原田美佐子先生のコラム
安心して親になれる徳島のために、地域活動開始、
トコ企画セミナー講師目指し、頑張ります。
【いいお産の日に生まれた私】
皆さんこんにちは。私は徳島県の助産師、原田美佐子と申します。生まれも育ちも徳島で、11月3日(いいお産の日)に、自宅分娩で生まれました。そんな縁でしょうか、助産師にあこがれ、徳島大学医学部付属助産婦学校に入学、某公立病院に就職し、転勤を経て27年間勤務しました。助産師を目指した頃から「いずれ地域で開業して、女性のサポートをしたい」と思っていました。今年の3月末で退職し、地域での活動を始めています。これからは、訪問でのケアや指導、骨盤ケア教室、ベビーマッサージ教室、助産学生の臨床指導、市町村の子育て支援などをしていきたいと考えています。
【骨盤ケアとの出会い】
骨盤ケアとの出会いは、2006年に大阪で渡部先生の骨盤ケアセミナーを受講したときでした。同僚とともに“目から鱗”の内容にショックを受け、「勉強せねば!!」との気持ちがむくむく湧きました。 その頃、私の職場では新病院建設計画が進行中で、分娩取扱中止の方向で動いていました。分娩数は激減し、病棟内は混合化され他科の患者数が多くなっていて、助産師としてモチベーションを保つことすら難しい状況になってしまいました。崖っぷちに立たされた私達助産師は、「何とかしたい。助産師らしい仕事をしたい」と、分娩チームを立ち上げました。私もその一員となり、「“ここで産みたい”と思ってもらえる病院作り」をめざし活動し始めました。
【助産業務の質の向上を目指して、骨盤ケアを充実】
当初は病棟勤務の合間に、外来での骨盤ケアをはじめとした保健指導を行うくらいでしたが、次第に病棟業務が多忙になり、妊娠中の指導が手薄になっていきました。すると、指導ができなかった産婦のお産は長引き、入院中の育児練習もスムーズにいかないということが起こり、「妊娠中のケアは、分娩経過と産後の生活を大きく左右する」と実感しました。そこで、助産師外来を立ち上げ、妊娠初期の指導項目に、「骨盤ケアの必要性を説明すること、骨盤輪支持を体験すること」を入れました。分娩で入院となるまでの間、症状に合わせてセルフケアも指導しました。妊娠中の指導と管理が充実すると、分娩経過も順調で、産後も元気で育児練習を終えて退院することが普通になってきました。そんなママ達の満足感は高く、スタッフも入院中のケアや指導に苦慮することが少なくなりました。新しく分娩チームに加わった助産師や、婦人科外来の看護師も進んでセミナーを受講し、骨盤ケアはスタンダードになっていきました。
【院内外での取り組み】
県の看護協会の教育委員をしていたとき、協会の教育担当者に骨盤ケアへの興味を持ってもらうことができ、県との共催事業として骨盤ケア研修を開催できました。院内では妊婦職員の個別の相談にあたる一方、女性職員対象の「健康教室」を開催し、骨盤ケアを指導しました。あるとき、同僚の看護師が双胎妊娠しました。小柄できゃしゃな彼女に骨盤ケアを指導したところ、その後セルアケアに励んだ彼女は、産休まで元気に勤務することができました。このことにより、当時の看護部長に高く評価していただき、妊娠報告があると「何かあれば助産師に相談しなさい。骨盤ケアするといいですよ」と勧めてくださるようになりました。院内で「骨盤ケアができる助産師の力」が認められるようになりました。
【医師との信頼構築】
常に産科学や骨盤ケアを学びながら、実績を積んでいくことで、産婦人科部長にも「こと正常分娩と妊婦に関しては、プロとして忌憚のない意見を出してほしい」と言ってもらえるようになり、信頼関係構築の一助となったと思っています。
ある時、歩行困難と強度の腰痛の褥婦が他院から搬送されてきました。恥骨結合離開とそれに伴う症状だと予測し、ケアにあたると速やかに症状が軽減していきました。整形外科からは、現状の対応で問題なしとのことでした。退院時、若い医師が書いた紹介状の返書に、「…当院助産師の骨盤ケアにて症状軽快し…」との一文があり、心の中でガッツポーズ! 理解ある先生方に恵まれたことも幸いしました。
【友人の辛い体験に背中を押されて】
他院で勤める私の友人である助産師は、不妊治療を受けた後、初めての妊娠に漕ぎ着けたにもかかわらず、妊娠後はトラブルに見舞われ続け、分娩は悲しい結末となってしまいました。次の妊娠も不妊治療後の妊娠で双胎。「トコちゃんベルトを使用しているがこれでいいのか不安。しっかり骨盤ケアをしたい」と依頼があり、セルフケア法を教えました。すると、その後はトラブルもなく、産休まで働き、元気な双子を出産しました。その後、予想外の自然妊娠をし出産しました。今では心強い骨盤ケア仲間となった彼女ですが、「骨盤ケアとの出会いがなければ、子どもに囲まれた今の生活はなかった。骨盤ケアに感謝している」と語り、この内容掲載を快諾してくれました。
こんな友人の体験に背中を押され、さらに高い技術を身につけたくなった私は、意を決してトコ・カイロプラクティック学院のベーシックセミナーを受講し始めました。受講し始めた当初は、渡部先生の言葉が「宇宙語?」と思われるくらい、ちんぷんかんぷん。体の悪い私が技術を習得するのは大変でしたが、なぜかどんなにハードな夜勤明けでも、帰りは体調が良く、不思議でした。渡部先生が「勉強しに来ているというより、体をなおしに来てる人もいるな~」と話されたときは、ギクッとしました。以前の徳島セミナーで、助産師では西日本一ひどい首の持ち主とお墨付きを頂いていましたから。それでも受講生同士で練習を重ねて、時には先生が見かねて調整してくださることもあり、何とかセミナーを修了・更新できています。
【対処できないトラブルの増加】
近年の妊産婦さんの体も私に負けず劣らずの人が増えてきたように感じます。
2~3年ほど前からは、徐々に従来のケアではどうしても直らない逆子の妊婦や、回旋異常・微弱陣痛・弛緩出血など、トラブルは増加しているように思えます。「ケアしていてこの状態、日本中のケアされていない大勢の妊産婦は、どれだけ重症になっているのだろうか?」と思うと、とても心配です。
【自分の体の辛さにすら気付かない人達】
強い慢性疲労を訴える看護師は多く、彼女たちの多くはセルフケアを学ぶチャンスもなく、辛い体であることにすら気付いていない人が目立ちます。操体法や骨盤輪支持で、楽な体になって初めて、「は~、楽になった~!」と辛かった自分の体に驚くこともよくあり、ケアする人の体も大変なことになっていると感じています。かく言う私も、その一人でした。
【ヘトヘトの育児の中で膨らんだ開業への夢】
思い返せば、私は強い冷え症で、出産以前は坐薬が手放せないくらい強烈な生理痛持ちでした。子宮内膜症の手術、不妊治療を経て妊娠したものの、妊娠と同時に卵巣過剰刺激症候群で腹囲1mの腹水貯留…、切迫早産、微弱陣痛、遷延分娩、産後の不調、トラブルのオンパレードでした。第1子は生後11か月まで激しい夜泣きが続き、第2子は重症の喘息と、今もなお気になるところが多々あります。助産師としては “身になる経験”とは言え、「子どもは本当に可愛いけれど、私が助産師じゃなかったら…、3面記事を賑わせたのかも?」と思うくらい、ヘトヘトになって育児をしていました。もっと早く骨盤ケアやベビーケアの知識があったら、私も子ども達ももっと多くの時間を笑顔で過ごせたことでしょう。「私のような大変な育児をする人のいない、笑顔の母子がいっぱいの徳島県を作りたい」。私の開業への夢はどんどん膨らんでいき、私の「徳島骨盤ケアプロジェクト」の目標もどんどん高くなっていきました。
【退職を決意】
長年、総合病院で勤務していると、いい出会いもある反面抱えることも多くなります。「やりたいことができない…」と、いつも言い訳を探している自分がいました。子どもたちには、「本当にやりたいことは諦めずどうやったらできるか考えてみようよ」って言っているのに。「自分の仕事が好きな助産師でいたい。職業人として余力のある状態で、やりたいことを考えながら進める道を選ぼう!」と退職を決意しました。
【セミナー講師めざして】
退職することを渡部先生に伝えると、「トコ企画の新生児ケアセミナーと、骨盤ケアアドバンスセミナーの講師になって、四国でのセミナーを担当してな~」と声を掛けて頂き、身の程知らずと知りつつ、講師をめざす決心をしました。退職してからの2カ月間は、先輩講師のセミナー受講、事務局やアシスタントを手伝いながら、勉強に励んでいます。
今年の6~8月には徳島と香川で、骨盤ケアアドバンス・新生児ケア、保健指導力upセミナーが、トコ企画主催で開かれます。また、7月にはトコちゃんベルアドバイザーセミナー、11月からは四国でベーシックセミナーが、トコ・カイロプラクティック学院主催で開かれる予定です。
四国の皆さん、ぜひ、受講してください。そして、全ての妊産婦が四国のどこにいても骨盤ケアを受けられるようにしましょう! 今まで、何度か他施設のスタッフから依頼されて、重症ケースの相談に乗ることがありました。分娩を取り扱うそれぞれの施設に1人はベーシック修了レベルの助産師がいて、重症者を診たり、スタッフのケアに関する相談に乗れるようになると、院内の助産力も強化されると思うのです。
【安心して親になれる徳島、四国をめざして】
自営業という未知の世界は、不安もありますが、「私の子ども達が親になる時には、安心して親になれる徳島に、そして四国に、なってほしい」と願いつつ、新たな出会いや学びにわくわくしながら、活動していきたいと思っています。