トコ助産院主任助産師に着任した 嵐 美樹先生のコラム
「死ぬとき後悔するよ、きっと」との心の声に突き動かされ、
助産院開業目指し退職。京都トコ会館で学びの日々
皆さん、こんにちは。和歌山県の南部(紀南)の田辺市に住んでいる嵐 美樹と申します。昨年12月から週3日の研修に通い、4月からは常勤で、京都トコ会館で働いています。
“お礼奉公”という言葉がまだ生きていた時代、私は学費援助を受けながら大阪府立助産師学校を卒業しました。援助してくれた和歌山市内の病院で8年働き、その後、故郷田辺市に戻り、再就職。 助産師学校時代は開業に憧れましたが、病院で働くうちに、もう、どんどん分娩が怖くなって、そのうち子育てのために安定した収入が必要になり、そうこうしているうちに、すっかり“サラリー助産師”として定着。開業の夢は忘却の彼方へ去っていきました。
しばらくすると、勤務先は他病院産婦人科と統合し、地域周産期母子医療センターとなりました。残念ながら婦人科との混合病棟で、周産期のみには特化できず…、なのに、分娩件数は年間850件を超え、恒常的に多忙な業務に追い立てられていました。遷延分娩の増加を実感しつつ、けれども助産師としての有効な対処法もわからず、忙しさに流され“見守りと言う名の放置”、そして医療介入。腰痛や恥骨痛の妊産褥婦さんには“湿布”と“日にち薬”の処方…(c_c) そんなジレンマの中、2011年7月のメンテ“力”upセミナーの受講がきっかけで、私は骨盤ケアを学び始めました。「助産師として何とかしたい!」という骨盤ケアを学び始めた動機と、学び始めてからの「そうだったのか!」については、きっと皆さんと同じだと思います。
私自身はトコ・カイロ学院のトコベルアドバイザーから、さらに、ベーシックセミナーへと進みつつ、トコちゃんベルト導入のための病棟看護研究、メンテ“力”upセミナーの施設誘致などを働きかけました。セミナーを受講するにつれ、自分の目の鱗は何枚も落ちましたが、スタッフ・他職種の方たちの鱗を落とすには至りませんでした。
和歌山県紀南地方は近畿といいながら交通アクセスが非常に悪く、なかなか自腹を切ってまでは研修を受けに行きづらい環境です。しかもみんな、仕事に家庭にと、慢性疲労気味。早期母子接触、母児同室、母乳育児、助産師外来、アロマセラピーなど、新しいことを取り入れる柔軟な組織風土はあったのに、残念ながら、結果的にベーシックセミナーレベルの骨盤ケア仲間は増やせないままでした。
病院での勤務年数が長くなるにつれ、やたら多くなる会議の数、どんどん増える事務的な雑務。助産師として、これからどうしていきたいのか、自分でも道標を明確にできないまま仕事を続けていましたが、「もっと時間をかけて勉強して身体を診られるようになりたい」、「学んだことをきちんと皆に伝えられるようになりたい」という思いが、徐々に強くなっていきました。 不器用な私は、セミナーの受講だけでは、学んだことがなかなか身に付かず、自分の技術にも全く自信が持てなかったのです。すると、自分でも不思議ですが、遠い昔に忘れ去っていたはずの“開業”の二文字がチラチラし始めたのです。先の見えない世の中、このまま定年まで病院にいて退職金をもらって、ちょっとバイトして…という無難な道が目の前にあったのですが「いいのかな、それで。死ぬとき後悔するよ、きっと」との心の声が日に日に大きくなりました。若くない歳での開業、という不安を抱えながらも、28年間の勤務助産師生活を終え、退職したのが昨年の3月です。
さて、いざ京都トコ会館で研修を始めてみると、「そんなの知らなかった」、「そんなことやってなかった」…の連続の毎日。自分では経験も積み、それなりに研鑽もしてきたつもりでしたが、解剖学に至っては「素人かい!!」とつっこみたくなるほどわかっていなかったことに気付き、落胆_| ̄|○ 大きな顔をして助産師学生を指導していたことに我ながら呆れ、何より今まで携わってきた母子の方々に申し訳ない思いでいっぱいになりました。病院しか知らなかった私は、たくさんの壁にぶちあたり、「私って、こんなにどんくさかったん?」と途方に暮れる日々でした。
と言いつつも、院長施術や「らくらく育児クラス」のアシスタント、博樹先生のカルテ記入係を務めているうちに、少しずつ、身体を観察すること、身体に触れることに慣れてきました。また、今まで病院の産科ではほとんど対応する機会のなかった乳幼児にも接する機会が増え、発育や発達の観察ポイントが少しわかってきました。でも、骨の不正列の具合を判断し、症状と観察情報を組み合わせて、体の状態を理解し、「どこに、どんな問題があるか?」を判断することは、とっても難しいです。なので、「どんなケアを、どんな順番ですればいいのか?」をスピーディーに考えられず、お一人のケアにかかる時間はかなり長くなってしまいます。特に乳幼児は、いろいろな意味において、よりいっそう難しいと感じています。
それでも、継続は力。「ただ何となく…調子が悪い」くらいの主訴であれば、ベーシックやカイロプラクティックセミナーで学んだこと、そして、現在受講中のマニュアルセラピーや交感整体で学んだことを、とりあえず、やれそうなことを全部やっていると、下手な鉄砲もなんとやらで、「楽になりました」と言って頂けることが増えて来ました。“体の不調は心の不調につながる”、“話術も技のうち”ということも、少しわかってきました。お金を頂いて技術を提供することの重みも、ひしひしと痛感しています。
先日、産褥入院された方が、ぎっくり腰による強い腰痛を訴えられていましたが、残念ながら私の力では、症状改善までつなげることはできませんでした。このよう場合、今は健美サロン渡部院長の博樹先生などに助けてもらえるのですが、地元で開業した後は、そうはいきません。1人で全責任を背負って、対処しなければならないのです。以前、信子先生が「地元で産褥助産院を開こうと考えている人は、交感整体セミナーを修了し、実績を積み重ねて、中級から上級技能助産師(仮称)を目指してください」と書かれていました。道のりはまだまだ遠いですが、これを目標として精進したいと思っています。
南海トラフ巨大地震が発生した場合、津波などにより和歌山県内で最大約9万人の死亡が想定され、特に紀南地方は多くの市町村が死者5,000人以上の赤色に塗りつぶされています。そんなデンジャラスで交通網の不備な紀南ですから、大きな災害に見舞われたり、地域医療崩壊で「薬と手術に依存した医療」が困難になるかもしれません。そうなっても、ならなくても、①地域の先輩方と協力して、母子の生命と安心を守りたい。②病院の最前線で頑張っている後輩たちに、知識と技術を伝達できるようになりたい。③トコ助産院を卒業する時、信子先生に「あんた暇かかったけど、まあまあ仕上がったな~」との、お褒めの言葉を頂戴できるようになりたい。
こんなことを妄想しながら、日々悪戦苦闘している私ですが、セミナー受講時も、トコ会館で働き始めてからも、いろいろ指導して頂いた主任助産師の西里さんが退職され、思いもよらず後任を拝命致しました。施術レベルがまだまだ未熟な私には、身に余る大役ですが、精いっぱい務めさせて頂きますので、宜しくお願いいたします。