えてくれた友達は、助産師として同じ悩みを持ち、また私の悩みを理解してくれる良き仲間の一人でした。
その仲間の言葉を信じて、初一人旅へ。そして、目からウロコ。私の体の悪さも、妊娠出産の様々な経験も、子育てに至る全ての悩みの根源が判明した瞬間。この知識と技術をひとりでも多くの女性に! という思いで、愛媛に帰ってすぐに勉強会を開催しました。ところが、ここでも苦難が待ち受けていました。
【苦節10年、周産期医療センターからも紹介患者が!】
学んできた骨盤ケア(さらしを用いた骨盤輪支持法や操体法など)は、指導が難しくて面倒という理由もあってか、すぐには受け入れてもらえませんでした。「妊産婦さんのために…」とひっそりと骨盤ケアに励んでいたところ、同僚から反感を買い「1人で何をコソコソやっているの!」と言われて、落ち込む毎日でした。しかし、妊産婦さんからは「気持ちいい」「腰が楽」などの反響が増えてきたため、「仲間を増やすしかない!」と意を決し、同僚に働きかけ、渡部先生に何回かセミナーに来てもらいました。
院内導入に向けて、少しずつケアを取り入れながら「医師に協力してもらうためにはエビデンスが必要」と考え、研究発表をすることにしました。そうして取り組んだのが、ゴムチューブによる骨盤輪支持群としない群とで、児娩出後の出血量の比較です。結果は、骨盤輪支持群が有意に少なく、それを看護学会で発表することができました。
その後、骨盤輪支持によって軽減するマイナートラブルについてアンケート調査を行い、院内発表し、ようやく骨盤ケアと出会って3年目、本格導入を開始することができました。当院の産科・小児科医にも渡部先生のセミナーに参加してもらい、分娩時はゴムチューブで骨盤輪支持、会陰部縫合終了後には1/4反さらしに、分娩翌日以降トコちゃんベルトを持っている人はベルトに替え、毎日骨盤輪支持法の指導をするまでになりました。
その後も少しずつ助産師も入れ替わり、新メンバーを迎えるたびに骨盤輪支持法や操体法、外来での指導法などを教え、今では切迫流早産の治療補助として、骨盤輪支持が欠かせない手技となりました。つい最近、産科医から「県内の周産期医療センターからの紹介で『骨盤ケアをして欲しい』って希望の切迫早産患者さんが来たよ。やっとここまで来たって感じだね」と嬉しい言葉をいただきました。
小児科医も、出生直後から児の向き癖に首枕の挿入やポジショニング、頭をゆがませないための資料作り、ママやその家族に寝かせ方、抱っこの仕方などを徹底的に指導されるようなりました。その結果、「最近、向き癖のひどい子が減った気がする。ママにもだいぶ浸透してきた感じ…。ゆがみのきつい子は育てにくいもんね。生まれてきた時からのケアって大事だわ~」と話されるようになりました。実はこの先生、小児科外来に青葉のグッズを自費で買い揃えて、設置しているという徹底ぶりなのです。
こうして苦節10年。「母子共に健やかな経過を辿れるように…」と、夢にまで見たケアに生きることができるようになりました。
この10年の間にも女性の体は大きく変化しました。スマホ普及の時流と共に変わりゆく骨盤ケアを、「職場全体でいかに取り組むか?」と、私自身の復習受講計画も立案中です。
【おわりに】
新しいことを導入し改革するということは本当にエネルギーが必要です。また忍耐も必要で、心折れそうになることも多々ありますが、「誰のためにするのか?」「何のために助産師になったのか?」と、常に原点に立ち返り、1人でも多くの仲間と母子の笑顔が増えるよう、これからも頑張ります。