個人医院の勤務助産師 廣澤美幸さんのコラム
「“どんと来い相談室”と言える助産師外来を目指して」
皆様、はじめまして。関西の個人医院の勤務助産師、廣澤美幸です。助産学校を卒業して三十数年たちますが、「心は常に二十代」をモットーに、学びと挑戦の日々を送っています。一介の助産師が、このような場で書かせていただくことは大変恐縮ですが、現在勤めているクリニックの助産師外来について、お話しします。
月平均30件の分娩を扱うこのクリニックは、院長先生の方針で「不安なく妊娠、分娩、育児ができるように」と、妊娠中から生後1歳までの、母子対象の無料相談=助産師外来を設けています。私はこの助産師外来を“なんでも来い相談室”とひそかに呼んでいますが、この様な気持ちに思えたのも、つい最近のことです。
助産師外来をやっていると、実にいろいろな症状の方が来られるのですが、なかなか症状を改善するほどのアドイスもできず、無力感さえ覚えた頃、“救いの神様”に出会いました。それからは学びと挑戦、試行錯誤を繰り返しながら、現在に至っています。
勤め始めた頃、それまでは入院中の母子しか関わったことがなかったため、おっぱい相談や産後1か月までの育児相談で、教科書や育児書を参考に対応していました。ところが、助産師外来はまるで“ビックリ箱“。
例えば、どの月齢においても悲鳴のように泣き叫び、そり返る赤ちゃん。その赤ちゃんを抱けないお母さん…。寝返り、ハイハイをしない赤ちゃん。妊娠初期からの出血、硬いお腹、腰痛などの出現に悩む妊婦さん。産後は体が倦怠感で動くことができないお母さんなど…。私の頭の中は「なんでそうなるのー!!」と“?マーク”でいっぱいでした。
既存の知識、技術だけでは、対症療法的で「何の問題解決にもならない」と悩んでいました。そんな時に“救いの神様”渡部信子先生が主催するセミナーを知りました。初めてセミナーを受講した時の感想は、皆様も共通していると思いますが“目から鱗”状態でした。頭の固い私は何度もセミナーを受講していく中で、現代女性の体が変化していること、妊娠に伴って体の要である骨盤が変化し、色々な症状が出現していることを、少しずつ理解できるようになりました。
習った骨盤ケアを実践してみると、「第1子の産後は、1か月ぐらい寝たままで過ごしました」とおっしゃる人が、第2子の妊娠早期から骨盤を支えることで、産後すぐから「立てる、歩ける、育児ができる」と、とても喜んで下さいました。
また、悲鳴のように泣いてそり返る赤ちゃんを抱けないお母さんのために、(旧)母子整体研究会の「べびぃセミナー」や、トコ企画の「赤ちゃん発達応援セミナー」を何度か受講しました。しかし、私は最初、赤ちゃんを“丸く抱く”ということがピンと来ませんでした。
ところがある時、産後1ヶ月健診に来られたお母さんの腕から、落ちそうになって悲鳴のように泣き叫んでいる赤ちゃんが私の目に止まりました。すぐに私は赤ちゃんを受け取り、丸く抱くと“あら不思議”ピタリと泣き止んだのです。見ていたお母さんも「魔法みたい」と驚きの声を上げていましたが、私の方が驚いたくらいでした。それからは、ひたすら「丸く抱く」抱き方を説明しています。少しずつですが、悲鳴のように泣く赤ちゃんは少なくなっています。
まだまだ助産師外来は“ビックリ箱”の状態ですが、わからない時はスタッフと問題を共有して、セミナーで受講した知識・技術を踏まえ、解決策を見出していくように努めています。
無料相談ですので、色々な相談が持ちかけられます。育児相談やおっぱい相談は毎日のことで、時には育児方針の違いによる嫁姑問題、育児と家事の手伝いをめぐって夫との関係がこじれ、「離婚したい…」との相談に至るまで、プライベートな内容もたくさんあります。私たちは、時に母のように、姉のように、また近所のおばさんや姑のように関わっています。助産師外来に来られるお母さんと赤ちゃん、そのご家族が少しでも安心して暮らせるためのお手伝いができることを、感謝しています。
“なんでも来い”という気持ちになれたのも、渡部信子先生が主催するセミナーを受講し、技術を習得することで、少しずつ心に余裕が生まれたからだと思っています。まだまだ知識、技術不足は否めませんが、「“なんでも来い相談室”から“どんと来い相談室”と言えるようになりたい」と思いながら、研鑽を積み重ねる毎日を送っています。