園田 眞由美さんのコラム 『筋性斜頚の我が子が教えてくれた私の課題』
 
 宮崎県で整体のできる助産師として、開業を目指している園田眞由美と申します。
私が渡部先生と出会ったのは、2007年9月に宮崎で開かれたセミナーでした。そのセミナーで経験した骨盤輪支持後の体の変化は“目から鱗”。「もっと学びたい!」と思ったことがきっかけで、少しずつ整体を学び始め、昨年「カイロプラクティックセミナー」まで修了しました。

 私は、アトピー性皮膚炎があり、フラットバックで、肋骨弓も狭く、膝はO脚、踵はX脚という、複雑で不健康な骨格です。普段から肩こりと腰痛に悩まされていて、首から頭にかけての凝りはひどく、頭の動きはブレーキがかかっているかのように重く、渡部先生がこれまでに診てこられた全国の助産師の中で “ワースト2”だと言われながら、今日に至っています。
 そんな私が、昨年の3月、開業準備のため16年間勤務した病院を退職し、その直後に、結婚することとなりました。すぐに妊娠にも恵まれたものの、切迫流早産体型であることを重々自覚していた私ですから、妊娠がわかるとすぐに、トコちゃんベルトで骨盤輪支持を開始しました。日によって仙骨が飛び出たり、戻ったりするのがわかり、 「リラキシンによって骨盤がゆるんでいる」と、実感する毎日でした。

 ところが、不思議と肩こりや腰痛はほとんどなかったため、「順調に経過している」と思いこんでいました。しかし、妊娠5週で出血、12週で再び出血し「下腹部の硬さは異常だったんだ」と、やっと気づきました。助産師経験はあっても、自分の妊娠は別物で、新たな気づきの連続でした。妊娠22週で骨盤位(さかご)となり、妊娠24週で陣痛のような子宮収縮があり、切迫早産で入院しました。
 「もしかしたら、このままずっと骨盤位で経過するかも知れない」との不安に襲われ、入院中のベッドでは操体法を行いました。退院してからは、先輩助産師の方々にアドバイスをいただきながら、呼吸法や腹部を温めることなどを続けました。妊娠30週を過ぎると下腹部がとても冷たくなり、漢方薬を飲んだり鍼を行ったりもしました。 
 しかし、呼吸法を行っても肋間筋はあまり動かず、お腹はすぐにカチカチに硬くなり、ネコの体操も効果を実感できないまま、妊娠38週を迎えました。ずっと逆子のままで、しかも、顔は両足で隠れている姿勢(単殿位)のため、帝王切開での分娩でした。

 産後の入院中は、子どもの向きぐせも特になく、直接授乳もスムーズにできて、順調に過ごしました。ところが、退院して実家に帰ってすぐに、子ども(生後10日)の顔が異様に左を向いて、右の頚部にしこりがあることに気づきました。顔を真っ直ぐに戻しても、すぐに左を向いてしまうのです。ネットで調べてみて、「先天性筋性斜頚」であると確信し、頭が真っ白になりました。「私の子宮の中の環境が良くなかったからかも知れない」と思うと、子どもに申し訳ない思いでいっぱいになり、整体を学んできた私に、大きな課題が課せられたように思えました。

 それからは、向きぐせにより頭が変形してしまわないように、よりいっそう気をつけました。マイピーロネオは入院中の生後5日から使用し、1ヶ月のころからおひなまきもするようにしました。でも、マイピーロネオを使うのは初めてで、しかも、最初は専用カバーを購入しておらず、ガーゼやストッキングでカバーして使っていました。1ヶ月半ころ、先輩助産師から院内専用マイピーロネオ(ネオネオ)をもらい、着け方を詳しく教わりました。すると、それまでのマイピーロネオの着け方は、緩すぎだったと分かり、反省させられました。
 小児整形外科も受診しましたが、エコーで頚部のしこりのサイズを測るだけでした。頭の形はなんとか左右対称にきれいに経過しましたが、油断するとすぐに左を向いしまうという状態がずっと続きました。
 妊娠末期になっても骨盤位が頭位にならないのは、「3~4%」とも、「3~5%」ともいわれているくらい、わずかの確率であり、さらに、筋性斜頚は0.01%の確率です。「このわずかな確率にまさか自分が…」と、かなり落ち込みました。そのため、9割が治ると言われている筋性斜頚も、「もしかしたら、残りの1割に当てはまってしまうのでは…」と、不安は募るばかりでした。

 退院してからの私の体はボロボロで、里帰りしていたにもかかわらず、日常生活がやっとの状態でした。腰・肩はもちろん、手の指~足の趾まで、こわばってガチガチ。歩く姿勢もすっかり “おばあさん”のようになってしまいました。自分でも姿勢がおかしいことを自覚し、操体法を行うのですが、一時的に改善するだけですぐに元に戻ってしまい、どうにもなりませんでした。 たださらしとトコベルトⅡを使ってダブル巻きⅡ-1で骨盤輪支持をすると少し楽になりました。産後1か月過ぎから、トコベルトⅡのみに変えました。
 まだ里帰り中の産後1ヶ月くらいのある日、沐浴が終わって立ち上がる時に、子どもを抱えたまま転んでしまい、しばらく起き上がれませんでした。私も家族も「リウマチでは?」との不安に襲われ、後日、念のためリウマチの血液検査を受けた結果、リウマチではなく、安堵しました。
 
 自分の体はこんな状態である上に、子どもの斜頚が重度なのか軽度なのかもわからないし、頚椎にかかる負担や今後の体への影響も不安でした。子どものためにできることを求めて、渡部先生の『赤ちゃんがすぐに泣き止み、グッスリ寝てくれる本』を読んで実践したり、実家の両親や夫に、「なぜこのケアがいいのか」を説明して、理解してもらいながら、とにかく必死に毎日を過ごしていました。
 私は、骨盤ケア・ベビーケアの知識も技術も持っていたはずで、自分の体のことも分かっていたはずなのに、自分の体がどうなってしまったのか、わからなくなってしまいました。新生児期のベビーケアに関しては、その知識も技術も未熟で、我が子の筋性斜頚に対してどのようにケアすればいいのか分からず、暗中模索の日々が続きました。入院中、まだ筋性斜頚と気づかなかった時期から、スタンダードケアとして適切なケアをしていれば、「こんなに悩むことにはならなかったのでは…」と思うと、我が子に対して申し訳なく、いつの間にか頭が下がってしまっている自分に気付くのです。

 でも、未熟といえどもその知識と技術があったからこそ、まだ何とか救われたのでしょうね。3ヶ月が過ぎた頃、私はようやく外に出かけられるくらいまで落ち着いてきました。すると、「私にできることは他にないのか…?」との思いが沸き起こり、渡部先生に出産の報告をしたところ、東京で開催される「赤ちゃん教室」への参加を勧められました。
 教室終了後の施術会で、子どもの胸鎖乳突筋のどの部分に、どれくらいの硬さのしこりがあるのか、どのようにしたらしこりが柔らかく小さくなっていくのか…などを教えていただき、頚椎や後頭骨のバランス調整もしていただきました。 東京の赤ちゃん教室に参加したことで、筋肉やしこりの触診やケアの仕方がわかり、それまで向くことのなかった右にも向くようになり、本当に安心しました。教室で、とっても気持ち良さそうに天使の寝床で寝ているわが子を見て、先日、天使の寝床を思い切って購入しました。すると、ギャンギャン泣くことも少なくなり、昼間もよく寝るようになりました。天使の寝床はとてもいいです。色々なものを使って代用してきましたが、ぜんぜん違いました。思い切って東京に行って良かったです。

 最近は、教室で教わった内容を毎日実践しており、しこりや頚椎を確認し経過をみています。今でも胸鎖乳突筋の左右差があり、首の傾きもありますが、少しずつ改善しているように思います。右の胸鎖乳突筋にあるしこりが小さくなっても、左と比べると右の胸鎖乳突筋はまだ太く硬いため、油断すると子どもはすぐに左を向いてしまいます。なるべく真っ直ぐ、もしくは、右も向くように気をつけていますが、施術直後ほどは右を向かなくなってきました。「こんなに左を向いていたら、せっかく施術していただいた頚椎が、またずれてしまうのではないだろうか?」、「左を向いてしまうのは仕方がないのだろうか?」と、心配は尽きません。
 私も頚椎を触ってみますが、はっきりわかりません。「自分の子どもの頚椎をみて調整できたらどんなにいいだろう」と思うものの、今の私は大人の頚椎でさえ、まだ十分に診ることができません。渡部先生が「斜頚は股関節脱臼よりも100倍難しい」と言われていたのは、こういうことも含んでいるのかな、と思っています。

 思い返せば、私が渡部先生に出会った頃に出産した妹も、アトピー性皮膚炎があり、切迫早産で、骨盤位が戻らず帝王切開でした。「もう少し早くから骨盤ケアの勉強をしていれば、経過も違っていたのでは…」との、自責の念がずっとありました。
 私の妊娠も、結局、妹と同じような経過をたどりました。それでも、結婚してすぐに妊娠できて、正期産で出産でき、ニッコリとほほ笑んでくれるわが子を抱けることは、何にも代えがたい幸福です。妊娠中は精一杯の努力はしたし、何より渡部先生もおっしゃった通り、それが私の体の“限界”であったと思っています。

 今後は、我が子の成長・発達・首の経過を確認しながら、産後の身体のきつさや育児の不安、子どもの姿勢について悩んでいる方が、少しでも笑顔になれるような関わりをしていきたいと思っています。
 これまでも妊娠中に骨盤位が戻らないとの相談を受けたことがありましたが、今まで行っていた指導が、通り一遍で、内容の浅いものだったことも反省させられました。骨盤位が戻らない理由もそれぞれに違います。「これからはもっとその人に合わせた助言ができるよう、自分自身の知識と技術を磨いていきたい!」
私の夢と課題は尽きません。