宮城県の助産師 新沼映子先生のコラム
第56回日本母性衛生学会でのランチョンセミナーで講演します。

 
 皆さん、はじめまして。宮城県で働いている助産師、新沼映子です。今年の10月16日(金)、盛岡市で開催される第56回日本母性衛生学会のランチョンセミナーで講演することになりましたので、ご挨拶をかねてコラムを書いています。 私のようなトコちゃんベルトアドバイザー・まるまる育児アドバイザーというレベルの者が、青葉のランチョンセミナーの講師なんて、「とんでもない!」とお断りしたのですが、「骨盤ケアやまるまる育児指導もしながら、子ども身体運動発達指導士として活動している助産師は、あなた以外にはいないから、ぜひ!」と渡部信子先生に押し切られ、受諾しました。

 まずは、生い立ちからお話します。私は農家の第2子として、2,450gの低出生体重児で生まれ、黄疸と体重増加不良で生後1ヶ月間入院していたそうです。実母は両足を幼少期に火傷し、赤ん坊を長時間抱くことはできなかったため、祖父母の協力を得て育てられました。 子どもの頃の移動手段は基本的に自転車でしたが、遊ぶ場所は野山が多かったことが幸いしたのか、運動はそこそこにできました。しかし、和式トイレでしゃがむと、右の股関節が痛くなるため、工夫しながらしゃがんでいた記憶があります。 中学校から大学まで、10年間軟式テニス部に所属。その後も硬式テニス・スカッシュ・バドミントンと、ラケット競技ばかり長く続けてきました。中学生時代、試合中に足を骨折して入院したのをきっかけに、看護師を目指しました。中学生の頃から写真撮影時、右肩が極端に下がっているので「上げるように」と指摘されることが多くなり、いつしか写真撮影時は、右肩を意識的に上げるのが習慣になってしまいました。

 東北大学医療技術短期大学部看護科時代に、親の勧めで専攻科に進み、助産師となりました。そのまま東北大学病院へ入職し、分娩室・外来で勤務しました。病院の分娩件数は年間1,000件ほどありましたが、帝王切開も多く、スタッフも多いため、自然分娩を直接介助した件数は、学生時代を含めても50件もありません。 お産に自信が持てないまま、2年半で産科の入院病棟勤務に変わり、その後結婚し、第1子の産休後に復帰できないまま退職しました。第1子の妊娠直後、腹部緊満感、頻尿、腰痛などが強く、仕事にも支障が出ましたが、トコちゃんベルトを勧められて使っていたおかげで、病休を取ることもなく、妊娠34週まで働き、妊娠40週まで妊娠継続できました。 今、その時の胎児写真をみると、GSは細なす型。その後も羊水が少ない状況のまま経過しました。妊娠40週で胎盤の機能低下も認められ、バルーンで誘発した後、陣痛発来したものの、子宮口全開大から3時間以上かかってのお産となりました。

 出生直後から児はよく泣き、頻回授乳に励み、体重増加は曲線に沿ってまずまず良好でした。でも、黄疸は強く、光線療法を受けるほどではなかったものの、生後2か月まで要観察で2週間おきに通院しました。 股関節の開排も固めで、2か月健診で整形外科を勧められて受診しましたが、「経過観察」とされ、3か月まで2度受診しました。音に敏感で眠りが浅く、ずっと抱いたままの育児で、気づけば発達も遅れ気味で、5か月頃に仰向けのまま移動を開始。6か月でようやく寝返り。8か月で膝ばい、9か月で自力座位。何事にも不安なまま過ごしていました。 移動時は車に乗せると泣くため、基本的に徒歩か、電車移動を余儀なくされていました。 第2子は、第1子ほどは泣きませんでしたが、「泣かれるのが怖い」とやはり抱いたままの育児でした。

 現在、仙台市で助産師の佐藤恵美さんが「トコちゃんの骨盤ケア教室」を開催されていて、私はそのお手伝いをしているのですが、彼女との出会いは、私が子ども2人を連れて親子ビクス教室に参加した時で、その時の先生が佐藤さんでした。また、地域でのベビーマッサージ教室に参加した時の先生が、助産師の小田嶋清美さんでした。お二人と出会う中で、「助産師の働く場は、病院だけとは限らないのだなぁ」と考えるようになりました。
 東日本大震災を経て転居、夫は単身赴任という生活となり、病院勤務は難しいと考え、3年前から市の乳児健診・新生児訪問に従事しはじめました。新生児訪問で受ける相談は、「抱っこしていると寝るが、置くと泣くので休めない」「便秘がちになる」「向き癖が気になる」「反り返る」などでしたが、話を聞いて帰るだけで、 何もできない自分に無力感を感じていました。 「妊婦にも関わりたい」と思うようになり、2年前から、平日の午前中のみ、週に4~5日働き始めました。 入院取扱いのないクリニックで、妊娠初期から32週までの妊婦健診を担当しています。マイナートラブルと言われる訴えがあまりにも多く、経産婦では初期から尿漏れの相談も受けるようになりました。 仰向けでの膝の曲げのばしが辛いとの訴えもあり、「従来の指導では限界がある」と感じるようになりました。
 そこで、「メンテ“力”upセミナーを受ければ何かが変わるかも?!」と思い、1年前に受講しました。 新生児訪問での無力感も、「新生児ケアセミナーや赤ちゃん発達応援セミナーを受講したら、何かが変わるかも?!」 と思い、トコ企画のセミナーを受講しました。これらのセミナーを受講して、自分の妊娠・出産に多くの反省点があったことを知りました。

 1年前、新生児訪問や乳幼児健診従事者対象の研修会で「感覚統合を促すための遊びと運動」について学ぶ機会がありました。「原始反射が消失すべき時期を越えて残っていると、自分の意思と関係なく、反射が起こってしまうため、その場の状況に不適切な行動になる」と聞き、講演の中で示された子どもの具体的症状例は、「これらはまさしく我が子にも当てはまる!」と衝撃を受けました。そして勧められた通りに「遊ばせながら、不要になった原始反射が現れなくなるように促すエクササイズ」に取り組みました。 同時に、子ども身体運動発達指導士(正式名称 一般社団法人 ここ・からだ 認定 初級発達支援コーチ)になるための勉強をはじめ、2014年の5月に試験に合格し、資格を取ることができました。
 メンテ“力”upセミナーや感覚統合を促すための遊びと運動の研修会を受ける中で、「胎児期や乳幼児期の姿勢が、その後の発達に影響を与えるのではないだろうか?」「我が子の気になる症状は、私自身の体のバランスの悪さ、さらにはそれは私の母が足が悪かったことなども関係しているのだろうか?」「妊娠期に胎内環境を整えられるようになりたい」と思うようになりました。
 そう思っても、子ども2人を育てながら、宮城県から東京までは、なかなか研修を受けに行くこともできません。「これから出産する人達が、私のようなツライ子育てをしなくても良いよう、何かしたい」と考え、次のような活動をはじめました。
〇仙台市での「トコちゃんの骨盤ケア教室」にアシスト参加
〇クリニックに講師を呼んで、マタニティーヨガ・ベビーヨガの開催をし、
 妊婦と子育て中の親子が触れあう機会を設置。この中で、まるまる抱っこの
 方法・寝かせ方・スリングの使い方などを個別指導
〇地域の子育てサークル、子育てサポートセンターで、骨盤ケア・まるまる
 育児を指導
〇幼児や学童を対象に、NPO法人が行っている「感覚遊び・運動遊びの活動」に
 ボランティア参加

 いずれも始めたばかりですが、一歩ずつ、少しずつ、前進していきたいと思っています。
 ランチョンセミナーの講演要旨集には、GS・胎勢の観察や指導の大切さ、感覚統合を促すための遊びと運動に関しても、詳しく載せています。当日はもちろん、パワーポイントを使用してより詳細にお話ししますので、ぜひお越しください。皆様に、お会いできることを楽しみにしています。