北島美代子先生のコラム
手も口も動かすのが得意な助産師を目指して、何事にもチャレンジ(^_^)v
皆様、こんにちは、東京で勤務助産師をしている北島美代子と申します。手よりも口を動かすのが得意な、自称“口先助産師”で、5月から「らしくの母子保健指導力upセミナー」の講師を勤めることになりました。 私は看護学校卒業までを広島県呉市で過ごしました。呉市は昔から造船と海軍の町として知られ、現在は大和ミュージアムがにぎわっています。当時、広島県には助産婦学校がなかったので、進学のため東京に出て来ました。
【総合病院で燃え尽きて】
卒業後は附属の総合病院の周産期センターに就職し、5年あまり勤務しました。年間分娩件数は2,000ほどあり、その褥婦棟で約2年間、未熟室で約3年間働きました。この3年間の未熟室勤務で、ほぼ燃え尽きてしまい、分娩棟に移って3ヶ月間働いた後、結婚退職しました。この頃の私は、分娩介助数は僅か50例というまさに“ペーパー助産婦”でした。
【ひたすら口を動かして働いた、フリー助産師時代】
ほとんど燃え尽き状態で退職後した私の心は、「もう2度と臨床に戻ることはない!」と凍結していたため、フリー助産婦として働くことにしました。そこで、勤務助産婦の時から興味があり、少し関わりもあった思春期のクリニックで、電話相談員を10年ほどしました。その間、思春期学会の発表や、市民講座やPTAの思春期講座の講師として、手よりもひたすら口を動かして働きました。しかし、子ども達に手がかからなくなると、今度はお金がかかるようになり、意を決して近所の中規模総合病院に再就職しました。ペーパー助産婦状態だった上に10年も臨床から遠ざかっていたため、まさに浦島太郎状態でしたが、就職先の医師や仲間の助産師達が親切に指導してくれたおかげで、何とか働くことができました。
【骨盤ケアに遭遇】
ところが、1年足らずで産科が閉鎖することになり、同じ区内の個人経営の産科クリニックに転職しました。そこはそれまでの“ほのぼのとした職場”とは違い、何となくスタッフの間に緊張感が漂っていて、臨床経験が乏しい私には、居心地の悪い職場でした。そんな時、(旧)母子整体研究会の骨盤ケアセミナーを受けた人から、「胸に触らないでもおっぱいケアができるようになるよ!」と聞き、「本当?」と内心疑いながらも、「とにかく話を聞いてみよう」と、セミナーに参加しました。なぜなら、褥婦さん達の痛そうな顔を見るのが辛かったのと、「何か自信がもてるケアを身につけたい」と思っていたからです。今から約10年前のことでした。
【出張専門で開業し“口先助産師”として活動】
セミナーに参加して、渡部先生の話を聞いたとき、まさに目から鱗がポロポロと落ちました。今まで疑問に感じていたことがスッキリした私は、すぐに骨盤ケアの魅力にはまってしまいました。セミナーに参加する度に、地域で生き生きと活動している助産師達の魅力に引き込まれてしまい、「私も地域で働きたい!」と、平成19年に出張専門の開業届を提出しました。
しかし、私が開業助産師として活動を始めた地域は、既に骨盤ケアで開業してる助産師がいたためか、骨盤ケアの依頼はほとんどありませんでした。そのため主に新生児訪問をしていました。新生児訪問は個々の状況に合わせた保健指導が求められる仕事です。最初は戸惑いもありましたが、日々様々な母子に関わるうちに、個別指導の魅力にどんどんはまって行きました。また、保健所の母親学級や、育児教室などの講師をしているうちに、「話がとっても面白いので、講演に来てください」と色々なところから声がかかるようになりました。やがて、思春期講話や更年期向けの健康講座などの様々な場で、「保健指導は私の天職」とばかりに“口先助産師”として活動するようになりました。
【閉院が決まっているクリニックに復帰】
しかし、今から2年程前、開業する前に勤めていたクリニックから「管理職として復帰してほしい。ただし、医院の後継ぎがいないため、数年後には閉院する」と声かけていただき、再就職しました。閉院後のことを考え、「給料がもらえるうちに、できるだけスキルアップしておこう」と、看護協会のファーストレベルの研修に参加したり、開業時代にはなかなか日程が合わず、疎遠になっていたトコ企画のセミナーにも参加しました。
【母子保健指導力upセミナーを手伝うことに】
そんな時、渡部先生から突然、「母子保健指導力upセミナーを手伝って!」とのメールが届きました。驚きもありましたが、フリー助産婦になった時に、「どんな仕事もチャンスと思ってチャレンジする」「“やったことがない”を言い訳にしない」と決めていたので、引き受けることにしました。
まずは、1月15日高輪会場での佐藤めぐみ講師によるセミナーを受けようと、受講申し込みをした直後、「佐藤さんが妊娠した!」とのメールが届き、のんびりしていられなくなりました。「宮崎さん1人では大変だから」と、あれよあれよという間に、講師デビューまでの計画ができ上ってしまいました。母子保健指導力upセミナーでは、グループワークを通して他施設の方と、様々な情報交換をすることができ、とても有意義だと感じました。その後、「らしくの会」の宮崎加代子さん、事務長の芦刈美和さんとも話をし、保健指導に対する考え方など、共感できるところがたくさんあり、「この仕事は私に向いている」と感じました。2月以降の高輪会場でのセミナーに、講師見習いを兼ねて、事務局として参加し、宮崎講師のアシスタントを務めました。毎回、定員いっぱいで、受講生の皆さんの背景により、グループワークで出て来る答えにも違いがあり、「保健指導の答えって、ほんとうに正解は1つではないな~」と感心しています。
【講師デビュー】
そんな中、4/14(火)、宮崎講師、私がサブ講師として講義の一部を担当しました。当日はかなりの緊張感の中、どうにか前半の講義を終えました。実際にやってみると、想像以上に難しく、「受講料に見合う内容を還元するというのは、凄い緊張感を伴う仕事なんだなぁ」と、トコ企画のセミナー講師の皆様の素晴らしさに、改めて感服しました。5月17日は助産師9名、医療職ではない育児アドバイザー1名、合計10名の参加者でした。あまりの緊張からか前日の夕方から喉の調子が悪くなり、声が出るか不安でしたが、サブ講師として参加された宮崎講師に見守られ、無事1日を終了しました。前回苦労した看護過程の説明も、今回は自分でも納得のいく説明ができ、次回以降は「自信を持ってできるかな?」と思っています。らしくの保健指導力upセミナーは、グループワーク中心の構成ですので、毎回受講者が違い、雰囲気も導き出される答えも違うので、何回も参加してその違いを、ぜひとも楽しんでいただきたいと思っています。
【手も口も動く助産師を目指して】
一度は助産師として臨床に燃え尽きてしまった私に、このような日が訪れるなんて夢のようです。これも、(旧)母整研に出会い、再び助産師として働ける喜びに目覚め、また、私の得意分野である保健指導で活躍の場を与えて下さった渡部先生のおかげと感謝しております。これからは、話術だけでなく手技も研鑽し、臨床でも頼られる助産師を目指し、残り少ないクリニックでの仕事を楽しみつつ、全国から招いていただける母子保健指導力upセミナー講師になれるよう励みます。