新潟市の開業助産師、和泉久美子先生のコラム
股関節脱臼・股関節全置換術とともに歩んだ私の人生と夢
【助産師になるまで】
皆さまはじめまして。新潟市の開業助産師、和泉久美子と申します。私は生まれも育ちも新潟県で、生まれてから高校までは、平成の大合併で燕市になった穀倉地帯で暮らしました。地元の民謡で「米と晒は日本一 ~♪」と唄われ、近くには、岩室温泉や佐渡弥彦国定公園などの観光名所があります。
1977(昭和52)年4月、高校卒業後、日本一小さい公立短大・京都市立看護短期大学で看護学を学びました。卒業後の1年間は、東京女子医科大学附属病院中央手術室に勤務しましたが、助産婦になりたくて、1981(昭和56)年4月新潟大学の助産学特別専攻に進学し、卒業後は隣の市にある病院で1年間勤務した後、地元の病院で4年余り勤務しました。
【股関節脱臼の既往を持つ水泳選手】
私の記憶には全くありませんが、母の話によると、1歳を過ぎて歩く頃になっても歩けず、受診したところ股関節脱臼と診断されたとのこと。昔のことですから、ずっと放置されたまま気づいてもらえず、しばらくの間、新潟県立がんセンター病院に通院。ギプスをしていた私を、親や叔母たちが順番におんぶして連れて行ってくれたそうです。今日の私があるのは、親・親戚のお陰と感謝しています。
小さい頃から体を動かすのは好きでしたが、徒競走などは遅く、体育の評定はいつも芳しくありませんでした。小学校4年生の時に学校にプールが設営されたのを機に水泳が大好きになり、大会にも選手として出場しました。
中学では先輩に誘われ水泳部に入部。その頃は県内で有数の強豪中学校でしたので、県大会で優勝もできました。高校時代は、色黒になるのがもう嫌で、ほかの運動部に入部しようと思ったものの、やはり水泳部に入部。県大会や北信越大会に出場しました。中高での練習は、もちろん厳しかったです。
【股関節の痛み、ギックリ腰】
中学生までは、ほとんど痛みなどなく過ごしていましたが、高校時代、人一倍重い鞄を持って通学している時に、痛みを感じることがあったものの、部活動やマラソンなどは通常通りできたので、さほど気にもしませんでした。
東京女子医大病院に勤務していた頃、長時間の手術についている時や、夜通しの勤務中に痛みが強く出ることがあり、同病院の整形外科教授に診察していただきました。先生には「良く治っている方だ」と感心してもらえたのですが、その後も体調により、痛んだり治まったりしていました。
1983(昭和58)年、24歳で結婚。「4人くらい子どもが欲しい」と思っていたところ、幸いその通りに授かりました。妊娠~出産時は股関節も腰もほとんど痛まず、元気に歩き回る妊婦でした。ただ…、今にして思うと、産後の骨盤ケアがおろそかでした。2人目までの産後は下腹部にさらしを巻いていましたが、3人目からは、ウエストニッパー付きガードルを履き、ウエストをギュギュっと締め付けていました。当時はよかれと思ってしたことが、後に仇になりました。
2000(平成12)年頃でしょうか、右足を前に出し右手で床にあるものを拾おうとした時「グキグキ」と骨盤が横滑りしたようになり、一瞬動けなくなりました。これがぎっくり腰だったのでしょうか? それ以降、しゃがむとお尻の高さが違い「何かヘン…」と感じるようになりました。それを機に体調や動静により股関節の痛みも出たり消えたりを繰り返すようになりました。
【病院を退職、出張専門で開業】
子育てを自分でしたくなり、第2子の産休入りと同時に病院勤務を退職し、4年間ほど専業主婦でいました。第3子が2歳になった1990(平成2)年の春から、地域の母子事業のお手伝いや、母子訪問などを始めました。当時、高齢助産師の後任を市で募集していたため、「少しずつでも仕事を始めたい」と思っていた私には好機でした。
自宅出産の介助も1996(平成8)年から行い、はや20年になりました。1998(平成10)年頃から、講習会なども積極的に受講し、産前・産後のエアロビクスインストラクターの資格も取得し、実践しました。2~3年前は個人産院でパート勤務で夜勤もしました。
【骨盤ケアとの出会い】
2003 (平成15)年3月、自宅近くの新津産科婦人科クリニックで、新潟県で初めての骨盤ケアのセミナーが開かれました。職員であり親友でもある助産師に誘われて受講したそのセミナーでは、「骨盤」「ゆがみ」など、見るもの聞くもの全て新鮮で、目から鱗の状態でした。その頃のセミナーは技のオンパレードで盛り沢山の内容だったので、なかなか覚えられず、新しいことを知るのが楽しくて、何回もセミナーを受講しました。
【ウォータースライダーで胸腰椎圧迫骨折】
2004(平成16)年8月、親子で旅行に出かけた際、上越市のプールに立ち寄りました。そこのプールには「ナイアガラ」という岩場のウォータースライダーがありました。落ちるように滑り降りてくる子どもたちを見ていたら私もやってみたくなりました。監視員さんに「大丈夫かね? 中高年がかえって危ないんだよ」と言われたのに、水泳選手だった私は自信満々に「大丈夫です!」と答えて降下。ところがその途中、「グギッ!」と激痛が走り、プールから這い上がったものの、立ち上がれませんでした。
救急車で病院に運ばれ、「腰椎圧迫骨折」と診断されましたが、「入院しても何もすることはない」と言われ、自動車で帰宅しました。しかし、トイレに行くこともままならなかったため、近くの病院にお願いし1週間入院させてもらいました。MRI検査では、「胸腰椎圧迫骨折、3ヶ所潰れている」と言われソフトコルセットを着用しました。医師には「安静にするように」と言われ、看護師には「寝てばかりいると筋力が低下する」と言われ、適切な動静について悩みました。
【股関節痛が悪化、左股関節全置換術】
2006(平成18)年頃から股関節の痛みが強くなり、だんだんと片脚を引きずってしか歩けなくなりました。近隣の接骨院やカイロプラクティックに通い、体を整えてもらっていました(他力本願!)。さらに痛みが強くなると出かけるのも億劫になり、出かけざるをえない時は、杖を使って歩くようになりました。
人工股関節にはまだ早いのでは…と悩みましたが、「痛みから解放されたい!」との一心で、2008(平成20)年5月、左股関節全置換術を受けました。
手術後は翌日から歩行器を使い歩く練習をし、7月から仕事復帰したので、およそ2か月間、杖を使った生活をしていました。股関節の痛みから解放され、月日の経過と共により動きやすくなっていったのですが、脚長差ができてしまい、身体のバランスが悪くなったことが難点です。それから、脱臼・感染の2大リスクが、いつも頭の片隅にチラついています。
【股関節が悪いのは人生にとってハンディ】
皆さんもご存じのように「股関節は人体の中で一番重要な関節」「体のバランスを保ち、全身の運動に関与する」と言われています。股関節が柔軟だと怪我はしにくく、運動能力も上がると思います。若い頃の私は「股関節脱臼だったけど、何ともない。それどころか私は水泳の選手!」と体に自信を持っていましたが、加齢とともに悪くなったことは言うまでもありません。股関節が悪いのは大きなハンディだと、今更ながら感じています。さらに、ぎっくり腰や圧迫骨折でいっそう股関節の負担が増大したと思います。
【体の固い子に出会うことが多い】
新生児訪問では、股関節が固いと思える赤ちゃんに出会うことは極まれですが、全身が固い=背中が(冷凍マグロのように)固く感じる赤ちゃんに出会うことは遥かに多いです。新潟市では、2~4か月児を対象に超音波による股関節の集団検診が実施されています。このような検診を行っている市町村は数少なく、全国でも7市町村ほどと聞いています。1回の検診で精密検査が案内されるのは、70~90名中、1~3名ほどで、年間6,000名くらいが受診し、治療が必要な赤ちゃんは10~20名だそうです。
【私の仕事、指導・ケア】
日頃の新生児訪問では、赤ちゃんの股関節の動きを妨げず、全身を丸く保つ抱き方・寝かせ方・排気のさせ方などを伝えています。
新津産科婦人科クリニックでは7~8年前から、妊婦さんや産後ママを対象に「整体マザークラス」を、乳児を対象に「整体ベビークラス」を開催し、私も最初から講師として参加しています。
整体ベビークラスに来られるのは、主に1~3か月の赤ちゃんで、「向き癖が強い」「つっぱる」「よく泣く」などの訴えが多く聞かれます。背中がバリバリですから、温めたりさすったりしてほぐし、向きにくい方向に向きやすくなるよう、ゆっくりとケアしています。笑顔でスリングに収まって帰宅して行く赤ちゃんを見るとホッとします。
また、整体マザークラスやマタニティスイミングで出会う妊婦さんからも、産前産後の腰背部痛、肩甲骨周囲の痛みなど…、いろんな痛みの相談を受けますので、これからも地域の母子の健康支援に尽力していきたいと思っています。
と同時に、親になって行く自分自身をケアすることと、親となってからの子どもへの関わり方が大切です。「スマホをいじるより、根気よく楽しく赤ちゃんと触れ合って育ててね」と伝えています。
【全身の痛みや不調で悩む人が少しでも減るように】
“痛み”は身体だけでなく気持ちも辛くなり、QOLを格段に下げてしまいます。痛くないことに越したことはありませんが、痛みに向き合い、軽減させ、乗り越えていく知識・技術も提供できたらと思っています。
私自身の経験からも「股関節は大切に、異常には早めに対応してもらえるように」育てほしいと願っています。全ての…というわけにはいかないかもしれませんが、赤ちゃんは温かく柔らかい体で、柔和な表情の育てやすい子であってほしいです。
これからの私は、まるまる育児アドバイザーセミナーなどを受講して、親御さん達が子育てをより楽しめるよう、「支援者としての資質向上を目指したい」。それが私の夢です。