京都市の個人医院で勤務している助産師 Kさんのコラム
2度の妊娠・育児経験と、“異常報告屋さん”から本当の助産師を目指し、
骨盤ケア・整体を学び始めました。

 
 皆さん、はじめまして。私は京都市内の産婦人科医院で働いている助産師です。わたしが整体を学ぼうと思ったきっかけは、自分自身の体験が大きく関わっています。
【子ども時代~看護・助産学生時代】
 私が赤ちゃんのころは寝ない子で、「夜中に車に乗せてよく走ったなぁ」という話を両親から聞いていました。少食でやせ型、冷え症で手足が冷たく、子ども時代は毎冬シモヤケがひどく、あるとき手の甲が膨れ上がってしまいました。掛かり付けのお医者さんに連れて行かれ、レントゲンを撮られた結果、ついた診断名は「シモヤケ」だったということもありました。 でも、体を動かすのは好きでした。週末には両親が山登りに連れて行ってくれて、3才でちゃんと頂上まで自分の足で登ったと聞いています。木登りも得意で、家の中の柱や屋根にも登りました。体はたくさん動かしたと思います。
 そんな運動好きな私が「体がしんどいなぁ~」と変化を感じたのは看護学校の実習のときです。月経痛がひどくなり、酷いときは吐き気も催し、過換気もよく起こすこともありました。実習期間の春から秋にかけて、疲れのためか、ストレスのためか、食欲が落ち体重が10キロも減ってしまいました。
【総合病院に就職して】
 独身時代に働いていた総合病院や、長女を出産後1年余り働いた総合病院では、何人もの妊婦さんに同時に分娩誘発を行っていました。ストップウォッチを首から何個も下げ、時間が来ると投薬に行き、子宮口がある程度まで開大すると、医師が行う人工破膜の介助をし、子宮口が全開すると努責開始の指示に従って息ませ、生まれなければ吸引分娩+押圧分娩の介助…。私は助産師なのに、助産師らしい働きをしているとは思えませんでした。 象の脚のようにひどく浮腫んだ産後のお母さんの脚も、マタニティブルーで泣いているお母さんも…、ごく日常的光景でした。「腰が痛くって赤ちゃんのお世話ができない」と泣いて訴えられたお母さんにも、何もケアしてあげられませんでした。
【2回の妊娠・出産・育児】
 今さらながら「こんな体なのに…」と不思議なのですが、2回とも自然に妊娠できました。第1子は、妊娠17週のときに出血し、安静と張り止め内服1日4回という生活が始まりました。28週で骨盤位の診断を受け、29週で胎児発育不全の傾向になり、その後、逆子の中でも最悪の足位(お尻ではなく足から生まれる姿勢)になってしまい、妊娠37週で帝王切開となりました。 2,084グラムで誕生した娘はよく泣き、寝たと思ったらうなり、ずーっと抱っこしていた私は、睡眠不足で心身ともに限界ぎりぎりの状態が続きました。

 長女が2歳6か月のときに今の医院に就職しました。そこには、渡部先生のもとで学んでいた先輩助産師Tさんが働いていました。就職後、次の妊娠をした私を、Tさんは機会があるごとに施術し、セルフケア法を教えて下さいました。施術を受けているときはとても気持ちが良く、自然と自分の思いや悩みを話しやすく、心もほぐれていきました。 私は毎朝晩操体法をし、骨盤高位でトコちゃんベルトを着け、セルフケアに努めました。すると、固く張っていた子宮が緩んでいくのが分かり、張り止め薬は妊娠期間を通して1回内服しただけで済みました。
 骨盤ケアで体が楽になったことは、もちろんとても有難いことでしたが、切迫早産で安静指示が出ることもなかったため、家事も育児もでき、本当に助かりました。前回が帝王切開なので、帝王切開することになり、妊娠38週で2,300gの娘が誕生しました。 手術の前日にトコちゃんベルトを外したところ、下半身がズ~ンと重い感じがし、外股にならないと歩けなくなってしまいました。骨盤が開いて赤ちゃんが下がったようでした。手術が終わってから担当医に「頑張ったら自然分娩できたかも?」と言われましたが、後のまつりでした。

 次女はおっぱいを飲めば、ご機嫌にしている赤ちゃんでした。驚いたのは、1才過ぎたある朝、2~3歩、初めて歩いたと思ったら、その夕方には自宅の部屋の端から端まで歩いたことです。 長女は内股でペタペタ歩き、肩の高さが違い、猫背で軽度の脊柱側湾があります。アレルギー体質で皮膚が弱く、鼻詰まりをよく起こしますが、ありがたいことに風邪をひきやすいこともなく、器用さやなども次女との違いはあまり感じません。 次女との違いを感じるのは、「接しやすさ」でしょうか? 長女は帝王切開で生まれた低出生体重児だったため、NICUに1週間入院していました。「そのために母子愛着の形成が成されにくかったのかな?」と思ったのですが、違う気がします。長女には何となく“やりにくさ”を感じていました。抱っこばかりで育てにくく、予測できない不機嫌…、特に卒乳してからは、どのように距離感を埋めてよいのか迷っていました。
【整体を学ぼうと思った動機】
 整体を学ぼうと思った最大の動機は、2回の妊娠・出産・育児が、あまりにも違ったことです。衝撃を受けたと同時に、骨盤ケアの大切さを痛感しました。 もう一つの動機は、納得できる仕事をしたかったことです。渡部先生はメンテ“力”upセミナーの中で、こんな問いかけをされました。「分娩経過を観察して、異常があれば医師に報告するだけの“報告屋さん”になっていませんか?」と。これにはドキッとしました。事実、私は“報告屋さん”のような働き方をしていたからです。

 今、私が務めている医院では、腰痛、恥骨痛や浮腫などの、マイナートラブルを抱えている妊婦さんには、特に骨盤ケアをお勧めしています。最近ふっと気付いたのですか、「街で見かける妊婦さんの歩き姿はとてもしんどそうなのに、うちの医院の妊婦さんがしんどそうに歩いているのは、見かけないなぁ」と。

 Tさんが分娩室に入って間もなく、産婦さんが息む声がしだすということがしばしばあります。Tさんがケアすると、魔法にかけられたように体が変わるので、私は密かに魔法使いと呼んでいます。「私もTさんのように妊産婦さんの体も心もほぐせる助産師になりたい!」と思うようになり、総合ベーシックセミナーに進みました。 児頭が下がってきている切迫早産の方には、先生から「骨盤ケアを指導して」と依頼されることもあり、院長先生も副院長先生も、「しっかり勉強して来て!」とおっしゃってくださるので、励みになっています。
【Tさんのケアで感動したケース】
 予定日超過で入院した経産婦さん。それまでお腹の張りもなく、入院時の子宮頸管の所見はガチガチ(1f50%st-1)でした。
1日目…メトロ挿入。足趾回しなど行うも、陣痛(-)。
2日目…プロスタグランジン内服。骨盤ゴロゴロ。
    右に傾いていた子宮がやや改善。
3日目…オキシトシン点滴。産婦人さんも四つばいなど頑張るが、陣痛(-)。
4日目…精神的にも疲労し、帝王切開の準備もしながらオキシトシン点滴。
 この日勤務していたTさんが骨盤~首までケアしたところ、陣痛が強くなり、その約30分後には2~3回の努責で、お昼過ぎに、3kgの元気な赤ちゃんが生まれました。
【“異常報告屋さん”を卒業したい】
 骨盤ケアを勉強し始めてからは、レオポルド胎児触診法を大切に丁寧にするようにしています。目で診るだけでなく、手指の感覚も鍛え、胎位・胎向・胎勢を診られるようになりたいからです。 「目で見えない部分を、相手が心地良いと感じるように」と、触診の仕方を教わったことは、これまでは全くなかったので、渡部先生の指導を思い出しながら、四苦八苦の毎日です。 Tさんのように渡部先生から学んだことが実践できるようになり、妊産婦さんが持つ体の良いところを引き出すことができるようになれば、私も「“異常報告屋さん”を卒業し、本当の助産師になれるかな?」と、日々励んでいます。
 おかげで、私も少し良い結果を出せるようになってきました。子宮口全開まで順調に進んだ初産婦さんでしたが、体をくねらせて息むので進まず。「足趾・足首回しは、リラックスを促すつもりでいいよ」との渡部先生の言葉が浮かび、やってみました。すると、上手に息めるようになり、想定外の速さで児頭が下降して来るので、あわてて分娩の準備をしました。
【今後の夢】
 私が歩行器に乗っている写真を見た記憶があり、メンテ“力”upセミナーを受講した後、「私の背骨にS字カーブがないのは歩行器も原因の1つかな」と気が付きました。 また、私のように「子どもに愛情はあるけれど、どのように子どもに触れ、心を近づけたらよいのか、わからない」と、悩んでいるお母さんもいらっしゃると思います。 整体を学び始めてからの私は、家で長女にも練習で整体的ケアをしていますが、「気持ちいいなぁ~」と言ってもらえ、やっと自然な親子関係になれた気がします。「お母さん、今日は寝られない」と、目をランランさせているときも、首のコリをほぐすと「気持ちいい」と言いながらすぐに眠ってしまいます。今になって思えば、長女の体のしんどさが、不機嫌に繋がっていたのかも知れません。 全てのお母さんが、自分で子どもの体の訴えを感じ、ほぐすことができれば、お互いの心もほぐれて行くのではないでしょうか。「乳幼児の体も診て、ケアできるようになって、地域のお母さん達に歩みよって行きたい!」。これが私の夢です。