静岡県の開業看護師 赤堀 友紀 先生のコラム
“助産院おまめ”は発展解散
私は母子ケアサロン“おまめ”として引き継ぎました

 
【はじめに】 浜松市で開業看護師として働き始めた赤堀友紀と申します。「はじめまして」と書きたいところですが、実は、この通信の165号に“助産院おまめ”の4人でコラムを書かせていただきましたので、2度目の登場です(^^;
 どうして私が“助産院おまめ”の一員となったのか? その経緯はこちらに詳しく書いていますので、ぜひお読みください。
  浜松の助産院「おまめ」のスタッフ4人のコラム
  クリニックを解雇され助産院を開業。5カ月経ちました。
   ⇒http://tocokikaku.com/column/column.php?CLM_NO=165

 昨年の5月9日に産声を上げた“助産院おまめ”は、去る9月末日をもちまして発展解散し、私は母子ケアサロンとして“おまめ”を引き継ぐこととなりました。杉山助産師は昨年12月からクリニック勤務に、小田木助産師(トコ・カイロ学院ケア師2級)と、大石助産師(トコ・カイロ学院ケア師3級)の2人は、今年の10月から浜松市内の産婦人科クリニックで、パート勤務もしながら、開業助産師として独立されたことを、併せてお知らせします。
 私が勤務看護師ではなく、このように“開業看護師”として歩むことになったのかについて、これからお話しいたします。

【おいたち】
 私は生まれも育ちも静岡県浜松市。次女ということもあり伸びやかに育ててもらい、これという悩みもなくスクスク明るく成長しました。子どもが大好きで、一時は保育士になろうと思っていました。しかし、高校生の時の看護体験がきっかけで、「困っている子ども達のお世話をしたい」「小児科の看護婦さんになろう!」と目指すようになりました。

 姉が東京にいたのと、「1人で暮らしてみたい」との憧れもあり、東京の看護学校に進学。辛いこともたくさんありましたが、素敵な仲間と出会い、楽しく思い出深い学生生活を送りました。東京で看護師として働く憧れを抱きながらも、不安の方が大きく、卒業とともに浜松市に戻りました。
 医科大学に就職し、希望通り小児科に配属してもらえたのは嬉しかったのですが、働き始めると「保育の勉強をしたい」との気持ちがどんどん膨らみました。そして、ついに抑えきれなくなり、一時休職して保育士の資格も取りました。その後、医大でともに働いていた医師に誘われ、個人開業の小児科医院に勤めることになりました。
 
【ただただ苦しかった妊娠・出産・子育て】
 小児科医院で働いている間に知り合った男性と、26歳で結婚。初めての妊娠、出産は27歳の時でした。妊娠も出産も特にトラブルはなかったのですが、子どもが生まれたのをきっかけに、専業主婦となりました。生まれた子は満期産にもかかわらず、2,190グラムのとても小さい赤ちゃんでした。すぐに保育器に入り、抱っこもできず悲しかった気持ちは、今でも忘れません。
 そうして生まれた長女は1日中よく泣き、途方にくれながら日々を過ごしていました。子育てをしている友人が近くにいなかったこともあり、辛いことを誰にも言えず、泣いてばかりの子どもをなかなか可愛いと思えず、自分を責めながら、ただただ苦しい毎日…、私の人生初の最大のピンチでした。
 
【産婦人科クリニックに就職】
 子どもと2人きりで過ごす時間が長く…、辛く…、でも、よく泣くわが子を保育園に預けるのも忍びなく、託児室のある産婦人科クリニックに勤めたことが、私の人生のターニングポイントになりました。
 そんな長女もなんとか大きくなり、私はクリニックで楽しく働きながら、2人目を妊娠し、出産しました。
 2人目の産後1年で職場復帰し、お母さんに寄り添える看護をすることがとても嬉しく、やりがいを感じるようになりました。「看護婦の私でも、もっと何かできることはないだろうか?」と、ベビーマッサージの講習会を受け、院内でベビーマッサージを担当するようになり、いっそう充実した日々を送っていました。

【妊娠中に骨盤ケア・まるまる育児と出会った3人目の妊娠中】
 そうしているうちに、同じクリニックで働いている助産師さんが、トコちゃんベルトのセミナーを受け、さらに、トコ企画やトコ・カイロプラクティック学院の各種ベーシックセミナーを受けて、院内で学んだことを活用している姿を見かけるようになりました。
 私が3人目の妊娠をしたのは、ちょうどその頃でした。トコちゃんベルトの着け方や、まるまる抱っこや、“おひなまき”も教えてもらい、準備万端。とにかく生まれるのが楽しみでした。
 35歳、3人目の出産は、38週で逆子になってしまい、残念なことに帝王切開でした。でも、私自身はトコベルのおかげで、産後もかなり楽に過ごせました。
 そのおかげか第3子は驚くほど良く眠り、本当に楽でした。そして、あまり手もかからず、「なんてかわいんだろう」と思いながら育児ができ、幸福感に満たされました。

【クリニック勤務の傍ら、自宅でサロンを開業】
 そんな経験から、「子育てを少しでも楽にできる手段を伝えたい」「子育ての悩みを共感できる仲間の集まる場所を作りたい」「幸せなお母さんが増えるといいなぁ」と、産婦人科クリニックで働く傍ら、自宅でベビーマッサージサロンを開くようになりました。
 サロンを開いてみたら「赤ちゃんが泣いて寝ない」と困っているお母さんがとても多く、「もっと深く適切なアドバイスができたら…」と、私もメンテ“力”upセミナーを2014年3月に受講。その後、トコちゃんベルトアドバイザー、さらには、ベーシックセミナーへと進み、修了しました。

【分娩取扱中止で解雇⇒“助産院おまめ”開業⇒発展解散】
 2014年11月、勤務していた産婦人科クリニックが分娩取扱を中止したため、私達多くのスタッフが解雇となり、2015年5月、4人の仲間とともに“まるまる育児”や、骨盤の重要性を伝えたいと、“助産院おまめ”を開業しました。
 このようないう大それたことも、ベビーマッサージを自宅でしていたおかげで、お母さん達の応援を得ることができ、力をいただきました。
 “助産院おまめ”は周囲の心配をよそに、順調に発展したおかげで、1年もたたないうちにスペース的に限界となってしまいました。かといって、テナントを借りるには経営面で苦しく、借りて移転という方法をとることはできませんでした。
 それと、1年ほどで、それぞれのメンバーに、独立開業できる力量とそれなりの自信がついたため、9月末をもって“助産院おまめ”を、発展解散することとしました。

「よりたくさんのお母さん達の学ぶ場所になれば…」と、ベビーマッサージや骨盤教室に加え、ヨガ・手遊びのクラス、絵本・食育のための講座などを開催しています。まるまる抱っこ指導やスリング指導で、「とにかく、寝かしつけが楽になって、助かっています」と、お母さんから報告があると、とても幸せに感じる日々を過ごしています。
 そして、まるまるで育った子達が発達もスムーズに進むのを見ていると、ますます「“まるまる育児”の良さを広めていかないと…」と痛感します。私のブログ「おまめのゆるり日記」に、“おまめ”の様子や私の想いを書き綴っていますので、のぞいてみてください。
      ⇒ http://blog.livedoor.jp/yukincobuu/

 現在は私の子ども達も大きくなり、私自身の悩みも変化し「小中高生の発達の悩みにも寄り添えたら…」と勉強し始めました。そんな中、小学校で子ども達へ姿勢が良くなるよう、体操を教える機会も持つことができました。
 私のブログにこの日の様子をupしていますので、ぜひ、ご覧ください 
  ⇒http://blog.livedoor.jp/yukincobuu/archives/1061697582.html

【これからの夢】
 今後は子どものケアにもより学びを深め、地域のお母さんへのケアを充実していくとともに、助産師さんのみならず、多くの職種の人達とも、しっかりと連携をしあって、歩み続けたいと思っています。
 そして、よりお母さん達に寄り添える“ホッとできるおまめ”となるよう、また、役立つ情報提供ステーションとなるよう、“おまめ”を育てたいと夢見ています。