山形県の開業助産師 難波ハツ子先生のコラム
定年退職してから70歳までの目標、庄内全域に「骨盤ケア」と「まんまる育児」の普及を目指す!

 
 皆さま初めまして、山形県の庄内地方(日本海側)にある、鶴岡市で出張専門の開業助産師をしている、難波ハツ子と申します。
 故郷の病院で13年間、鶴岡市に移ってから23年間、合計36年間、病院勤務を続けましたが、今年の3月31日に定年退職しました。さっそく翌日、保健センターに開業届を提出し、あっという間に半年が過ぎました。

【1.骨盤ケアとの出会い】
 私と渡部信子先生との出会いは、2003年の2月、新潟県の新津クリニックで開かれた「妊産婦のための整体セミナー」でした。「助産師としての技と引き出しをもっと増やしたい」との想いで参加したそのセミナーで、目から鱗がポロポロ。渡部先生のパワーに引きつけられて学び始めたものの、庄内という交通の便の悪い土地柄、なかなかセミナーに通えず、定年退職するまでは、スローペースで学んできました。
 「トコちゃんベルトアドバイザー養成試験に合格するまでは頑張ろう」と思って学び続け、苦手な筆記試験にも何とか合格して、「これで自信を持って骨盤ケアに取り組める\(^o^)/」と、意気揚々と教室や個人指導に当たりました。
 しかし、現実はそう甘くはありませんでした。それまでに学んだ知識と技術だけでは、なかなか症状が改善しない妊産婦さんが、次々と現れるようになり、「もっとしっかり関わりたい」と、夜行バスで京都まで通いながら、次のコース「ベーシックセミナー」で学びました。 ここでも、筆記試験に弱い私は何回も落ち、同期の仲間達にアシストしてもらいながら、どうにか修了することができました。同期の皆様には、感謝の想いでいっぱいです。

【2.病気入院から決意した開業】
 退職まであともう少しという今年の2月、急性虫垂炎で突然の入院となりました。だるくて、痛くて…、動くこともできない日が3日間続きました。抗生物質で散らした後、肝機能値が上昇し、痛くて辛くてどうしようもないときに、追い打ちをかけるように「肝生検を…」の言葉が医師の口から聞こえてきたのです。
 それを聞いたとき、「回復することもなく、このまま死んでしまうのか…」との想いが頭をかすめました。それと同時に、やりたいことを何もやらずにいる自分に気付きました。幸い肝生検は回避できたのですが、それから、「私がやりたいことって何?」と自問自答し、「前に進もう。開業しよう」との答えを出しました。
 決意した理由は、助産師会の研修会や、渡部先生のセミナーなどで出会った開業助産師達の多様な働き方に刺激されたことと、地元新聞の「読者の声」に投稿されていた「山形県に開業助産師を」を読んで、背中を押されたような気分になったことが、大きかったと思います。

 4月1日の午前中、「病院内でしていた骨盤ケア・タッチケア・乳房ケアなどを、地域の妊産婦さんに提供できれば…」と、開業届を提出しました。帰宅して1時間くらい後のことです。夢が現実へと進み始めたことに陶酔していたそのとき、携帯電話の着信音が鳴り響き、慌てて出ると、「のんびりするのは半日で十分やで!」との渡部先生の声。私は雷に打たれたかのように、我に返りました。
 電話の用件は、仙台でのメンテ“力”UPセミナーのことだったのですが、何というタイミングの良さ! 渡部先生の“喝”に、背中をドーンと押されて、すぐさま、地域のリサーチ、子育て広場や健診の見学、「トコちゃんの骨盤ケア教室」の計画立案、サロンやカフェの準備…と、あわただしく動きまわりました。知人に作成を依頼したホームページも、6月末にはできあがり、7月から活動を開始することができました。
 「初日は地元で」と決めていたので、「ママ&ベビカフェ」を、民家“ちよさんの家”で開きました。初日にもかかわらず、お子様を連れてのご夫婦や、元同僚などで予想以上に盛り上がり、皆さまのおかげで、いいスタートが切れました。

【3.なんば助産院】
 初めての依頼は、断乳希望のママからでした。これまでにトコベル着用指導希望、股関節や腰まわりの痛みの相談、育児相談など、様々な依頼が舞い込みます。出張専門の開業なのですが、「姑がいるので来てもらうよりそちらに行きたい」とおっしゃる方は、古い農家の我が家に、お子様と来てもらい、ケアに当たっています。
 先日は、以前に勤務していた病院から、「入院中の妊婦が骨盤高位もできない。トコベルも巻けない。骨盤ケアを希望しているので…」と依頼があり、ドキドキしながら駆けつけました。幸い、何とかうまく痛みをとることができ、ホッとしました。
 教室開催は、トコちゃんドットコム協力の「トコちゃんの骨盤ケア教室」と、生協センター子育て活動からの依頼による「ママ&ベビーサロン」の2種類ですが、これからもっと様々な教室を開催したいと思っています。 他に、営業、チラシやポスターの作成、配置・点検補充…と、慣れない仕事に右往左往しながらも、会う人には「難波さん、生き生きしてるね!」と、声をかけてもらっては、こみ上げる笑みを振りまく毎日を送っています。

 これからの人生のモットーは、「好きなことを、笑顔でする」と決めました。当然のことながら、好きなことができるのも、家族のおかげです。家族をはじめ、これまでにお世話になった皆さんに感謝しつつ、常に楽しく前に進み続けるために、60歳から10年間の目標を立てました。

1.ママも家族も、ちょっとひと休みして、リフレッシュして、 元気になれる場所を作る!
2.庄内全域に「骨盤ケア」と「まんまる育児」の普及を目指す!

 鶴岡には、出羽三山と呼ばれる、月山(がっさん)・羽黒山・湯殿山があり、藤沢周平の映画の風景が広がっています。ぜひ、来てください!