滋賀県の助産師 龍池千尋さんのコラム
混合病棟勤務から新しい道を求めて

 
【私の体は特殊?】
 皆さま、こんにちは。滋賀県の総合病院で非常勤の助産師として働いているる龍池千尋です。助産師歴12年目で、3人の息子(6歳の双子と3歳)がいます。
 ここ数年は外来勤務をしていましたが、今年の1月に産科を含む混合病棟へ異動になり、葛藤の日々を過ごすようになりました。

 助産師になった2005年4月、就職した病院の周産期センターでは、新生児室に配属されました。「助産師なのに分娩介助ができない」との焦りと不満を抱えながらの1年目のある日、母子整体と遭遇し、衝撃の出会いを果たしました。
 職場の勉強会に、旧母子整体研究会の杉上貴子先生が、講師として来られたのです。そこで体験した操体法による体の変化に感動し、「もっと知りたい!この技を習得したい!!」 との思いから、引き寄せられるように母子整体研究会のセミナーに通い始めました。
 セミナーでは思いも寄らぬことの連続でした。いつも悪い体のお手本としてみんなの前へ…、教わった技をその通りに実施できないのです。何をするにも、講師の杉上先生や信子先生から「貴女は私の真似をしてもダメ。貴女が楽でクライアントも快適なケアを提供するには、どんな手の使い方をしたらいいのか、考えてごらん」と言われ続けました。
  指摘されたように何とか考えながら実習すると、「すごいね~、こんな特殊な手の使い方が楽な人もいるんやね~」と、講師の先生から称賛(?)され、「喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか?」と悩みました。

【整体セミナー受講と施術後に妊娠】
 2007年、結婚を機に地元に移り総合病院に就職したものの、翌年、産科閉鎖となってしまいました。「分娩に立ち会える仕事がしたい」との思いを抑えることができず、個人医院に移りました。時期を同じくして「妊娠も早くしたい」との思いとは裏腹に、多嚢胞性卵巣と分かり、不妊治療を開始しました。
 2009年1月、トコ・カイロプラクティック学院のベーシックセミナーを受講し始め、2009年3月に修了することができしました。その同期の受講者で不妊治療を受けていた2人が夏までに妊娠し、続いて私も9月に妊娠が発覚しました。13人のうち不妊治療中の3人が、3人とも妊娠したのです!!
 その妊娠は双胎でした。切迫早産で妊娠27週から入院し、一人が胎児発育不全だったため、妊娠34週で帝王切開となり、双子の男児が生まれました。悔やんでも仕方がないことですが、「今の私なら、妊娠中に私の体をもっと効果的に整えて、子ども達をより良い胎内環境で育ててあげられたのになぁ」と思います。
 2011年12月、総合病院の産婦人科外来へ就職し、ベーシックセミナーの復習受講を開始しました。次の子を授かるべく、治療に時間がかかることも考え翌月から不妊治療を開始したところ、初回の排卵直前に助産力研鑽セミナーを受講し、信子先生の施術を受け、なんと妊娠したのです!! 外来でバタバタ忙しく働く毎日でしたが、トラブルもなく、産休に入る前日まで働き、妊娠38週に予定帝切で、3人目の男児が生まれました。

【産婦人科外来から混合病棟に】
 2013年、産後9か月で職場復帰。夫の両親との同居なので、助けを受けられるとはいえ、3人息子の育児と仕事の日々は、あっという間に過ぎていきました。
 2015年、情報の更新のため3年ぶりにセミナーを受講。産婦人科外来で診察介助の合間に、腰痛妊婦、骨盤位の訴えのある妊産婦さんや、他院で出産し恥骨結合離開となって整形外科受診に来られた褥婦さんなどに、骨盤ケア指導や施術を担当させてもらえるようになり、手ごたえを感じる日々を楽しんでいました。
 ところが突然、2016年1月、病棟へ異動となりました。とても煩雑な混合病棟で、産科以外の患者さんを受け持つことも多く、異動してからさっぱり整体技術を使う機会もなくなってしまいました。「もっと整体をメインに助産師として働きたいのに…、こんな私でいいの?」と、苦悶・葛藤の日々へと変わりました。

【新しい道を求めて】
 そんな中、新しい道を求めてトコ企画のセミナーや、トコ・カイロプラクティック学院のマニュアルセラピーセミナーに通い始めました。トコ助産院の助産師交流トコランチの会では、そんな悩みを聞いてもらえる仲間にも出会い、現状からの脱却を目指し、「毎月2日くらいから、トコ助産院で修業しよう!」と、決意を固めました。
 分娩介助の経験が少ないことに加え、助産師と一緒に働く機会が少なかったため“先輩に教わってきた”との感覚に乏しく、いつまでたっても自分が助産師であることに自信を持てずにいました。しかし、整体をずっと学び実践し続けてきたこと、整体セミナーでベテラン助産師の方々と交流を持てたことが、助産師として働いていくうえでの、大きな心の支えになっています。
 助産師になって12年目の今、まだまだ「私は整体技術を使ってこんなことをしています!」と発表できるほどではありません。でも、“助産師には欠かせない整体的観察眼とケア技術を持っている自分”に、自信と誇りを持つことができるようになりました。
 今後はさらに整体技術を磨いて、「いつの日か開業できれば…」と夢見ています。